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2009年3月 3日 (火)

生母の力(1)

B09030201

昨日の「大河ドラマ」で、もう一つ見逃せないところがあった。

やはり、中世世界での女性の役割のこと。

妙椿尼が口走ってしまった謙信の「遺言」を、

今度は、跡継ぎとされた景勝の生母(しかも先代謙信の同母姉)

仙桃院が「真正」と宣言する場面だ。

ここで、景勝の跡継ぎの地位は決定的になるはずだった。

なぜなら、中世世界の当主、正嫡の生母は、

圧倒的な権威を認められていたからだ。

北条政子や日野富子が絶大な権力を振るえたのも、

将軍やその正嫡の生母であったからである。

何も彼女たちが類稀な「悪女」だったからではない。

当然の権利を行使したに過ぎないのだ。

しかし、時代が下るにつれて、これを認めない風潮が出てくる。

それは、様々な「差別」が形を成し始めた時期と一にするようだ。

室町後期から、戦国、安土桃山期あたりが境か。

取りを飾った淀殿もまた、当然の権利を行使しただけなのに、

「淀君」なんて蔑称を奉られて、「悪女」にされてしまった。

(写真 GX200)

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コメント

淀君、淀殿という言い方は、ちょっと侮っているわけですね。
去年、淀城へ行ったのですが、ウソかホントか、晩年の秀吉が茶々の気を引くために贈った城と、由来状に書かれていました。
三つの川が合流し、京大阪近江間の水上交通を取りしきる要衝の地に建っているわけですが、眺めもすばらしかったに違いなく、女性が「ステキ!」とか言いそうです。
江戸の神田川に架かる淀橋の由来には、家康が淀川の眺めを連想してそう付けたとの伝承がありますね。家康としては淀殿の怨霊はかなり気になったでしょう。あるいは江戸市民は、そういうふうに気を回したに違いありません。
しょっちゅうヨドバシカメラに足を運ぶわれわれは、淀殿をぞんざいに扱う資格はないわけですね。

投稿: 胸の振り子 | 2009年3月 3日 (火) 21時55分

彼女の場合、本名(いみな)が「茶々」と判っていますから、本当はそう呼ぶべきなんでしょうが、当時の貴人は住んだ場所で呼んだので、「淀殿」あるいは「淀の方」となるわけです。私としては後者の「淀の方」がいいと思います。彼女の母親も「お市の方」といいましたから。「淀君」の「君」は遊女を連想させる、明らかに後世の蔑称です。遊女も、そもそも中世世界では蔑まれていなかったのですが…
いい加減、濡れ衣は晴らしてやらねば。

投稿: kansuke | 2009年3月 3日 (火) 23時18分

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