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2010年1月の記事

2010年1月29日 (金)

由布姫の墓(1)

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 ……由布姫の墓は、彼女が長く住まい、そこで息を引きとった

    観音院の丘陵の中腹にあった。……

    勘助は従者たちを垣の外に待たせておくと、

    自分だけ墓所にはいって行った。そして彼は、

    恰もそこに由布姫その人が坐ってでも居るかのように、

    墓石の前に跪いて、

    「姫さま」

    と口に出して呼んだ。……(井上靖 風林火山より)

「風林火山」の原作では、勘助が由布姫の墓所に詣でる場面は、

上記の一回のみだが、「大河」は二回あった。

いずれも、わりと気に入っているシーンだ。

上は、その一回目のほう。

真新しい中世の卒塔婆がよく出来ていたと思う。

下は一遍上人絵伝に見える卒塔婆が立ち並ぶ光景。

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(写真 CX2)

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2010年1月27日 (水)

コレクション

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24日投稿の「海を越えた中世のお金展」で観た、

中世で流通した渡来銭ベスト10(1/24 投稿 2番目の写真参照)

に触発されて、コレクションしてみようと思い立つ。

行きつけになったコインショップに立ち寄り、

写真を見せて探してもらったら、とりあえず5つ揃った。

上から、第一位の「皇宋通宝」(北宋 1039頃 @¥200也)

第二位、「元豊通宝」(北宋 1078頃 @¥300也)

左より、第五位、「開元通宝」(唐 621頃 @¥200也)

第六位、「永楽通宝」(明 1408頃 @¥500也)

…これは去年11月に購入したもの。

第九位、「政和通宝」(北宋 1111頃 @¥200也)

…摩滅していたので、うっかり逆さまに撮ってしまった。ご容赦。

まぁ、これで、ささやかな「中世世界の夢」に浸れるというわけだ。

残りは引き続き求めることに。

こういうものは何時入荷するか判らないから、

まめに店を覘くことが必要だ(これは中古カメラと同じ)

(写真 CX2)

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2010年1月25日 (月)

同行二人

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胸の振り子さんの調査に同行して、県立金沢文庫・称名寺へ。

内容が中世史に関わる件であったので、

非力ながら、お手伝いを買って出たわけである。

幸いなことに、首尾は上々。

春未だ遠しと雖も、谷戸の小径に差す日は暖かだった。

本日の成果の詳細については、

右のブックマーク欄、胸の振り子さんのブログ、

“A Movable Feast”をクリック。

振り子さん、今日はお疲れ様でした。

また、どこか行きましょう。

(写真 CX2)

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2010年1月24日 (日)

「海を越えた中世のお金」展を観る

「海を越えた中世のお金展 ―びた1文に秘められた歴史―」

を観に、日本橋の日銀・貨幣博物館に行ってきた。

中世世界の渡来銭については、以下の投稿を参考。

(2008 6/22 投稿 宋銭の謎 参照)

(2008 11/29 投稿 霊力にあずかりたい? 参照)

(2009 2/4 投稿 地中の金は誰のもの? 参照)

(2009 10/19 投稿 永樂銭 参照)

展示品の中から、目についたものを紹介する。

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中世世界で流通した渡来銭ベスト10

多くが北宋銭(質量とも圧倒的に優れ、人気があった)

明銭、唐銭と続く。

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宮崎県西臼杵郡で出土した16世紀の「埋納銭」

渡来銭66種類、7719枚がこの壷に入っていた。

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銭一貫文目とはこのくらいになる。

銭の穴に縄を通して束ねた単位を「さし」という。

100文(銭96~97枚)を「一さし」 一貫文は「貫さし」と呼んだ。

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鎌倉時代の10文を再現。北宋銭(元豊通宝)だ。

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戦国期の甲州金。今回は甲州金各種の実物を展示する。

これは「碁石金」と呼ばれた武田氏が鋳造したもの。

甲陽軍鑑に信玄が自ら「両の手にすくいなされ、三すくい…」と、

手柄を立てた家臣に下賜したとある。

大河「風林火山」でも再現してみせていた。

(写真 CX2)

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2010年1月23日 (土)

岩崎弥太郎と鳥刺しパパゲーノ

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やはり、大河ドラマの岩崎弥太郎の扮装にケチがついた。

(1/11 投稿 宿坂下にて② 参照)

