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2009年10月の記事

2009年10月31日 (土)

宿山橋の月を観ばや…

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宿山橋は「もう一つの暗闇坂」の目切坂(鎌倉道)を、

(2009 10/8 投稿 もう一つの暗闇坂② 参照)

下ったすぐ先の目黒川に架かる。

この宿山という名前の由来が気になっている。

かつて目切坂上には富士塚があった。

目黒元富士といわれ、広重も「名所江戸百景」に描くところだ。

地元、目黒村富士講の人々が江戸・文化年間に築いたものだが、

現在はマンションが建ち、失われてしまった。

目黒村富士講の印が○に旦の字であったため、

この山全体が「丸旦山」と呼ばれていたこともあったらしい。

もちろん、これは江戸末期になってからの呼称である。

「宿」とは江戸期の街道宿場だけでなく、中世世界では、

特定の職能集団が集住する都市的な場を指すことがある。

中世の「宿」は主要な道に沿った坂や河原などの境界地に、

立地することが多いから、筆者は怪しいと睨んだわけなのだ。

そうしてみると、目切坂上に住んでいたという、

ひき臼の目切をしていた石工の伝説も妙に説得力を持ってくる。

(2009 8/10 投稿 もう一つの暗闇坂③ 参照)

(写真 CX1)

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2009年10月30日 (金)

父親の手帳

8月に青梅のトランクルームで整理した父親の遺品から、

何冊かの手帳が出てきた。

(2008 8/25 投稿 青梅にて 参照)

60年代の終わりから70年代の初頭にかけて、

ヨーロッパを訪れた時のものと思われる。

各地の美術館やワイナリーでのメモ、日録などか。

当時は香港経由だったらしく、

裏表紙に香港のスケッチを見つける。

この週末、読解を試みることにしよう。

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(写真 CX1)

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2009年10月28日 (水)

「コンゴー」の由来は…

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台風一過となるも、何故か頭痛に悩まされる一日。

スピードが速い台風で、気圧の変化が急だったからか。

そういえば、昔経験した軽い高山病に似ているような…

コンゴーレンズの名前の由来に諸説あり。

直接、山崎氏に伺ったところでは、

日本海軍の戦艦「金剛」に因んだ説が有力だけど、

それも伝聞の域を出ずということらしい。

また一説に、金剛石のダイアモンドをイメージしたとも…

同じ日野市で近隣の高幡不動も「金剛寺」という寺号だし…

海外ではアフリカの某国の名前と間違えられて、

往生したと山崎氏は話してくれた。

いずれにしても、筆者は「コンゴー」という語感や響きに、

言い知れぬ懐かしさや親しみを感じ、好ましいと思っている。

(写真 CX1)

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2009年10月26日 (月)

コンゴーレンズ探訪 (2)

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コンゴーレンズを製造している山崎光学研究所の創立は1924年。

1931年に日本で最初の純国産大判カメラ用レンズを開発生産する。

爾来、70有余年、激動の現代史の中、紆余屈折(曲折)を経ながら、

プロ用の大判レンズを供給し続けているのだ。

1972年、創業地、中野から、ここ日野市に移転。

一時は写真用のみならず、各種工業用のレンズも供給し、

スタッフ、従業員も抱えていたが、

現在は経営者の山崎氏お一人で、

レンズの組み立てや発送販売を行っている。

上写真

「移転当時は、ここは一面の田んぼでした」と語る山崎氏。

「今でもこの窓からレンズのテスト撮影なんかしています」

製品検査に使う機材にも歳月が…

下写真

「こうやってレンズを一本一本、私が注文を受けて、

手作業で組み上げるのです」と山崎氏。

その様子に釘付けになる東京8x10組合連合会会頭の里坊氏。

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山崎氏のこの手が、筆者愛用のワイドアングルコンゴーを、

組み上げたのだと思うと、何か心に熱いものがこみ上げてくる。

これからも末永く大事に使おうと誓う。

ここでまた思い出したこと。

筆者がカメラを持ち始めた頃、父親とレンズの話をしたことがあった。

その時、微笑みながら父親は、

「日本にはコンゴーレンズというのがある」と教えてくれたのだ。

だからコンゴーレンズの名前だけはずっと頭の隅にあった。

やがて時が経ち、大判写真をはじめて、

その実物と出会い、今がある。

実に感無量。

(写真 CX1)

