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2008年5月 9日 (金)

大津波はあったのか?

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Photo

ゆうべ夜半の地震で、思い出したのは、

一昨日の投稿でふれた、「応長の大津波」のこと。

この大津波、歴史上の文献、記録は全く無いという。

ちょうど、吾妻鑑の記録(1180~1266)からも外れている。

中世史で、こういう話はよくあることで、

現地の伝承だけが頼りというケースだ。

隣の長浜町にも伝承がある。

かつて、「長浜千軒」と呼ばれる繁華な集落があったが、

この時の大津波で全滅したというものだ。

ちなみに…津波や洪水で失われた、

中世の都市的な場の伝承は各地にある。

(広島県福山市の草戸千軒遺跡は有名)

そんなことで、いろいろ探していたら、

昭和初期の「富岡八幡山」の絵葉書(上掲)が出てきた。

現在は造成で失われている、後背の高台から撮ったもの。

明治初期の小川一真の写真、現在の筆者の写真と、

比較するのも、一興かと。

大津波に戻って、結論にはならないけど、

本当にあったとしても、不都合はないだろう、ということで…

記録でわかる応長元年(1311)に起こった事件。

時の執権、北条貞時が死去。

伊勢国から、鬼女が京に入り、洛中洛外、各所に出没の噂。

都中で大騒ぎになるが、流言飛語の疑い。

この話題は実際に取材したと思われる、

吉田兼好が徒然草(50段)に記す。

(写真 Caplio GX100)

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歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

kansuke様:

初めまして。偶然にこの部落格を拝見いたしました。富岡出身者ですので長浜大津波の話は子供の頃から聞いています。埋め立ての頃沖合いから材木が沢山出たと聞いています。長浜千軒の家の材木かも知れません。富岡の明治時代の写真や絵葉書なども少し集めていますのでことさら興味深く読ませていただきました。

投稿: 霹靂小組 | 2008年9月19日 (金) 22時33分

拙ブログにお越し頂き、
ありがとうございます。
富岡ご出身とは懐かしい限りで、
嬉しく思いました。
「応長の大津波」は文献や史料に、
まったく見出せず、歴史学では、
ほとんど無視されてきましたが、
このごろは「伝承」の重要さも、
再認識されています。
ですから、
私も、ほぼ確実に、
あったと言ってよいと思います。
これで、あとは「中世考古学」の成果が、
あればよいのですが。
「長浜千軒」という集落名も、
非常に「中世的」で存在感があります。

投稿: kansuke | 2008年9月20日 (土) 00時54分

コメント有難うございました。長浜千軒は18町も沖に突き出た岬にあった集落との伝承ですが、日本各地に残るいわゆる「千軒」伝承と同じ類型ではないでしょうか?津波などにより一夜にして「千軒」あった集落が消滅してしまうというパターンの伝承です。津波は通常地震か、火山噴火などによる山体崩壊によるものが大部分であるのに応長元年旧暦5月18日に大きな地震があったとの伝承はありません。海底の大規模地滑りによる津波や低気圧、台風による津波や高潮だったのか?東京湾は浅いので大規模な海底地滑りも考えにくいですね。すると今で言う液状化現象で地盤が一瞬にして無くなってしまったのか?いずれにせよ考古学や津波の専門家のお話を伺えれば面白いかもしれないですね。

投稿: 霹靂小組 | 2008年9月20日 (土) 09時12分

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