« ガラス乾板 | トップページ | “My home Town” (1) »

2008年5月 7日 (水)

3時間の小さな旅

連休の最終日。快晴。

思い立って、3時間の小さな旅へ。

小川一真の、ある古い写真を見たのがきっかけだった。

Photo

(長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータベース)

《この画像は同大学付属図書館の許諾を得て当ブログに掲載》

http://hikoma.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=278

明治10年代に、横浜・金沢富岡の海岸で撮られた写真。

当時、ここは外国人や政府高官たちの避暑地として知られていた。

静かな漁村風景。海に突き出しているのは、

富岡八幡宮の社叢林(鎮守の森)である。

実は、これとあまり変わらない風景を、

筆者は朧げながら、見覚えがある。

現在、この近辺は全て埋め立てられているが、

その工事が行われたのは、筆者幼児期の頃のことだ。

そんな訳で、無性に、今の様子を確かめたくなったのだ。

Rimg11175

これが今日の風景。埋め立てられ、公園になっているが、

たしか、この道路と街路樹のあたりに海岸線があったと記憶する。

さて、この富岡八幡宮、結構、由緒がある。

中世の富岡郷は、

あの金沢北条一族の領地、武蔵国・六浦荘の北東の隅に位置し、

この社は、建久2年(1191)に源頼朝が鎌倉外周の、

鬼門抑えのために、建立したものの一つといわれている。

海中に突き出し、お椀を伏せたような、こんもりとした森は、

霊地としては、申し分のない地形で、

東京湾に現存する数少ない、

照葉樹林(スダジイ)の群生地でもあり、横浜市が保護している。

Rimg11143

Rimg11161

建立当初は、摂津国・西宮・恵比寿を祀っていたらしい。

(恵比寿は水の神、漂着物の神、漁民の神という説もあり)

八幡神を合祀したのは、安貞元年(1227)からだとしている。

応長元年(1311)、大津波がこの地を襲うが、

この小高い森が波を防ぎ、人々が救われたという伝承がある。

以降、「波除八幡」と称したとのことだ。

まさに、海民の神であり、立地に相応しい。

一の鳥居、表参道は海に面しており、

かつては、鳥居の直ぐ下が海面だった。

Rimg11170

現在、社殿は覆い屋の中だが、

天正年間(安土桃山期)建立とあるから、かなり古い。

ここで、あまり知られてない故事をひとつ。

江戸・深川の富岡八幡宮のこと。

同じ名前でも、そっちの方が、今では超有名だが、

寛永4年(1627)、永代島の埋めて際して、託宣により、

ここから、分霊された。

本当は、こっちの富岡八幡が元祖なのだ。

元祖富岡八幡の名誉ためにも、紹介しておこうと思う。

(写真 Caplio GX100)

|

« ガラス乾板 | トップページ | “My home Town” (1) »

旅の空」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/488563/20809319

この記事へのトラックバック一覧です: 3時間の小さな旅:

« ガラス乾板 | トップページ | “My home Town” (1) »