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2009年10月25日 (日)

コンゴーレンズ探訪 (1)

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本日、東京8x10組合連合会のメンバーと共に、

念願のコンゴーレンズ、山崎光学研究所へ行って来た。

上の写真は、

勇躍、目的地に乗り込むメンバーたち。

同研究所が所在する東京の西方、日野市の風情。

そして、晴れて10年ぶりに里帰りした筆者愛用の、

ワイドアングル・コンゴー 120㎜ F6.3

しかしながら…

今宵、新しい携帯習熟のため、眼精疲労甚だしく、

詳しくは明日に送ることにするので、ご容赦を…

(写真 CX1)

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2009年10月24日 (土)

富士を飛び越える駿馬

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東博で印象に残った作品をもう一つ。

「甲斐の黒駒」に乗り、

富士を飛び越えようとする聖徳太子と舎人調使麿。

平安時代に創作された太子伝承だ。

図は平安後期の法華経の巻頭に描かれたもの。

描かれた富士も中世世界でのイメージであり、興味深い。

 (中世末期では、頂上は三つの峰に表され、

  それぞれの峰に阿弥陀、薬師などの本地仏が描かれる)

いわゆる富士信仰は中世後期から江戸期にかけて盛んになる。

中世末期の富士信仰の様子が、

詳細に描かれている「富士参詣曼荼羅」(重文・浅間神社)は、

去年、三井記念美術館で公開されたが見逃してしまった。

機会があったら、是非観てみたい。

(写真 CX1)

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2009年10月22日 (木)

戦国の二人…

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昨日の東博で印象に残った作品を少し。

紅葉の名所、洛北・高雄の清滝川に架かる橋上で、

紅葉狩りを楽しむ男女。

(国宝 観楓図屏風 部分 室町末期 本館常設展示より)

時は中世末期、戦国の世である。

明日をも知れぬ日々に、

二人は束の間の幸福を味わっているのだろうか。

今でも、彼らの気持ちがストレートに伝わってくるようで、

暫し、その時代に想いを馳せてしまった。

そう言えば、清滝川はかつて撮影計画を立てたことがあったな。

勿論、まだ果たせていないけど…

(写真 CX1)

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2009年10月21日 (水)

上野公園にて

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午前中、新宿にて所用。思いついて上野の東博へ。

秋深まる上野公園どころか、汗ばむくらいの陽気になる。

東博の特別展「皇室の名宝」の第一期、

(2008 9/28 投稿 日々の写真 9/27 参照)

「永徳と若冲…11/3」を覘いてみたのだが、

(言うまでなく、11/12からの第二期のほうがお目当てである)

平日にもかかわらず、かなりの混雑だった。

まぁ、永徳の「唐獅子図」は観ておくに如かず。

黒山人気の若冲に関しては、筆者はすでに食傷気味なのだ。

ずらっと並べてみても、流行りのちょっとした、

着物柄デザインという感じになってしまって…

やはり見物は岩佐又兵衛の「小栗判官絵巻」だろうか。

本館常設展示の方に印象に残るものがあった。

「一休和尚像」(重文・室町)はこの時代の肖像画の白眉。

もとより一休は、筆者が魅かれてやまない中世人の一人だ。

(写真 CX1)

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2009年10月12日 (月)

南青山にて

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午前中に行きつけのヘアサロン、昼前に南青山へ。

新装成った根津美術館の特別展、第一部、

「国宝那智瀧図と自然の造型」(~11/8)を観る。

中世の宗教的世界観を考察する上で、

ここの那智瀧図は見落とすことは出来ない。

例によって、スコープを駆使して詳細に観察する。

深い絵なので、感想は後ほど述べる。

気持ちのよい日本庭園で少し撮影。

澄んだ木陰の小径で、

ペンEP-1のホワイトボディを下げた女性と鉢合わせして、

思わず目が合い、苦笑いしてしまった。

新しい根津美術館は和の伝統と現代の調和という、

コンセプトで設計されているとのこと。

派手さはないが、大きすぎず小さすぎず、

観覧する人には疲れない、手頃な美術館に仕上がっていると思う。

那智瀧図の熊野をイメージしたのか、

エントランスにさり気なく使われた「那智石」が印象に残る。

かつて父親が、横浜の旧居の玄関に張り詰めさせて、

その謂れを自慢げに話していたのが、

昨日のことのように思い出された。

(写真 CX1)

