« 史観を疑うこと | トップページ | 当事者の口は重い »

2008年3月17日 (月)

時代小説の愉しみ

B08030020

小説というものは、殆ど読まない。

時代小説は、高校生頃には盛んに読んでいたが、

それも、今は一部の例外を除いて、読む気にならない。

司馬何某など、正直いって、お疲れさんなのだ。

その例外である、隆慶一郎氏のエッセイ集、

「時代小説の愉しみ」を読み返す。

没後、20年近くになる。

未完になった、「花と火の帝」は、当時、筆者にしては珍しく、

掲載紙の夕刊が楽しみになるほど惹きつけられた。

著者の急逝による突然の打ち切りが悔やまれたことを思い出す。

さて、本書の信長と信玄論は、

今さらながら、共感しきりだ。

戦後、フランスでおきた、中世史見直しの動きは、

ルネッサンスの帰結が原爆なら、その前の、

暗黒といわれた中世に、

人間のあるべき姿があったのではないか?という、

歴史に対する根源的な問いかけから、きているという。

信長も、この国の中世末期に現れ、

ジェノサイド(皆殺し)をともなって、近世への入り口に立った。

その後の為政者にも、多大な影響を与え、

その信長的なものが、どこかで、

20世紀のこの国の災禍に繋がっているのではないか?

というようなことも、想起させて、

「信長の悪」について、あらためて深く考えさせるのだ。

彼には天才的という側面もあっただけに、一層に…

信長礼賛流行りに辟易していたので、

久しぶりにスッキリしたのは確か。

信玄のほうは、よくいわれる、

「父親追放」「子殺し」

「権謀術数にたけた油断も隙もならない人物」

ではなくて、むしろ、

「学問好きで」「文芸にも明るい知識人」

「内面は正しくナイーブ」というイメージなのだとする。

以前にふれた、新発見の信玄画像のイメージに、

見事に重なり、頷かされるばかりだ。

(写真 Caplio GX100)

|

« 史観を疑うこと | トップページ | 当事者の口は重い »

本の森から」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/488563/11420402

この記事へのトラックバック一覧です: 時代小説の愉しみ:

« 史観を疑うこと | トップページ | 当事者の口は重い »