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2009年3月23日 (月)

シュタウフェンベルク大佐の孤独

B09030202

劇場にて映画を観るのは実に久しぶり。

「ワルキューレ」を観賞した。

悪天とあって、客席はまばらだった。

いろいろ言いたいことはあるけれど、

頭を整理しながら、ぼちぼちと書いていくことにする。

今宵はちょっと、ということで。

トム・クルーズにはやはり、

フォン・シュタウフェンベルク大佐の役は荷が重かったか。

ドラマなのだから、彼の心の内面の葛藤を、

もっと丁寧に描きこむ必要があった。

全編を通じての物足りなさはそこから来ていると思う。

以前にも「7月20日事件」を扱った映画は、

ドキュメンタリーを含めていくつか観ているが、

劇映画として正面から扱ったものはこれが初めてだろう。

細部の考証は70年代の映画に比べれば、

格段に力が入っているのは理解できる。

(実物のJu52がブンブン飛び回るのはなかなか)

新解釈もあった。

(爆弾が一つしか起爆出来なかったのは、

 セット中に邪魔が入ったから)

重い戦傷を負って障害者になったシュタウフェンベルクの視点も、

新たに加わっているかもしれない。

それ故、彼には警備が甘くなったり、

それに同志が期待したふしが描かれている。

後に事件に加わって生き残った同志も回想録で、

「他に健全な両目と両手を持った将校はいなかったのか?」

「君たちは体の不自由な人に爆弾を持たせて、

 暗殺行為をさせたのか?恥じるがいい!」

という痛恨の言葉を残していた。

あの時、シュタウフェンベルクしか疑われずに、

ヒトラーに近づけなかった事情があったにしても。

彼にはナイーブで孤独な印象が拭えないが、

外からは誰にも覗えない、悲しみや苦しみがあったはずなのだ。

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PBNC400)

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コメント

シュタウフェンベルク大佐の決断の背景が今ひとつ分からなかったのです。
将校としての軍やナチとの関わり、負傷、宗教的な動機、家族への思い、いろいろあったと想像するのですが。
すべての国民がしんからナチを支持していたわけではないのに、現実としてはヒトラーがすべてを主導し、国民はその流れを留めるすべを失ってしまったという理不尽さ。
トム・クルーズじゃなくて、ドイツ人が主演すべきだったのでしょうが、いなかったんでしょうね。
せめて共演のケネス・ブラナーがやっていたら、違っていたかも。

投稿: 胸の振り子 | 2009年3月23日 (月) 00時53分

古今、この事件をテーマにした著作や映画で常に問題になるのはそこなんですよ。何故彼がどうしてということ。こういった劇映画ではそのあたりをいかにして埋めていくかが妙味で、観客がなるほどと思うストーリーや役者の演技を提示しなければなりませんね。今回はそれが不十分でした。これは今の我々にとっても重い問題を投げかけています。特に「日本人」には理解が難しいことでしょう。ちょっと大変ですが、本文でおいおい触れていきます。

投稿: kansuke | 2009年3月23日 (月) 10時42分

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