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2009年10月 5日 (月)

2004年 板橋の夜で…(2)

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渋谷区立松涛美術館にて、

「生誕120年 野島康三 肖像の核心展」(~11/15)を観にいく。

ライカ登場以前の前世紀初頭、

写真のクラシックな絵画的表現全盛時代から活躍した、

野島康三(1889~1964)の作品群を回顧する展示。

人物、風景、静物など、

銀塩によらないゴム印画、ブロムオイル法によるプリントは、

独特の何ともいえぬ柔らかさに溢れ、今でも魅力的だ。

しかし、まだ絵画と現代的な写真表現の過渡期であり、

作家が表現に苦闘する有様が如実に現れている作品も目立つ。

“F”という一人の女性モデルを執拗に追い続けた一連の作品には、

強い印象を受けるが、同時に痛々しさも感じられて、

長くは観ていられないものがあった。

やはり、写真表現者は、

被写体に執着し過ぎてはいけないのではないか。

(写真 Caplio G4 Wide)

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2009年10月 3日 (土)

大規模開発の無い世界

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政権交代であちこちの大規模開発の行方が怪しくなっている。

社会が今までとは逆の方向を向き出した感がある。

もし、この流れが本当なら、実に400年ぶりのことだ。

つまり、中世が終って以来ということ。

中世世界では権力による大規模開発が行われなかった。

古代は国家的な大規模開発の時代だった。

都の建設、区画整理された村落、太く真っ直ぐな官道…

全てにコストがかかり過ぎ、社会が疲弊した。

しかも、程なく維持出来なくなり、荒廃にまかせるしかなくなった。

それが中世の始まりである。

中央集権的な権力は弱体化してバラバラになり、

いくつもの権威が分立した。

開発も地域の身の丈にあった必要な工事しか行われなくなった。

多くの場合、負担は施設を利用する人々の自前であったり、

臨時の課税(該当地域に関所を設けて通行税をとるなど)や、

勧進聖と呼ばれる宗教者が勧進(寄付)を募ることで賄われた。

中世が「自力救済の時代」といわれる所以だ。

その中世世界の終わりは、

信長、秀吉、家康の豪壮な城郭と城下町の建設に始まる。

江戸開府は大規模な都市開発をともなった。

放棄されていた広大な低湿地や水利困難な荒地は、

水田(新田)に変貌し、

河川は流れを変えさせられ、運河が張り巡らされる。

こういった近世の大規模開発は明治以降、戦後とずっと続く。

だから、今、その向きが変わったとするなら、

中世が終って以来の「歴史的」なことと言えるかもしれないのだ。

(写真 CX1)

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2009年10月 1日 (木)

2004年 板橋の夜で…(1)

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(2009 9/2 投稿 2004年 銀座の夜で…)に続いて板橋の夜。

田中長徳氏の「デジタルで東京の夜を撮る」ワークショップでは、

銀座、板橋、六本木と撮影実習があった。

どこも、それぞれ刺激的だったが、

やはり極め付きは、板橋の夜だったと思う。

夕刻、暗くなってから、

板橋駅前、近藤勇墓の前からスタートして、

例によって、漆黒の路地裏を縦横に駆け巡り、

トプコンの裏通り、長徳氏行きつけの飲み屋さんで上がり。

渋谷から埼京線で僅か15分くらいなのに、

この街には実に異界の雰囲気があった。

ちょうど、かつでの中仙道、板橋宿あたりで、

江戸ご府内の境、刑場跡と、いろいろと興味深いスポットも…

写真は中山道(現国道17号)沿いで見つけた怪しげな稲荷社。

(写真 Caplio G4 Wide)

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