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2009年12月24日 (木)

別所坂にて(4)

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さて、B説だが、今のところ最有力なのは確かだ。

でも、別所の地名由来には答えていない。

吾妻鏡の出てくる「目黒の別所の某」という名前も、

目黒氏の一族で、別所というところに住んでいる者といった、

意味合いで、中世ではよく言い慣らわした通称であろう。

ここの別所の起源が鎌倉期以前に遡る可能性はある。

ただ、この界隈に地名の由来と関連しそうな、

古い宗教施設が見当たらないのが気になる程度か。

それはそうと、目黒一族の館址のこと。

前を流れる目黒川に河口の品川津から船が遡って来て、

物資を降ろす「舟入場」が出来たのは大正末期だが、

江戸期にも、江戸湾から新鮮な魚介を運ぶ船が上って来ており、

それが「目黒の秋刀魚」のネタモトになったともいうから、

中世以前の水運も考慮に入れてよいだろう。

もちろん、最寄りには目切り坂、宿山橋の中世古道が通る。

別所坂の谷戸の微高地に、この水陸両方の交通を監視出来る、

かつて「別所台」と呼んだところがあって、

現在、その辺りが館址とみられているのだが、未調査である。

 (一番下の写真は、

  1990年に碑文谷・円融寺の隣接地で発見された、

  目黒区で最初の中世遺跡から出土した遺物。

  10/14 投稿 もう一つの暗闇坂④~⑥ 参照

  16C戦国期頃の天目茶碗、かわらけ、古瀬戸片など)

(写真 CX2)

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