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2009年2月の記事

2009年2月28日 (土)

2月26日 (2)

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父親から聞いた2.26事件の話。

その中で、この事件の序章というべき事件があり、

詳しく話していたのを思い出した。

2.26の前年、1936年8月12日に起きた「相沢事件」である。

(陸軍内部の皇道派と統制派の抗争により、

 統制派のトップ永田鉄山軍務局長が、

 皇道派の相沢三郎中佐に斬殺される)

父親は永田鉄山と会ったことがあると話していた。

どうも旧制中学の軍事教練の検閲に来たことがあって、

親しく言葉を交わす機会があったらしい。

その時の印象が良かったので、ショックも大きかったようだ。

父親が語るには、

永田鉄山はかなりの人物で、

彼が暗殺されたことによって、陸軍内の均衡が、

決定的に崩れ、暴走の契機になった。

2.26への導火線もその時、点じられたような気がするというのだ。

(写真 GX200)

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2009年2月27日 (金)

2月26日 (1)

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2月の末は、税務署や区役所に出向くことがあるので、

敷地内にある2・26事件の碑の前をよく通る。

ここは、首謀者の青年将校たちが処刑された、

「旧陸軍刑務所」の跡地である。

事件の話は小学生の頃か、よく父親から聞かされたものだ。

当時、父親は中学生で、この雪の日のことは、

余程衝撃が大きかったのか、

 「時ならぬ雪が降る日は、

 予想外の大事件が起きることがあるから気をつけろ。

 2.26や桜田門外の変、元禄赤穂事件を見ろ」

と言うのが半ば口癖のようになった。

その日の朝、大雪のためか交通機関がストップし、

住んでいた代々木から、

学校のある日比谷に徒歩で行こうとしたらしい。

途中、警戒線に引っかかって、凶事を知ったようだ。

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PBNC400)

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2009年2月26日 (木)

水菜のパスタをつくる

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春らしいヘルシーな水菜のパスタをつくる。

…①フライパンにオリーブオイルを多めにひき、

   ガーリックペースト小さじ1、アンチョビーペースト小さじ1、

   鷹の爪1本を入れ、極弱火で焦がさないように炒める。

…②パスタを茹でる(筆者は塩は少なめで、大さじ1位。

  (今回はロングパスタ細めの1.6㎜を使う。

   二つに折って茹でると後で具材とあえ易い)

…③茹で上がったパスタを①のフライパンに入れ、

   しめじ、ヘタを取って四つ切にしたミニトマト、

   ブラックオリーブ、パスタの茹汁少々を適宜加える。

   刻んで冷水にとりパリッとさせておいた水菜をあえて、

   火を止める。

余熱で火が通れば出来上がり。

(写真 GX200)   

 

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2009年2月23日 (月)

「美しいものを美しく」

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先週に続いて、日曜美術館を視る。

現代日本画家、加山又造と横山操。

「現代の琳派」といわれる加山の作風は、

軽やかに「美しいものを美しく」表現する、

まさに「花鳥風月」の世界だ。

対する横山のそれは、

正反対のような、重く力強い社会派というべき作風である。

この二人、表面的には反発しているようで、

実は深く影響し合い、理解し合っていた…

そう、「花鳥風月」なんて月並みだというのは容易いけど、

(加山は専門家から素人受けする作風として軽視されていた)

「美しいものを美しく」表現することは、

実際は簡単ではなく、高度なテクニックを要するのだ。

ゲストの五木寛之氏は、

「汚いものを美しく、美しいものを汚く」の、

「伝統の批判的継承」は、そんなに難しいことじゃないと指摘する。

「花鳥風月」の伝統を敢えて諦観した、

加山の作風の高い精神性に注目すべきとも。

今までの加山評に一石を投じた感じで、面白かった。

(写真 GX200)

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2009年2月21日 (土)

「方言だ」なんて…

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夕刊に、ユネスコが全世界の言語を調査し、

約2500の言語が消滅の危機に瀕していると発表、とある。

日本では、アイヌ語、沖縄語、八重山語、与那国語、

国頭語、宮古語、奄美語、八丈語などがあげられているようだ。

今回、これらの言語が国際的に、

独立した言語として認められたのはとても良かったと思う。

もとより、単一民族幻想の現れである、

「標準語だ」「方言だ」なんていうのが嫌だった。

この列島の文化は、本当は実に多様性に富んでいて、

それが掛け替えも無くて、面白いのだから…

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PBNC400) 

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2009年2月20日 (金)

