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2008年9月20日 (土)

寄り添うこと

B08091902

4年前が、父親の最期の入院であった。

家族で話し合った結果、

毎日、時間を決めて、交替で朝7時から、

夜の消灯後の11時まで、病室の父親に付き添うことになった。

病院の看護や治療に信頼が持てず、

どうしても、この目で確かめたかったし、

この時、出来ることと言えば、

一緒にいてあげることだけだったから、

皆、異論はなかったのだ。

1月に入院し、9月に一度退院したが、すぐに再入院で、

結局、12月の末までの毎日になった。

四季が、あっという間に通り過ぎた。

仕事を何とか、やりくりしながら、

田中長徳氏のデシタル写真のワークショップにも、

病院から通った。

後で、長徳氏としみじみ語り合ったけど、

氏も、ご尊父を送られた時、もっと傍にいられたらと思ったという。

だから、筆者はよかったのだと…

先ごろ、やはり、ご尊父を送られた胸の振り子さんと、

写真展会場で、語り合った時も、

思うところは同じだった。

人は、つらい時には、

何をさておいても、出来るのなら…

寄り添ってあげることが、一番なのだ。

それは、もちろん家族だけではなく…

孤独を好む人もいるだろう。

でも、時には孤独が、途切れることも必要なのだ。

つらい日々だったが、

それが出来た幸せを感謝している。

(写真 GX200)

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コメント

1年近く付き添われたと伺って、本当に驚きました。
なかなかできることじゃないですね。
ウチの叔母(86才)が「親はいくつになってもいてもらいたいもの」と言っていました。

投稿: 胸の振り子 | 2008年9月20日 (土) 20時51分

今から考えると、
相当、無理を重ねました。
「後遺症」のようなものが、
今でもあるのです。
「夢」もよく見ます。
でも、きっかけになるようなことは、
ありましたね。
病院側の看護や治療方針と現実。
「信頼感」が揺らぐようようなことを、
実際に見てからです。

投稿: kansuke | 2008年9月21日 (日) 00時12分

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