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2008年10月31日 (金)

一族滅亡

B08103001

谷戸の奥にいくつも口を開けている、

中世の人々の墓所、「やぐら」

今となっては、主もわからない石塔の群れ。

かつて、この地で、

滅亡した人々も、この中に眠っているのだろうか。

中世を通じて、実に損な役回りを演じた一族がいた。

筆者、地元近くの三浦半島が根拠地だった三浦一族、

挑発に乗りやすい質だったのか。

(つまり、まぁ、人がいいということだが)

組んだ相手が悪かったのか。

(無能なパートナーか、裏切り者)

実力十分の一族であったのに、

本家、庶家、末流、何度も滅亡の憂き目に遭っている。

その末流に連なる人々が中世の後期、

胸の振り子さんの郷里である、岡山・美作の地に流れ、

城を築き、住み着いていたことを知る。

時は移り、江戸期、さらに後裔の人々が、

同地に小さな藩を立て、明治維新に至る。

彼らにとって、やっとたどり着いた

安住の地だったのかもしれない。

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 NP400)

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コメント

司馬遼太郎の「街道を行く 三浦半島記」によると、三浦一族は北条氏の策謀にはまって滅亡するのですが、最後は一族郎党五百人が一堂に会して切腹したそうです。
三浦一族は、政治力には乏しいところがあるのですが、古武士らしいすがすがしさを感じます。

投稿: 振り子 | 2008年10月31日 (金) 07時34分

「本家」が滅亡した「宝治合戦」
頼朝の墓前「法華堂」で、
一族500余人、枕を並べてですから…
これも、北条氏の巧みな「挑発」に、
乗ってしまってのことでしょうが、
頼朝や源家に、
深い「恩義」と「きずな」があったことも、
窺えますから、
「情の深い」一面があった「一族」だったと、
思いたいですね。
状況次第では北条氏に取って代わる、
実力はあったでしょう。
出自不詳で怪しげな北条よりも…

投稿: kansuke | 2008年10月31日 (金) 10時58分

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