好きなものを撮る

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昔、所属していた大判写真サークルの写真展の案内が届く。

自分の「好きなもの」を撮り続けている幸せな人たちの集り。

時候の挨拶をかねて、毎年観にいっているが、

所詮、そのようなものだ。

このごろ、「好きなもの」だけを撮る人が目立つけど、

最初のうちは、ちょっと面白いから、

写真展やHPを覘くことはあっても、

そのうち、大抵しんどくなる。

撮っている本人は気づかないようだが、

写真自体も駄目になっていくことが多い。

写真表現の動機とは、被写体が、

好きであろうと、嫌いであろうと、

美しかろうと、醜かろうと、

何であろうと関係ないのだと思う。

主体である撮影者が心を強く動かされ、

その被写体に、敢えて眼差しを向けて、

それを写真で表現せずにはいられないという、

さしせまった想いだけである。

それが写真を観る人の心を捕らえる。

ただ「好きだから」では、

観る人の「本当の」共感が得られないのは当たり前じゃないか。

気をつけないといけない。

(写真 GX200)

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2009年2月17日 (火)

これを「恐慌」と呼ぶ

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今日、「恐慌と戦争」という言葉が並ぶのを二度みる。

朝日のインタヴューとABCの座談会。

「この前の恐慌は、結局、ニューディールでは駄目で、

 第二次世界大戦が救った」

今年の初めにキッシンジャー氏が語ったのも、

「これは恐慌だ。しかし、もう戦争は出来ない」

そろそろ「恐慌」という言葉を使うべきだろう。

これを「恐慌」と呼ばないで何と呼ぶ。

歴史家・網野善彦氏が晩年に語ったこと。

「20世紀末から、この世界は、

 中世後期14世紀に比類すべき、大きな歴史的転換期に入った」

現代史はロシア革命をもって始まったとされる。

その「現代」が黄昏ているのは確からしい。

歴史と対話する時だ。

(写真 GX200)

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2009年2月16日 (月)

「浮世又兵衛」

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日曜美術館の「岩佐又兵衛 驚異の極彩色絵巻」を視る。

この絵師のことは詳しく知らなかった。

東博の「舟木本・洛中洛外図屏風」は知っていたけど、

彼の手になるとは…

独特の癖のある筆致は気になっていた。

信長に皆殺しにされた荒木村重一族の生き残りであるという。

落城時、僅か二歳で奇跡的に救い出される。

成長して絵師の道に入り、戦国末期、安土桃山、江戸初期と、

まさに中世から近世への変革期を生きた。

浮世絵の元祖的存在と言われ「浮世又兵衛」の異名も取る。

謎の多い数奇な生涯で、

研究も、ごく最近になって進んだようだ。

番組では「山中常盤物語絵巻」という特異な作品を紹介。

細密、極彩色の絵巻ながら、

鮮血が飛び散る殺戮シーンも展開される凄まじさ。

これはどうあっても、実際に戦国の血生臭い現場を、

知った者が描いたとしか思えない。

絵師の圧倒的なパワーと切ない感情が迫ってくる。

熱海のMOA美術館所蔵。

この美術館、かねて噂には聞いていたけど、

これで観に行きたくなってしまった。

他にもいくつか又兵衛の作品を持っているようだし…

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PBNC400)

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2009年2月15日 (日)

「さるさる」と…

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外気温、一気に上昇。

クシャミ数回…

春の陽気だが、花粉のほうも気になり始めた。

「大河」の再放送を聞きながら仕事をしていたら、

また信長がしきりと、

「さるさる」と秀吉を呼び棄てているのが気になった。

(このワンパターンな演出はもういい加減にして欲しい)

信長が秀吉を「さる」と呼んでいたのか、

本当はわからない。

多分そうではないだろうとするのが、もっぱらの説だ。

「さる」と呼ばれ出したのは、秀吉が関白になった後らしい。

その時の有名な狂歌がある。

「まつせとは べちにあらじ 木のしたの

 さる関白を みるにつけても」

この「さる」とは、あのとか、例のとかいう意味と、

(口にするには、憚れるほど卑賤の出であるという、

 意味も込められていると思う)

「猿」を掛けたものか。

その辺から、秀吉の「百姓」どころか、

(本来百姓とは、れっきとした姓を持つ様々な生業の、

 自由民のことだ。秀吉の本姓は今もって不明だ)

もっと下層の、あるいは中世後期に、

賤視され始めた非農業民の出身説が、

現実味を帯びてくるわけだ。

(写真 GX200)

