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2009年1月17日 (土)

「死を覚えよ」

B09011601

昨日投稿のアンケート調査のこと。

大事な続きがあったので触れておく。

調査項目に「死後の世界を信じるか」というのがあった。

「信じる」とするのが、一般人の34.6%に対して、

がん患者は20.9%と、かなり低い。

実際に死を見、それと正面から向かい合い、

より深く考えていけば、

こうなっていくのは、判るような気がする。

健康な人であっても、日々の生活の中で、

何時も頭のどこかに置いておかねばならない問題だろう。

「汝の死を覚えよ」

中世ヨーロッパの修道院内で、日々交わされた挨拶の言葉。

(写真 GX200)

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コメント

癌はももう誰でも罹りうる病ですね。
でも人間は、悲しいかな、自分だけは罹らないという根拠のない自信の上でしか生きることができないです。
本当は、人間は簡単に壊れるし、簡単に死んでしまうものなのに。
親と死別すると、今度は自分が死を支える番になります。でも今の若い人と接していると、ボタンを押すと人間は病気が治って、人は死なないと、彼らが思っているかのように感じることが結構多いです。
死とたわむれることも、立派な病ですが、あまりに死を特別なものとして片隅に追いやっている現代社会も特殊なものに思えます。
癌に自分がなった場合、家族がなった場合、そう簡単に悟ったような対応はできないですし、うろたえたり、足掻いたりする自由も欲しいです。
80%もの人が癌と正面から闘うことを意義あることと考えているとしたら、日本人の死生観が、次第にアメリカ人的なものになりつつあるということでしょうか。

loveshinさんのお父さんのブログ読ませていただきます。

投稿: 胸の振り子 | 2009年1月17日 (土) 00時15分

病棟に1年も毎日通っていると、
いろいろなことを考えさせられます。
「死」の問題はいつも頭から、
離れませんでした。
冷静な観察者であり続けるには、
もどかしさ、悲しさ、辛さが尽きません。
この問題を巡って、
関係者がもっと素直に本音で、
「対話」出来る環境になったらと思うのです。

話はちょっと変わりますが、
私が中世世界とそこに生きた人々に、
魅かれる理由の一つに、
生きていること自体が稀有で、
「死」が日常のものだった世界の、
本音で生きた人々の「声」が、
感じられることにもあります。

投稿: kansuke | 2009年1月17日 (土) 01時25分

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