« 幸福な時代 | トップページ | 東博・秋の特別展第二期へ »

2009年11月11日 (水)

「世上の乱逆追討、耳に満つと雖も…」

B09111001

朝刊に「冷泉家 王朝の和歌守展」(~12/20 東京都美術館)

の全頁広告を見る。

今週は上野へ、例の東博、特別展示第二期を観に行きたいが、

(開幕12日は全館入館無料日とかで、大変な混雑が予想される)

まず、入館は無理であろうな。

その場合は、前者の展覧会も悪くないか。

この前の週末に覘かれた胸の振り子さんによれば、

定家自筆本の「明月記」が観られるらしいし…

「明月記」といえば、有名な治承4年(1180)9月の、

「世上の乱逆追討、耳に満つと雖も、之を注せず。

 紅旗征戎は吾が事に非ず」の項を是非観てみたいが、

調べてみると、この巻は今回の冷泉家所蔵ではなくて、

流出して今は天理大学にあるのだと云う。

もっとも、この一文は定家が若き日に記したのはでなく、

晩年に至って書き入れたものというのが定説になっている。

定家らしい自意識過剰のカッコつけ方ともとれるけれど、

その生涯を通じて、絶えず揺れ動く、

彼の表現者としての意識が思いやられて、

筆者には何故か憎めないのだ。

書架の底から、高校時代の終わりに読んだ、

「西行と定家」(安田章生著 1975 講談社現代新書)

を取り出してきた。

今はこんな読み方はしないのだが、傍線だらけだった。

もう一度読んでみよう。

(写真 CX1)

|

« 幸福な時代 | トップページ | 東博・秋の特別展第二期へ »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

このセリフは19歳の若者にのみふさわしいわけで、オッサンが口にすると、「何を血迷ったのか」と言われますね。
達者な毛筆の文字面を眺めていると、伝統的な日記の方が、ブログなどというあやふやな形式より遥かに自由で寿命が長いという感想が浮かびました。

投稿: 振り子 | 2009年11月10日 (火) 23時34分

今、研究に貴族の日記を使っているものなので、これは見なければという、展覧会です。どうしても活字版で貴族の日記しか
手元に取れないので、生の字からしか読み取れない呼吸…墨をどこで継ぎだしたか、
字の乱れ等―心の揺れを感じとれる事は在り難いですね。
そして何より、私は定家の文字が好きなので、楽しみです。
今度日記や貴族を題材に、ブログの記事を
書こうと思案しています。
家によっても日記の形式が違って興味が尽きない世界です。
そして社会的な大きな役割を背負った装置でもあったと思います。

投稿: 八束文言(Yatuka-Humitoki) | 2009年11月11日 (水) 13時02分

冷泉家から「名月記」も含め、時雨亭文庫の写真版が発行されていますね。
1巻3万円もするしろものですが。
自分は「訓読名月記」の書キ込ミアリ安いの古本を見つけ、注文しました。
明日届くところです。

投稿: 振り子 | 2009年11月11日 (水) 21時50分

振り子さま。
他愛の無いボヤキも正統的な日記の上であれば、含蓄深い独白となりますが、ネット上のブログなんて、まだガスのようなものです。今、父親の旅の手帳を読みながら、日々その感を強めております。
定家の偏屈にはずっと魅かれ続けていますね。明月記はもっと手軽に読めたらいいんですが…

投稿: kansuke | 2009年11月11日 (水) 22時22分

八束文言さま。
中世の貴族の日記は実用的な意味合いが強いのでしょうが、やはり日記ならではの迫力に魅かれます。定家のように、時々差し挟まれる独白的な一言にも… 中世人と我々現代人では、価値規範が違うとは思いつつも、時を超えて人間の息遣いのようなものをそこに感じてしまうのですね。もちろん定家の書もいいです。

投稿: kansuke | 2009年11月11日 (水) 23時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 幸福な時代 | トップページ | 東博・秋の特別展第二期へ »