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2009年2月13日 (金)

繋がっている

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中世世界で起こったことにこだわり続けている。

我々の生きる現代社会と、

一体、どんな関係があるのだと聞かれそうだけど、

筆者はしっかりとした繋がりを感じている。

今なお盛んな風習や迷信。

縁起かつぎ、畏怖、穢れ、差別…

世襲や血筋、あるいは美意識、伝統芸能といわれるものまで…

ひとつひとつを調べていくと、

確実な文献史料で遡れるのは、

中世後期の室町期までということが実に多いのだ。

それより先の時代は一挙に史料が少なくなって、

伝説の世界になってしまう。

現代社会では、とっくに根拠や合理性を失っているはずで、

時には、人格や人間性を暴力的に否定しまうような、

不条理というべきもの。

それらが形を成し、根付き始めたのは中世後期の世界だった。

今に残る風習や迷信の類は、まさにその上に乗っかっている。

言うまでもないが、

その歴史的な背景や理由を知ろうともせずに、

ただ守ることだけに価値を見出しているのなら、

馬鹿げたことになる。

(写真 GX200)

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2009年2月11日 (水)

異形の神像(3)

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中世世界にあらわれた異国渡来の神には、

「新羅明神」の他に、

「牛頭天王」「魔多羅神」「赤山明神」「宇賀神」などがあるという。

神だか仏だかはっきりしない、これらの神々のことは、

今もって諸説紛々謎だらけで、研究も始まったばかりだ。

しかし、こういった神々の背後に、

中世世界の本質に迫る、何か大きなキーとなるものが、

隠れているような気がするのだ。

「新羅明神」は「老翁」の姿で示現した。

中世世界では「翁」は、様々な神がとる姿である。

室町期の能役者、金春禅竹(1405~68)は、

その著「明宿集」の中で、

猿楽能の神は「式三番」に現れる「翁」であり、

諸神、諸仏、諸天、歴史上の偉人、高僧、歌聖を列挙しながら、

すべて「翁」と同一体であると記す。

金春家の遠祖とする朝鮮半島からの渡来人「秦河勝」が、

その中に含まれているのも、やはり偶然とは言えまい。

(写真 GX200)

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2009年2月10日 (火)

異形の神像(2)

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滋賀県大津市にある三井寺(園城寺)(寺門)は、

残念ながら、まだ訪ねたことはない。

是非とも、一度探索してみたいものだが、

その広大な寺域を描いた桃山期の絵図などを見ると、

多くの堂塔ともに堅固な石塁と水堀が、

周囲を廻っているのが解かる。

中世を通じて比叡山・延暦寺(山門)との激しい抗争で、

10回以上も焼き討ちに遭っているのだ。

「新羅明神坐像」は寺内の「新羅善神堂」(国宝 14C)という、

小堂に祀られている。

「堂」とはいっても、神仏習合の名残りで、

建築様式は神社のそれと変わらない。

14世紀に足利尊氏が寄進したことになっているが、

ここで気になるのは、源氏との深い関わりだ。

先祖で甲斐・武田氏の始祖、源義光がこの神前で、

元服し「新羅三郎」と名乗っている故事もある。

爾来、源氏は三井寺と新羅明神の強力な庇護者であり続けた。

常に権力や利権にこだわったこの一族が、

海運や交易に、極めつけに有利なコネに、

目を付けなかったとは考え難い。

この朝鮮半島渡来の異形の神と源氏との関係に、

何かただならぬものを感じてしまうわけだ。

(写真 GX200)

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2009年2月 9日 (月)

異形の神像(1)

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「国宝 三井寺展」(サントリー美術館 3/15まで)

三井寺(園城寺)の秘仏の数々や絵画、古文書など、

かなり充実した展示内容だ。

中世の信仰世界の一端を知るに絶好の機会だけど、

特に強い興味を持ったのは仏像ではなくて、

「新羅明神坐像」(国宝 平安11C)だった。

下がった目じり、長いあご髭、高い鼻の異様な容貌、

中国風の装い、もとより日本古来の神ではなく、

その名の如く朝鮮半島渡来の神であるという。

三井寺を中興した智証大師・円珍が唐からの留学の帰途、

船上に「老翁」の姿で示現し、守護を誓った神と伝える。

三井寺では爾来、この神を鎮守として祀り、秘仏とする。

(通常は地主神を鎮守とする例が殆んどだが、三井寺では、

 別に地主神がいる。「三尾明神」といい、今回も神像を展示中)