今週の週刊朝日に、三菱グループの関係者から、

「創業者・岩崎弥太郎が思った以上に汚い格好で出てきた」と、

失望と不満の声という記事。

筆者は第一回を視ていないが、

鳥篭を売り歩く弥太郎が農民からも嘲られるシーンがあったらしい。

それを視た知人は、

魔笛の鳥刺しパパゲーノを思い出したとのことだ。

実に、言い得て妙である。

今度の大河ドラマの製作者と脚本家は、事前の取材で何かを掴み、

(大河のリサーチは長期に及び、丹念なのは視て判る)

それを、このような形で表現しようとしているのか。

繰り返すが、この岩崎弥太郎の姿は「異形」なのだ。

高知に仕事で二年間赴任した人の話によると、

地元での岩崎弥太郎の人気が、

芳しくなかったのが意外だったとも云う。

筆者はもう、そろそろ(真相を明らかにしても)

いいんじゃないかと思うのだが。

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PR400)

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2010年1月22日 (金)

田楽と猿楽

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田楽と猿楽が並んで描かれている、室町期の絵画史料、

「七十一番職人歌合」を見つけた。

翁面をつけているのが、千秋万歳を寿ぐ式三番を本芸とする猿楽。

華やかな装束に笠をかぶり、編ざさらを持つのは田楽法師。

鎌倉末期から南北朝期にかけて、彼らは互いに芸を競い合う、

ライバルだったが、田楽は次第に衰え、

猿楽は能楽に発展して、武家のパトロンを得ていく。

しかし、江戸期になっても、弾左衛門・頼朝御証文にあるように、

能楽師たちは弾左衛門の支配下に置かれた身だった。

「弾左衛門とその時代」(塩見鮮一郎 河出文庫)に、

寛文11年(1667)弾左衛門の断りなしに勧進能を催そうした、

金剛太夫は弾左衛門配下の者の襲撃を受け、

桟敷舞台をめちゃめちゃにされたとある。

……………………

朝日夕刊、文化面に日銀本館の「貨幣博物館」で、

日本の中世通貨史の最新研究成果を紹介する、

「海を越えた中世のお金 展 -“びた一文”に秘められた歴史-」

(~3/14 入館無料)をやっていることを知る。

是非、観に行こう。

(写真 CX2)

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2010年1月19日 (火)

宿坂下にて(3)

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与党幹事長の政治資金疑惑騒ぎ。

闇雲につっぱる、彼の政治的な思惑がよくわからない。

同じく、付和雷同した首相も…

例によって権力構造が重層化し、一体誰が本当の権力者なのか。

この政治的状況、権力の分立と混乱は中世世界のそれと、

基本的に同じである。

(ますます、南北朝、室町期の政治状況に似てきたな。

 まぁ、この国の政治の後進性を示しているわけだけど)

しかし、この時間とエネルギーの浪費は、

彼らのみならず、現下、困っている多くの人々にとって、

迷惑この上もなく、失うものが大き過ぎるのではないか。

それにしても、新政権がこんなに子供っぽかったとはね…

(写真 CX2)

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2010年1月17日 (日)

寒波とこきりこ節

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今年の寒波と大雪で思い出すのが、

長野五輪の年、撮影行の越中五箇山中で聞いたこきりこ節。

このごろ、寒風の中を歩いていると、何故か、

あのメロディーがエンドレスで頭の中を回りだす。

たしか、泊まった合掌民宿の女将さんがこきりこの唄い手で、

筆者も彼女の節にあわせて、

「ささら」(編木=びんざさら)を初めて手にし、

興に乗り、伴奏したのだ。

(手首のスナップを効かして、シャキシャキと小気味良く鳴らす。

 かなりコツを掴んで褒められたのですぞ!?)

この中世世界の楽器が、いまだに現役なのも感動的だったが、

こきりこ節の旋律が中世歌謡そのもので、

現存最古の民謡と言われていることにも興味を持った。

中世では「ささら」は田楽法師という芸能民が盛んに用いようだ。

上の写真は「鳥獣人物戯画」で、

蛙が田楽法師に扮して「ささら」を操る場面。

ついでながら、91年の大河ドラマ「太平記」でも、

田楽踊りを再現して話題に。故野村万之丞の振り付けで、

かなり躍動的でリズミカルだった印象が残る。

こちらのサイトで動画が見られる。

田楽踊りの装束を着けた振り付けがあったのか。

http://www.gokayama.jp/monogatari/kokiriko.html

(写真 CX2)

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2010年1月16日 (土)

気分を変える読書(2)

