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2008年5月の記事

2008年5月31日 (土)

あえて、崖っぷちに…

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世の賢明な人なら、

みだりに、危険や誘惑に近づくことはしない。

でも、あえて、崖っぷちに身をおいて、

自らを試し、鍛えるという荒療治もある。

今日はその日であった…

「ハッセルをお探しですか」

「完全オーバーホール済みです。お値段もお手頃ですよ」

「…」

にっこりと、微笑みながら、

その場を、後ずさりで離れる。

隣では、熱心にショーケースをのぞく女性あり。

肩から下げる、オリンパスペンが印象的だった。

『我らを試みにあわせず、悪より救い出し給え』

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月29日 (木)

黒幕説

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本能寺の変をめぐる黒幕説、陰謀説は花盛りだが、

筆者は、そういったものと距離を置くと決めている。

たしかに、高校生ぐらいのころは、

ちょっと真面目に考えたことがあった。

…秀吉と光秀がグルで、

 信長を騙し、光秀が直接手を下し、

 しかる後、秀吉が光秀を裏切って、始末した…

 事件直後の秀吉の行動が、あまりに鮮やかに見えたからなぁ…

な~んてね。

でも、歴史というものに、もっと向かいあうようになると、

「真実はどうなんだ」と疑い、問い、考える力が育ってくる。

一次史料を、より謙虚に、より丁寧に、読もうと思った。

そうやって、歴史との対話を繰り返し、

当時の人々の、声にならなかった「声」を拾えたら、

とも考えるようになった。

すると、それだけのことでも、

今までとは、まったく違った世界が見えてきたのだ。

もう、もとの世界に戻れるはずがない。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月28日 (水)

一次史料

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当時の人々による、後世の手が加わっていない、

生の史料を一次史料という。

それが、当事者やその周辺の人々による、

自筆の文書などであれば、理想的である。

同時期の、日本の信頼出来る一次史料が、

あまり多くない中にあって、

「フロイス日本史」は、並外れた一次史料なのだ。

優れた文才と観察力、語学的才能で認められていた、

若きイエズス会司祭、ルイス・フロイス。

彼が執筆する、日本からの報告は、

ヨーロッパの同会本部支部をはじめ、

すでに広く知られ、評判であったという。

フロイスは、足利将軍、信長、秀吉はじめ、

政権の中枢にいる人々から、広く民衆にいたるまで、

得意の日本語を駆使して直接交際しており、国内各地にも赴くなど、

当時のヨーロッパ人としては、並ぶ者のない「日本通」であった。

彼は、1583年から、日本初期キリスト教伝道史というべき、

「日本史」の執筆を命じられ、1596年ごろまで記述を続ける。

様々な事件や人物の、実に生き生きとした描写もさることながら、

彼が外来の「異文化人」であったことが、幸いしていることもある。

当時の日本人が当たり前だと思って、

あえて書き残すことがなかった、民俗を詳細に記しているからだ。

たとえば、中世社会における女性のありようがある。

ヨーロッパに比べて、財産の所有権、相続権が強く、

自立しており、発言権も…と素直に彼は驚いている。

これは後世のほうが遅れている、「民俗」なのかも知れぬ。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月27日 (火)

光秀のイメージ

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大河ドラマや小説で、相変わらず、おなじみなのは、

短気で神経質、粗暴な信長、

ひょうきんで、抜け目のない秀吉の対比として、

知的、文化人、繊細、育ちのよさ、温和という、

光秀の描かれ方であろうか。

しかし、フロイス日本史の記す、光秀のイメージは、

まったく異なっている。

「もとより、高貴の出ではなく」

「その才略、深慮、狡猾さ」「信長の寵愛」「不思議な器用さ」

「よそ者」「裏切りや密会を好み」「刑を科するに残酷」

「独裁的」「戦争において謀略を好み」「忍耐力に富み」

「計略と策謀の達人」「築城に造詣深く」

「優れた建築手腕の持ち主」「熟達の戦士を使いこなし」

「信長に贈与を怠らず、彼を喜ばせることは万事につけて調べ」

「人を欺くために七十二の方法を深く体得と友人に吹聴」

と云うのだ。

これは案外知られていないのではないか。

筆者は、こっちの方が真実に近いのではと思っている。

中世末期の戦乱と下剋上の状況で、

よく見受けられる「職業的なつわもの」のイメージが、

ぷんぷんと臭う。そして、まさに、そんな連中が好む、

夜討ち、朝駆けをもって、主君信長を倒す.。

フロイス日本史では本能寺の変直前に、

光秀と信長の間に諍いがあり、

信長が暴力をふるったとの伝聞を記している。

この時、この二人だけの間に起こったことに、

強い興味を抱くが、ごく個人的なことだったかも知れない。

いずれにせよ、光秀には、ある意味、

典型的な中世人のイメージがついて回るような気がする。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月22日 (木)

