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2009年12月23日 (水)

別所坂にて(3)

B09122102

B09122201

まず、昨日のA説についての論点。

学芸員の方によると…目黒川流域は低湿地で水害多く、

目黒川の水も海水が混ざるので灌漑に使えない。

耕作には全く不適で、別所坂近辺の水田開発は難しい。

…因ってこの説は採らず。

対して筆者は…別所坂近辺の淀橋台の崖線は入り組んでいて、

鎌倉あたりの谷戸のようであるから、必ず湧き水があるはずで、

小規模ながら、中世以来の古い棚田状の谷戸田が、

あったかもしれない。

(この辺は筆者幼少期の育った環境が影響しているかも)

もちろん、対岸目黒台の開けた良田は本村、否、

中世荘園の呼び方では、「本所」(ほんじょ)であって、

正式な課税対象である。

対して、こっち側の境界地にある条件のよくない棚田は、

課税対象から除かれた「別所」(べっしょ)となったのではないか。

…故に、この説を捨てることはなく保留とした。

「別所の起源説」に「別名」(べつみょう)と同じく、

荘園または国衙領で、課税外の私領と認められた、

新規開墾地や条件の良くない水田を(本所に対して)

そう呼んだというのがあり、

(筆者はこの説にある程度、説得力を認めている)

当地の場合、地形の状況からその可能性をみたわけなのだが。

(写真 CX2)

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