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2009年9月24日 (木)

浅草・石浜

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浅草神社は浅草寺境内にあり、明治の神仏分離以前は、

浅草寺の鎮守であった。祭神は浅草寺の縁起にかかわる、

檜浜成、竹成、土師直中知となっているが、

古代氏族土師氏の氏神的存在ではなかったかとも言われている。

因みに、浅草寺が土師氏の私寺として創立した説や、

(私寺といっても侮れない。官寺に比べて記録が少ないだけだ)

土師氏は半島の渡来系との説がある。

中世世界の浅草は、

近隣の石浜が隅田川と江戸湾の合流点にあたり、

隣国下総との境界だったため、湊が開かれ、

都市的な場になって、かなり繁栄していたらしい。

六浦―神奈川―品川―石浜 という航路も想定出来るという。

吾妻鏡に頼朝が鶴岡八幡宮を造営した際に鎌倉では、

大規模な寺社建築の技術を持つ大工が見つからないので、

浅草寺に属していた大工を呼んだとあるのは有名な話だ。

(古代・中世の浅草寺はすでに大寺だった)

例の弘安5年(1282)一遍鎌倉入り事件の直前に、

(2008 10/7 投稿 弘安5年3月1日 参照)

一遍一行が数ヶ月滞在したことも「一遍聖絵」に記されている。

後に一遍の弟子たちが浅草・石浜に時宗の道場を設けているのは、

あの「西仏の板碑」との関連が何となく想像出来るようで面白い。

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(写真 CX1)

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コメント

先日は、写真展ご来場ありがとうございました。

土師師は、渡来系の土木事業をよくする氏族で、春日や、秋篠、菅原道真が同族というのを読んだ記憶があります。堺の方に土師ニサンザイ古墳という古墳があって、昔、見に行きました。
関西方面には、土師の姓を時々見かけ、ハジよりもハゼと言ったりします。自分の師匠筋の先生(大阪)が、この姓でしたが、恐れ多くて、どういうお家柄か聞かれませんでした。
浅草近辺は泥湿地だったので、土師直中知(真土)は、待乳山(真土やま)聖天の一帯の開発造成に関わったのかもしれません。待乳山聖天自体も、なにか渡来神の匂いがぷんぷんします。
浅草寺の絶対秘仏の観音さまが秘密を握っているのかもしれません。

投稿: 胸の振り子 | 2009年9月24日 (木) 10時08分

この前はあまりの心地の良さについ長居をしてしまい、失礼しました。
浅草の奥深さに目覚めたようです。これからも折に触れて探索を続けようと思います。確かに観音様が全てを握っていますね。
週末にもう一度会場に伺おうかと考えていますが、どうなりますか。土曜夕の打ち上げは微妙かな…

投稿: kansuke | 2009年9月24日 (木) 22時40分

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