像主論争

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もう、旧聞になるけれど、

「モナ・リザ」の像主論争決着のことがあった。

仮説、珍説の連続だった、この名画の像主探し、

新資料の発見や地道な実証的研究の成果で、

結局、疑い始めの当初の文献が、

正しかったことが解かったのだ。

期せずして、これが歴史研究の基礎である実証を忘れ、

主観的な仮説に振り回されることに対する警鐘になった。

翻って、この国でも、教科書に載るような、

有名な肖像画をめぐって論争がある。

「源頼朝像」「平重盛像」「足利尊氏像」「武田信玄像」

やはり、こちらも地道な実証的研究の甲斐あって、

すべての像主が、極めて疑わしくなっている。

でも、どこの世界でも頭の固い人や、メンツにこだわる人が、

力を持つ傾向があるようで、まだ、なかなか多くの人々が、

このことを知る空気になっていない。

マスコミはもちろんだけど、まずは歴史教科書だ。

もっと、最新の研究成果の一端でも紹介するなりして、

努力をする余地があるのではないか。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月20日 (火)

路線バス

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子供のころから、路線バスに乗るのが好きだった。

記憶の中だけにある、

誰も知らない街のバス停から、

ふらっと、やってくるバスに、

飛び乗って、旅へ出てみたい。

今でも、そんな願望におそわれることがある。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月18日 (日)

「巧い」のはね…

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土曜日の午後。

テレビを点けると、短歌コンクールの表彰式をやっている。

奈良のある寺をテーマに詠んでの公募だ。

こっちの世界でも、それなりのキャリアを積んだ人の作品が、

最終選考に残っているのだろうなと、見ていると、

ずらりと、作品が披露される中、

筆者が一番、強い印象を受けたのは、小学生の少女の歌だった。

美術館で、この寺の薬師如来像を初めて見た時の驚きを、

実に素直に、生き生きと少女らしく詠んでいる。

筆者の深読みかもしれないが、

読みようによっては、ある深遠に導くような、余韻も感じられる。

よい歌だなと、久しぶりに思ってしまう。

彼女の歌が、優秀作品5首に選ばれたのは良かったけれど、

最優秀作品は、やはり、かなりやっている人で、

ここぞと、技巧が尽くされている、「巧い作品」に落ち着いた。

「大人の歌」であるから、順当なのだが、どういう訳か、

あの少女の歌をみてしまうと、ひどく、つまらなく感じてしまうのだ。

ベテランの大人が殆どのコンクールで、

ほんの少女が、一番となれば、

見ているだけの者にしてみれば、痛快だけど、

まぁ、関係者としては、許せないだろうなぁ…

ジャンルは違っても、同じく表現者を志す者に、

「巧くなろうと思ってはいけません」

と、写真家、田中長徳氏も言っているではないか。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月17日 (土)

死とこの街

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「アースダイバー」(中沢新一著 講談社)には、

この街と死を論じた一項がある。

たしかに、かつて、葬送地であったという、

神泉・丸山町の谷を歩くと、

消し去ることが出来ない、その気配を感じる時がある。

でも、ことさら、死とこの街を、

結び付けようとは思わない。

これは都市という場がもって生まれた、

半ば宿命に近い感覚だから。

中沢新一の折口信夫、金春禅竹、翁舞、中世思想を、

めぐる最近の論考は、とても刺激的で、面白いけど、

この本の最終章、「森番の天皇」は、

筆者には、いささかオメデタくて、違和感が残った。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月16日 (金)

「さだめ」に…

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40年来の年季がはいった「渋谷嫌い」で知られる、

写真家、田中長徳氏が、昨日の氏のブログで、

「こんなへんてこな街は世界のどこにもなかろう」

と評したように、

ここは、不思議な街なのだ。

筆者とこの街の関わりも、長いものになっているが、

正直に言って、一度もこの街が好きになったことはない。

でも、関係が続いているのは、

聞かれて、答えに窮するものがあるが、

あえて、言うなら、「さだめ」のようなものと答えるしかない。

不思議だと言ったのは、

もし、好きな街だったら、写真で表現したとしても、

もっと「つまらない街」になったであろうことが、

はっきりとわかるから。

「嫌いな街」だからこそ、なのかもしれない。

きっと、「さだめ」がこの街との関係を終らせる。

今のところ、それに従うのみ。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月15日 (木)

