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2008年5月 2日 (金)

応仁・文明の乱

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永田町「応仁の乱」云々?

応仁の乱という言葉が出てくれば、

中世史オタクとしては、

ひとこと言いたくなるのが人情というものだ。

全く収拾のめどが立たない内乱状態という、

悪い意味の比喩だろうが、そんな生やさしいものじゃない。

応仁・文明の乱(1467~1477)の直接の原因は、

将軍や有力諸大名の家督相続争いの同時多発で、

最終的には、対立する諸勢力が2大勢力に別れて、

全面的な覇権争いに至ったということになっている。

しかし、根本的な原因は、

中世世界の変動にともなう諸矛盾が、

一気に噴出したことによる、

いわば、中世の総決算というべきもので、

これをきっかけに、中世という時代は終焉にむかうのだ。

既存の権威が軒並み地に落ちて、リーダー不在。

各々が自らの権利や利益を主張して譲らない。

それなら、自分で勝手にやると、下剋上。

今まで上に立っていた者を倒して、自分が主になり、

自主独立、地方分権、群雄割拠へ。

今の状況に照らしてみれば…

そんなに悪いことにも見えないな。むしろ健全か。

でも、信長は要らない。

(写真 Caplio GX100)

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