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2008年5月17日 (土)

死とこの街

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「アースダイバー」(中沢新一著 講談社)には、

この街と死を論じた一項がある。

たしかに、かつて、葬送地であったという、

神泉・丸山町の谷を歩くと、

消し去ることが出来ない、その気配を感じる時がある。

でも、ことさら、死とこの街を、

結び付けようとは思わない。

これは都市という場がもって生まれた、

半ば宿命に近い感覚だから。

中沢新一の折口信夫、金春禅竹、翁舞、中世思想を、

めぐる最近の論考は、とても刺激的で、面白いけど、

この本の最終章、「森番の天皇」は、

筆者には、いささかオメデタくて、違和感が残った。

(写真 Caplio GX100)

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コメント

場の持つ雰囲気というのは確かにあるとは思います。
でもそれは何かがあるからそういう空気を醸し出すのではなく、そういう空気を感じる場所に適したものを人間が作ったのではないかと思うのですけど。
そういう「嗅覚」が人間には備わっていると思います。
南半球では、あるいは地球の自転が逆であったら「鬼門」も逆方向になっていたのではないでしょうか。

投稿: satobo | 2008年5月18日 (日) 16時50分

仰るとおり、
「都市的な場」とか、
「葬送地」や「悪所」のような「場」は、
自然発生したのではありません。
本来、人々がある「意図」をもって、
「歴史的」に形成してきたはずなのですが、
あまりに、ありふれていて、文字にならない、
民衆の歴史であるためなのか?
文献や記録から抜け落ちてしまっているのです。
ですから、今まで「歴史学」の対象にはなり得ませんでした。わからないことが殆どです。でも、最近は「民俗学」や「考古学」「社会史」「美術史」などの学際研究の進展で、光があてられ、かなり面白い「仮説」が出てきているところです。

投稿: kansuke | 2008年5月18日 (日) 21時22分

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