微妙な色調

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デジタルで白ワインの微妙な色調の違いを撮ってみる。

フィルムでは、かなり難しいことだった。

右は、ごく一般的な白ワイン用葡萄品種、

ラインリーズリング主体のワインだ。

果皮が緑色なので、ワインも緑がかった感じになる。

理想的な状態の白ワインの色調である。

左は、果皮が少し茶色がかった小豆色のピノ・グリという葡萄品種。

ワインもやや肌色がかった、あるいは銅色、

(イタリアではラマートという)といった感じに。

両方とも、かなりよく、色調が再現出来ていると思うのだが。

(写真 EOS40D マニュアルホワイトバランス 地明りで)

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2008年5月13日 (火)

“My home Town” (2)

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毎朝、あのタバコ屋の角をまがって、

小中高、大学1年の13年間、電車通学をした。

立ち読み常習犯で鳴らした、駅前の本屋では、

あの時の、しかめっ面の店主夫婦が、

それなりに老い、まだ店の奥に座っている。

赤いブルーバードの兄貴の家は、すっかり建て変わっていた。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月12日 (月)

日々の写真 5/12

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新聞の片隅に、今さらではあるけれど、

国連人権委員会で、多くの国から、日本に対して、

死刑廃止、性差別撤廃、社会的少数者や外国人の権利擁護、

人身売買防止強化、等々を求める意見が出されたとあった。

某国のことを、どうのこうのと言う前に、

まず、自分たちの足元にある、闇を覚えないと、

みとっもないことになる。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月11日 (日)

連休と梅雨の間

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山野で写真を撮っていたころ、

5月の連休が終ると、待っていたとばかりに、

撮影に飛び出していったものだ。

梅雨までの僅かな間、自然は一年で最良の季節を迎える。

新緑、残雪、陽光、薫風。

でも、天候は安定していない。

五月の嵐は容赦なく、山々を真冬に戻す。

豪雨は新緑の木々をたたき、無数の水流を林床に走らせる。

田植えを終えて、青々とした水田は霧雨に煙っている。

そして、つかの間の日差しと、頬を撫でる薫風…

ブナ林の中はエゾハルゼミの合唱につつまれる。

今頃になると、いつもそんなイメージに浸ってしまう。

いつか、また、撮りに行けるのだろうか。

Amazonで求めた本が届くまで、

買い置いて、忘れていた文庫本を読んで過ごすことにする。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月10日 (土)

中世世界と災害を調べる

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応長の大津波から、関心が膨らみ、

中世世界の人々にとって災害とは、どんなものだったのか?

少し調べたくなった。

Amazonにて、「中世 災害・戦乱の社会史」(峰岸純夫)

「中世の災害予兆?あの世からのメッセージ」(笹本正治)

(いずれも吉川弘文館)

の二冊を発注する。

時を隔てていても、中世と現代、

人々が災害に、ほとんど無力なのは変わらない。

問題なのは、来るべき災害に対する人々のありようだ。

鳴り物入りで、導入された緊急地震情報、役に立たず。

費やされた税金と労力を考える。

本当に必要なシステムなのか。

よくよく考えてみれば、体よく騙されているような気もしてくる。

もっと大事な地震対策があるのではないか。

売り込んだ業者は何処なんだろう。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月 9日 (金)

大津波はあったのか?

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Photo

ゆうべ夜半の地震で、思い出したのは、

一昨日の投稿でふれた、「応長の大津波」のこと。

この大津波、歴史上の文献、記録は全く無いという。

ちょうど、吾妻鑑の記録(1180~1266)からも外れている。

中世史で、こういう話はよくあることで、

現地の伝承だけが頼りというケースだ。

隣の長浜町にも伝承がある。

かつて、「長浜千軒」と呼ばれる繁華な集落があったが、

この時の大津波で全滅したというものだ。

ちなみに…津波や洪水で失われた、

中世の都市的な場の伝承は各地にある。

(広島県福山市の草戸千軒遺跡は有名)

そんなことで、いろいろ探していたら、

昭和初期の「富岡八幡山」の絵葉書(上掲)が出てきた。

現在は造成で失われている、後背の高台から撮ったもの。

明治初期の小川一真の写真、現在の筆者の写真と、

比較するのも、一興かと。

大津波に戻って、結論にはならないけど、

本当にあったとしても、不都合はないだろう、ということで…

記録でわかる応長元年(1311)に起こった事件。

時の執権、北条貞時が死去。

伊勢国から、鬼女が京に入り、洛中洛外、各所に出没の噂。

都中で大騒ぎになるが、流言飛語の疑い。

この話題は実際に取材したと思われる、

吉田兼好が徒然草(50段)に記す。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月 8日 (木)

“My home Town” (1)

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(写真 Caplio GX100)

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2008年5月 7日 (水)

