2012年5月26日 (土)
2012年5月25日 (金)
2012年5月24日 (木)
2012年5月23日 (水)
日々の写真 5/22
八ヶ岳で日食ショーを満喫してきた人から、恒例の甲州土産あり。
今回は金精軒の新製品、くるみ信玄餅だ。
楽天で入手したばかりの、武田勝頼フィギュアを添えてみた。
ところで、筆者は勝頼を贔屓にしている。
勘助も、由布姫の忘れ形見として、引き立てていたしね。
(捨身 CX5二代目)
2012年5月22日 (火)
日々の写真 5/21
月曜の朝っぱら、バタバタとしている時間帯だから、
もとより、日食観察など出来ようもない。
時折、窓から窺うに、暗雲垂れ込め、
しかも、南東方向が森ときているから、無理そうである。
それでも、辺りが薄暗くなる様子に、
これが音に聞く、日食の暗闇なのかと、勝手に感心して居った。
木々と、僅かな雲の切れ間より、
辛うじて?それらしい光が覗いたので撮ってみた。
……………
朝日の新刊広告で見かけた、
「宮本常一とあるいた昭和の日本 23巻」
「漆・柿渋と木工 あるく・みる・きく双書」
(宮本千晴・田村善次郎 監修 農文協 @¥2940)を、
Amazonにて発注する。明日届く由、楽しみ哉。
(捨身 CX5二代目)
2012年5月21日 (月)
「平清盛」を視る(24)
ドラマでは、平氏の人々は、
黒のコスチュームでイメージされているようだ。
いよいよ、保元の乱が始まり、どうしても甲冑姿に目がいくが、
清盛の着用しているのも、黒糸威の鎧だ。
鎧の様式は、軍記物で云うところの「大荒目」(おおあらめ)で、
太い威毛をやや隙間を空けて威す。
小札板は緩く組まれていて、たわんでいる。
ほぼ、平安時代末期の古様な鎧に忠実で、プラスポイントとしよう。
ただ、この時代の黒糸威、もしくは黒革威とは、
厳密な意味での黒ではなくて、藍を染め返して、
「黒」に見せていることが多い。
黒の染料には鉄分が含まれるので、
直ぐに、糸や革が腐食してしまうからだ(そういう遺物もある)
したがって、黒糸威鎧の実物は殆ど現存していない。
多くは、近代の染料を使った補修品か再現品である。
(捨身 CX5二代目)
2012年5月20日 (日)
薫風 2012(3)
行きつけのスーパーで、声を嗄らして、
日食観察用のサングラスを売っていた。
最終入荷だとか。
さほど安いものでないのに、人だかりが出来る。
…………
中世世界では、日食を観ると、寿命を縮めると恐れられたようだ。
その日は、上下貴顕、固く戸を閉ざし、日光を遮って籠居した。
ところが、宇治の悪左府、頼長は、いつもどおり、格子を上げさせ、
「日月星宿を信ぜず。身命を惜しまず」と台記に記している。
時に、仁平四年(1154)五月一日の日食のことだ。
(捨身 CX5二代目)
2012年5月19日 (土)
2012年5月18日 (金)
2012年5月17日 (木)
「平清盛」を視る(23)
今回の「宇治の悪左府」頼長は、自身の日記「台記」の記述に、
ほぼ沿った、描き方がされている。
例えば、重陽の節句の宴で「菊酒」を飲まない場面があったけど、
「台記」にあるとおりで、「長命を好まざるにより」なのだ。
まぁ、ある種の「自殺願望」とも、とられなくもない。
保元の乱(1156)の前年、久寿二年八月二十六日の条にも、
藤原氏の氏神、奈良の春日若宮の託宣に、
自分の寿命が「四十一、二に達し難し」とあったと殊更に記す。
果たして、彼は三十七歳にして、この乱で命を失うことになる。
彼の、若い晩年の暗さは払いようもないが、
何らかの、予感めいたものがあったのだろうか。
保元の乱の放送は27日だそうだ。
(捨身 CX5二代目)





























最近のコメント