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2008年7月21日 (月)

本能寺の瓦

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今日も暑そうなので、

午前中、早めの時間に、

「発掘された日本列島2008展」 

 ~発掘された重要な遺跡・遺物の最新情報~

(両国・大江戸博物館)を、ちょっとのぞいてきた。

中世史関係の展示について、研究者の方から直接お話を伺う。

筆者の注目は、

琵琶湖北岸の「塩津港遺跡」と京都の「本能寺跡」

前者は、中世前期(平安末期~鎌倉前期)の港の、

聖地と考えられる、社跡から出土した、

水運業者の起請文が書かれた、

日本最大の木簡の実物展示。

琵琶湖の水運で賑わう、都市的な場、塩津に、

行き交った人々の息吹を感じる。

それにしても、中世の人々が選ぶ場の、

地形の共通点を思う。

ここも、琵琶湖の湖水に突き出た砂州の突端なのだ。

一方の「本能寺跡」 今回の発掘で、

信長最期の地である本能寺の場所が確定された。

京都市街の私有地の発掘で、制約が多く、

一部の調査しか、出来なかったにもかかわらず、

5メートルもある堀跡と石垣が検出されている。

この時代の本能寺は、かなり大規模な寺院で、

しかも、堅固な城砦であったことが確かめられた。

本能寺の能の字瓦の出土は話題十分だ。

「能」のつくりの部分「ヒ」が「火」につがるので避けて、

別の書体に変えられているのが面白い。

さて、瓦の話題とは、思ったより、

火災による焼損が少なかったことである。

光秀の襲撃による火災は言われるほど、

大きなものではなかったのでは、という可能性が出てきた。

襲撃は短時間で終ったとする文献も存在するので、

信長最期の状況をめぐって、新たな論争がおきるかも…

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(写真 Caplio GX100)

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