実に異形の神像である。

しかも、本地仏を文殊菩薩とし、神仏習合説にも則っている。

中世の信仰世界は複雑で奥深い。

三井寺が朝鮮半島と深い交流を持っていたのは確かで、

(円珍の留学も物心両面の多大な援助を受けたらしい)

中世を通じての、人々の頻繁な往来が想像出来るだろう。

話は変わるが、祇園祭の「牛頭天王」も、同じく渡来の神とされる。

疫神であり、中世世界で怖れられた疫病といえば、

「もがさ」(疱瘡)だ。

これも新羅の国からやってきたという。

話は北東アジア全域へ広がっていく。

この神像だけでも、一見の価値はあると思うのだ。

(写真 GX200)

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2009年2月 5日 (木)

変革期を生き抜く

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一昨日の「大河」の戦国ネタはアクセス多し。

やはり、戦国ブームなのか。

しつこいようだけど、中世史にこだわる筆者は、

この時代をあくまでも、中世末期の世界と捉える。

戦国というと、何か特別な時代と考えがちだが、

(今のブームはこの時代を現代社会に比定し過ぎるきらいがある)

人々は、れっきとした中世世界の価値規範の中で生きていたのだ。

ただ中世であっても、末期であることは確かで、

近世への移行期、変革期であり、

様々なことが激しく変動した時代だった。

今度の「大河」の主人公である直江兼続は、まさにその変革期を、

苦闘しながら生き抜いた人だろう。

ドラマの人物像も、そういった視点でイメージするべきではないか。

そのほうが今年の空気に合っていると思う。

まるっきりの嘘とは言わないが、

「愛」とか「義」とかじゃ、お目出度すぎる。

(写真 GX200)

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2009年2月 4日 (水)

地中の金は誰のもの?

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庭に埋められた3億6千万円の行方。

そもそも、人は何故地中に金品を埋めるのか。

脱税、隠匿、それとも…

列島各地で発見される、地中から古銭ざくざくという話は、

その殆どが中世に埋められたことが判っている。

「埋納銭」という。

(2008 6/22 投稿 宋銭の謎 参照)

先週末に行った葛飾区郷土と天文の博物館では、

2000年に「埋められた渡来銭 中世の出土銭を探る」と、

題した企画展をやっている。

葛飾区西亀有で出土した「埋納銭」の調査結果を紹介しながら、

中世世界における、

銭を埋める行為の意味について探る展示だったようだが、

是非見ておくべきだったと思う。

ちなみに、今のところ最も有力な仮説は、

土地を利用するにあたり、その場所にいる「地主神」を鎮め、

使用許可を得るために捧げられた銭だとするもの。

現在でも広く行われている「地鎮祭」の起源のような感じだ。

地下は、神仏の住む世界とされたから、

埋められたものも当然、神仏に帰するわけだ。

(写真 GX200)

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2009年2月 3日 (火)

戦国の男

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知人から、今年の「大河」の評判を聞くに、

主役の直江兼続を演じる妻夫木君が、

今風の男の子過ぎて、

「戦国の男」らしくないというのがあった。

まったく、そのとおりだと思う。

実際の中世末期、「戦国の男」のイメージと言えば、

「泥臭く」「汗臭く」「血生臭い」という風になるか。

その線でいくと、

一昨年の「大河」の山本勘助を演じた内野聖陽は、

かなり近いイメージをつくるのに成功していた。

しかも、従来の勘助像に、

独特の滑稽さや一抹の哀しさも加わり、好演だった。

(写真 GX200)

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2009年2月 1日 (日)

下町の中世

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風雨強し。

午前中時間をつくり、例の「中世女性の斬首頭骨」が出た、

葛西城址の出土品と発掘概要の展示を観に、

葛飾区郷土と天文の博物館へ。

出土状況を再現した模型、葛西城の想像図、

出土品の中世古陶片、漆器、櫛、下駄、扇、

鉄砲玉、鏃、小刀、甲冑残欠等々を拝観。

この手の中世城郭址としては、出土品は豊富だと思う。

(水気を含んだ土質のため有機質の遺物の保存状態が良かった)

いわゆる東京の低地帯、下町地区に、

注目すべき中世遺跡がこんなに多いことにも驚く。

この博物館では、

今までも積極的に中世史関係の展示を行ってきたようだ。

1993年10月に開催された特別展「下町・中世再発見」の、

図録を購入。@¥1290

こんな面白い企画をやっていたのを知らなかった。

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(写真 GX200)

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