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2009年12月27日 (日)

坂の下

B09122601

豊島区の郷土資料館に、

雑司が谷・宿坂関係の史料を探しに行って来た。

文献史から近世・江戸期の雑司が谷を研究している学芸員の方と、

一時間あまり討議する。

思わぬ見落としがあった。宿坂の宿は坂下にあったのだ。

そう言えば、奈良坂、清水坂、極楽寺坂、いずれも宿は坂下だった。

豊島区では雑司が谷界隈の江戸期の古地図を収集し、

何枚かのセットで復刻、出版している。

今回、その地図を詳細に検討した結果、

宿坂下の神田上水と挟まれたごく狭い地域に、

「上宿」「中宿」の字名を発見したのである。

これは学芸員の方も初めて気づいたことらしい。

区の宿坂の案内板に、宿坂の名前の由来は、

坂上にあった例の中世の関によると書いてあるのだが、

(12/15 投稿 宿坂にて ② 参照)

それは誤りということになる。

(関を管理した関守も宿の人々であったとすれば話は別だが)

この坂がかつて、集落と集落の境界地であり、

(その古地図でも端っこだった)

現在も豊島区と新宿区の境界地であるため、

目が行き届かなかったのが正直なところだ。

神田上水(神田川)に架かる面影橋は「大橋」となっており、

上水が出来る中世以前にも、

何らかの小河川があったことが想定し得るが、

水運の可能性は無さそうだ。

一方、雑司が谷の由来となった、谷戸の存在もおぼろげながら、

浮び上がってきた。

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PR400)

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