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「弾左衛門とその時代」(塩見鮮一郎 河出文庫)所収の、

「頼朝御証文」をみると、

弾左衛門が頼朝から支配を認められた、28座の道々の輩の中に、

鉢叩(はちたたき)鐘打(かねうち)と呼ばれる、

一遍に従って諸国を遊行した時衆が挙げられている。

石切(石工)や関守も入っているし…

いずれも、雑司が谷・宿坂、

目黒・目切り坂の伝承で出会った人々だ。

一方、「日本史鑑定」(明石散人・篠田正浩 徳間文庫)では、

篠田氏

「…いずれにしても、日本の芸能にとって、時宗の念仏踊りは、

 外せない位置づけにあることは間違いないです」

明石氏

「篠田さんのその指摘を読んで大変感銘したんです。

 時宗の門徒の絶対平等主義は戦場で死体を片付けたり、

 人の嫌がる仕事を進んで引き受けたりする行為にも、

 繋がっています」

いやはや、またツボにハマッテしまったようで…

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PR400)

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2010年1月15日 (金)

気分を変える読書(1)

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読書も史料探索も、うっかりすると、

型にはまってきて、一本調子になってしまうことがある。

そんな時は普段なら手に取らないようなものを見つけて読むべきだ。

気分をガラッと変えて、頭をほぐすに如かず。

Amazonにて格安だった、(@\24也 送料\340)

「日本史鑑定 天皇と日本文化」 

(明石散人・篠田正浩 徳間文庫 2004) 本日届く。

出だしから、明石氏

「日本の古典の中でも、

 枕草紙と平家物語は超一級の名作だと思います。

 源氏物語は伝世している凄さはともかく、

 文学としてそれほど名作なのか疑問です。

 過大評価されているような…」

篠田氏

「日本のいろいろな文化のはじまりは、

 みんな室町(中世)ですね。亡くなられた司馬遼太郎さんも、

 『日本は室町からだよ』と口癖のようにおっしゃっていて、

 私の顔をみるたびに『室町をどう考えるか?』

 という話をされていました」

という具合で快調なのだが、果たしてどんなふうに展開していくか。

篠田正浩氏の近著、

「河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶」(幻戯書房)にも関心あり。

(写真 CX1)

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2010年1月14日 (木)

大津・関寺(2)

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一遍上人絵伝、大津・関寺の場面の終わりの部分。

池の中ノ島での踊り念仏を、対岸の本堂から、

見守る(僧兵スタイルの)三井寺衆徒たち。

(監視に近いか。どこか態度がでかく、

 あまり友好的な雰囲気ではないようだ)

実は、彼らは大津、関寺一帯を仕切っていたのである。

一遍一行が当地に着くと、三井寺から怪しい連中ということで、

道端の草堂に止め置かれてしまった。

しかし、粘り強く布教の趣旨を説いた結果、宜しいとの許可が出て、

目出度く、関寺での踊り念仏挙行となったわけだ。

この興行、かなりの人気を呼んだらしく、当初七日の予定が、

二十七日に延びたと、絵巻の詞書きにある。

衆徒たちの僧衣は(官僧なので)白袈裟、

一遍たち時衆の黒衣と対照的だが、稚児連れとは…

中世世界の境界地、坂、関、宿、市は「公界」(くがい)

つまり、無主の場、一種のアジールとも言えるが、

実際の支配は、有力な寺社が行っていたのだ。

(写真 GX200)

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2010年1月13日 (水)

大津・関寺(1)

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雑司が谷・宿坂下の探索。

坂、関、宿と揃ってきたが、もう一つは寺である。

関があるところ、必ず宗教施設がある。

調べていたら、中世の東海道、近江大津、

有名な逢坂の関の傍らに、

関寺(せきでら)という大寺(今は廃絶している)があったことを知る。

往還する旅人が必ず参拝する境界の聖地で大いに賑わったらしい。

一方で、乞食、非人が集住し、一遍も踊り念仏を挙行するような、

誰にでも開放された「公界」(くがい)でもあった。

このような寺は各地の関に存在しただろう。

2008年の暮れに東博で観た「一遍上人絵伝」に、

(2008 12/24 投稿 一遍聖絵を観る 参照)

(2008 12/25 投稿 絵巻物を写す 参照)

その大津・関寺の場面があり、撮影していたのでアップする。

写真上から、琵琶湖の浜に沿った東海道を往く、

旅姿の武士と従者の一行。大津の街並みに入り、

写真中、賑わう関寺の門前に至る。

築地塀の前には大勢の乞食、非人、病者が集い、

左上の白幕を張った小屋では、

僧が参拝者から喜捨を募っているのか。

ちょうど、一人の男が米を差し出している。

写真下、境内は大きな池が掘られ、中の島に仮小屋を設けて、

踊り念仏の最中である。

鉦をたたき、床を踏み鳴らす音が聞こえてくるようだ。

(写真 GX200)