3時間の小さな旅

連休の最終日。快晴。

思い立って、3時間の小さな旅へ。

小川一真の、ある古い写真を見たのがきっかけだった。

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(長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータベース)

《この画像は同大学付属図書館の許諾を得て当ブログに掲載》

http://hikoma.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=278

明治10年代に、横浜・金沢富岡の海岸で撮られた写真。

当時、ここは外国人や政府高官たちの避暑地として知られていた。

静かな漁村風景。海に突き出しているのは、

富岡八幡宮の社叢林(鎮守の森)である。

実は、これとあまり変わらない風景を、

筆者は朧げながら、見覚えがある。

現在、この近辺は全て埋め立てられているが、

その工事が行われたのは、筆者幼児期の頃のことだ。

そんな訳で、無性に、今の様子を確かめたくなったのだ。

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これが今日の風景。埋め立てられ、公園になっているが、

たしか、この道路と街路樹のあたりに海岸線があったと記憶する。

さて、この富岡八幡宮、結構、由緒がある。

中世の富岡郷は、

あの金沢北条一族の領地、武蔵国・六浦荘の北東の隅に位置し、

この社は、建久2年(1191)に源頼朝が鎌倉外周の、

鬼門抑えのために、建立したものの一つといわれている。

海中に突き出し、お椀を伏せたような、こんもりとした森は、

霊地としては、申し分のない地形で、

東京湾に現存する数少ない、

照葉樹林(スダジイ)の群生地でもあり、横浜市が保護している。

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建立当初は、摂津国・西宮・恵比寿を祀っていたらしい。

(恵比寿は水の神、漂着物の神、漁民の神という説もあり)

八幡神を合祀したのは、安貞元年(1227)からだとしている。

応長元年(1311)、大津波がこの地を襲うが、

この小高い森が波を防ぎ、人々が救われたという伝承がある。

以降、「波除八幡」と称したとのことだ。

まさに、海民の神であり、立地に相応しい。

一の鳥居、表参道は海に面しており、

かつては、鳥居の直ぐ下が海面だった。

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現在、社殿は覆い屋の中だが、

天正年間(安土桃山期)建立とあるから、かなり古い。

ここで、あまり知られてない故事をひとつ。

江戸・深川の富岡八幡宮のこと。

同じ名前でも、そっちの方が、今では超有名だが、

寛永4年(1627)、永代島の埋めて際して、託宣により、

ここから、分霊された。

本当は、こっちの富岡八幡が元祖なのだ。

元祖富岡八幡の名誉ためにも、紹介しておこうと思う。

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月 5日 (月)

ガラス乾板

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古い写真はいつ見ても楽しい。

都立写真美術館で「紫禁城写真展」をやっている。

http://www.syabi.com

撮影者はプロ写真家の草分け的存在である小川一真だ。

1901年、学術調査団に加わり、

北京「紫禁城」(故宮)の詳細な写真記録を残した。

原版は言うまでもなく、大判(11x14)・ガラス乾板である。

一切の妥協もなく、しっかりと真面目に撮られた写真というものは、

見ていて、実に気持ちが良いものだ。

でも、現代中国の写真家の併設展示という「演出」は、

余計なお世話で、正直言って、邪魔だった。

小川一真一本で、彼の他の作品も、

展示するなどして、掘り下げて欲しかったのに…

もっと、見直されてよい写真家である。

長崎大学付属図書館に小川一真の写真のデーターベースあり。

http://hikoma.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/index.html

(写真 Caplio GX100)

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2008年5月 2日 (金)

応仁・文明の乱

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永田町「応仁の乱」云々?

応仁の乱という言葉が出てくれば、

中世史オタクとしては、

ひとこと言いたくなるのが人情というものだ。

全く収拾のめどが立たない内乱状態という、

悪い意味の比喩だろうが、そんな生やさしいものじゃない。

応仁・文明の乱(1467~1477)の直接の原因は、

将軍や有力諸大名の家督相続争いの同時多発で、

最終的には、対立する諸勢力が2大勢力に別れて、

全面的な覇権争いに至ったということになっている。

しかし、根本的な原因は、

中世世界の変動にともなう諸矛盾が、

一気に噴出したことによる、

いわば、中世の総決算というべきもので、

これをきっかけに、中世という時代は終焉にむかうのだ。

既存の権威が軒並み地に落ちて、リーダー不在。

各々が自らの権利や利益を主張して譲らない。

それなら、自分で勝手にやると、下剋上。

今まで上に立っていた者を倒して、自分が主になり、

自主独立、地方分権、群雄割拠へ。

今の状況に照らしてみれば…

そんなに悪いことにも見えないな。むしろ健全か。

でも、信長は要らない。

(写真 Caplio GX100)

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