« 中世の職人の仕事 | トップページ | 「千体地蔵」 »

2009年5月21日 (木)

やはりあの一族

B09052001

「国宝・地蔵堂」がある正福寺は立派な禅寺である。

本堂の屋根をみるに「三つ鱗紋」

つまり、あの北条一族の縁深い寺であった。

この寺の縁起によると、若き執権、北条時宗は、

(あの一遍聖絵にでてくる、鎌倉に入ろうとした一遍一行と、

 円覚寺門前の木戸で行き逢い、追い払った一件は、

 2008 10/7 投稿 「弘安5年3月1日」で紹介)

この地で鷹狩りをした際に急病になったが、

夢中に地蔵菩薩から授かった丸薬で事なきを得たため、

この地蔵堂を建立したという。

もとより史実とは言えないけど、若くして病で急死した時宗だから、

さもありそうな話ではある。

ここ武蔵国は北条一族の「庭」といってよい。

1210年から滅亡する1333年まで、この一族から切れ目無く、

14人が武蔵守を務め、軍事警察権を握る守護職も独占した。

時宗も1266年から1272年まで守護職にあったとする説が有力だ。

彼がこのあたりによく出没していたとしても、不思議ではない。

(考えてみれば、金沢・六浦荘も武蔵国の南端にある。

 武蔵国は「大国」なのだ。ちなみに北条一族から出た、

 最後の武蔵守は金沢北条氏最期の当主、金沢貞将だった)

B09052002

(写真 CX1)

|

« 中世の職人の仕事 | トップページ | 「千体地蔵」 »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 中世の職人の仕事 | トップページ | 「千体地蔵」 »