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2010年1月11日 (月)

宿坂下にて(2)

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あまり関心が湧かなかったのだが、今年の大河ドラマを初めて視る。

若き日の岩崎弥太郎が、

何故、鳥籠売り歩く扮装をしているのか気になった。

そういった伝承とか、証言があるのだろうか。

二本差しであっても、かなり「異形」で、その意味を勘ぐりたくなる。

……………………

「弾左衛門とその時代」(塩見鮮一郎著 河出文庫)を読む。

巻末、弾左衛門の中世世界に遡る可能性について、

大いに頷かされるものあり。

江戸期に盛んに作られた由緒書や頼朝御証文などの、

偽書に出て来る話は、それはそれとしても、

鎌倉、極楽時坂下の宿の者や鶴岡八幡宮寺の神人に、

弾左衛門の起源を求める説を即座に否定することは出来まい。

ただ、今回の雑司が谷・宿坂探索で直面した如く、

戦国期以前の東国の中世史は、文献史料があまりに少なく、

殆ど空白で、書くことが無いため、

各区の郷土史資料館でも担当者泣かせなの状態なのだ。

現存文献や伝承の再検討、

そして発掘調査、フィールドワークだけが頼り。

稀に、安中市の山本勘助文書ような発見はあるのだが。

(写真 CX1)

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2010年1月10日 (日)

原宿にて(1)

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目黒・別所、宿山の探索にて、歌川広重の描くところの、

「名所江戸百景」を史料として参考にしたが、

実物の広重も観たくなったので、

浮世絵専門で知られる原宿の大田記念美術館へ。

こぢんまりとした路地裏の美術館なれど、なかなか入館者多し。

陳列作品との距離が近く、じっくりと観察出来るのがいい。

広重もさることながら、

江戸後期の絵画表現にいろいろと思うところあり。

例えば、年頃の少年と少女が炬燵でじゃれ合う図。

傍らの花瓶に生けられた一輪の水仙の花に、

寓意性が込められているのは明らかである。

筆者は、ギリシャ神話に纏わる、

水仙花と「ナルキッソス」の寓話は聞いたことがあるが、

東アジア、中国、日本のそれに類する話に、

特段、詳しいわけでもない。

でも、艶っぽい謂れであろうことは、ほぼ想像出来る。

この時代、まぁ、現代からちょっと前の近代に至まで、

絵画表現における「無意味」という概念が全く無かったのは、

中世世界と同じだ。

(写真 CX2)

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2010年1月 8日 (金)

中世の関所

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一昨日の投稿で調べた「一遍上人絵伝」で見つけた中世の関所。

右手、坂道の傍らに建つ、板葺きの関屋では、

二人の関守が旅人を監視しているようだ。

壁には油断無く、太刀や弓矢が立てかけてある。

上方の小さな祠は関の守り神、関の明神のものか。

あたりの木々は紅葉して、すっかり秋の風情の山中だが、

ここはかの白河の関である。

この坂道がいわゆる「奥大道」なのだろう。

雑司が谷の中世古道は、この道へ直結していたと考えられる。

(宿坂にあった関も、恐らくこんな感じだったのでは…)

南蔵院開山伝承が奥州平泉の藤原氏に関わるのは、

けっして偶然ではない。

(写真 CX2)

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2010年1月 7日 (木)

パスタは精進に限る?

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久しぶりに、新しいパスタのレシピを試す。

いろいろ作ってみると、結局のところ、

パスタは、肉類や魚介を全く使わない「精進」に、

行き着くのではないかと思うようになった。

やっぱり、このほうが飽きが来ず、身体にも優しいのだ。

まぁ、歳食ったせいでもあるが…そこで、

スペアミントとケッパー、ブラックオリーブのトマトソースのパスタを。

……オリーブオイル少々に、ガーリックペースト小さじ1を、

   極弱火で焦がさぬようにいためる。

……ブラックオリーブ(スライス缶半分)と、

   ケッパー酢漬(一瓶100g@\158也)を刻み入れる。

……裏漉しトマト、カップ1.5を加え、軽く煮込む。

……塩、少々で味付け、スペアミント1パック(@\158也)を散らし、

   茹でたてのパスタをあえて出来上がり。

スペアミントの風味が、トマトソースの味を爽やかに引き締めて、

バジルなんかより意外といける。これは暫く病みつきになりそう。

………………………

それはそうと、昨日の投稿で触れた雪舟の天橋立図の部分。

左手、智恩寺前に、門柱のように立つ二体の地蔵像がこれ。

Photo

(写真 CX2)

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2010年1月 6日 (水)

「宿山」界隈探索中…(2)

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古道探索で、まず、手っ取り早い手掛りとなるのは、

道祖神、地蔵尊、庚申塔などの石造物群だ。

今では、道端や最寄りの寺の境内に、

まとめて置いてあることが多い。

もとより、これは本来の設置場所ではない。

常々、疑問に思っていたのだが、

かつては、どのように祀ってあったのだろうか。

例えば、道を通ってやって来る、

疫病や物の怪、怨霊を防ぐのだから、

門柱みたいに、道を両側から挟んで一対という風にすれば、

連中も入りづらいのではないか。

寺社の結界だって、参道の入り口に両脇から、

仁王像や狛犬が一対になって、守っているし…

何か中世の絵画史料に出てこないかと、

中公の「日本の絵巻・一遍上人絵伝」を捲ってみたが、

意外とそういった場面は見つからない(関所は見つかったけど!)

そう言えば…雪舟の天橋立図。

室町中期の、あの辺りの社寺を写している中で、

「智恩寺」という寺の入り口に地蔵像が二体、門柱のように、

立っているのがあったな。あれはどうなんだろう。

(写真 CX2)

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2010年1月 4日 (月)

「宿山」界隈探索中…(1)

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年末年始のTV番組はつまらぬものと相場が決まっているけど、

元日の晩から三夜連続で教育TVでやっていた、

「日本と朝鮮半島2000年」のアンコール一挙放送は良かった。

去年、古代・中世・近世と9回分放送したが、

中世の「幻の王国・渤海」「蒙古襲来の衝撃・三別抄と鎌倉幕府」

「東シナ海の光と影・倭寇」は見逃していたので助かった。

韓国はもとより、中国、日本海沿岸のロシアと、

最近の古代・中世遺跡の発掘調査の進展と成果には、

めざましいものがあるようだ。

(三国志の曹操の墓が見つかったというニュースを聞いたばかり)

それに比べ、日本国内では、再開発や大規模公共工事の、

怪我の功名で考古学上の発見が続いたという側面が否めない。

その上、陵墓問題も抱えているし、

古代史ブームの影で中世遺跡の軽視や破壊が進んでいるのだ。

そのうち、海外から重大な歴史上の新事実を突きつけられて、

右往左往するのではないか。みっともないことだ。

(写真 CX2)

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2010年1月 3日 (日)

別所界隈(1)

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元日の新聞に、

「いまなぜ十字軍か。日本人は何を知らなければならないか」

「十字軍物語 今夏刊行開始」の全面広告。

この著者のローマ帝国本には、

かねがね胡散臭さを感じていたので、手に取ったことも無し。

今度は中世を荒らすのか(新年早々、甚だ気分悪し)

何やら、その口上を読むと、

あの与党幹事長の軽率な文明論を思い出すな。

キリスト教徒とイスラム教徒は、

日本人なんか、間に入る隙が全く無いほどに、ずっとずっと近い。

血の繋がった親族と言ってもいいくらいだ。

お互いを、よくよく知った上での、この歴史なんだ。

中世のキリスト教世界に対する真摯な批判は、

同じ世界の出身者のほうに、

圧倒的な説得力があるのは論を待たず。

まして十字軍となると、ヘタをすると大怪我をする。

まぁ、この著者は物語という甘口の言葉を使って、

歴史と真正面から向き合うのを避けて、

ウマいこと煙無に巻いているんだろうけど…

(写真 CX2)

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2010年1月 2日 (土)

日々の写真 1/1

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元旦夕方の「渋谷富士」

右手のハンバーガーの看板が邪魔であるが、これもまた風情。

街では元旦から元気に営業する店の人々。

こちらは重宝する。

大晦に新調したトレッキングシューズのインソールを買った。

(写真 CX2)

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2010年1月 1日 (金)

目黒新富士

Photo

本ブログを開始して3度目の新年を迎える。

あらためて、本年もよろしくお願いいたします。

歌川広重の名所江戸百景から別所坂上の「目黒新富士」

(2009 12/21 投稿 別所坂にて① 参照)

実は、目切り坂上の「目黒元富士」のほうが、

(2009 10/31 投稿 宿山橋の月を観ばや 参照)

(2009 11/1  投稿 古書まつりにて 参照)

「別所富士」と呼ばれていたらしい。

ちょっとややこしいが、

別所坂下から、目切り坂のある谷戸も含めて、

「別所」という字名だったのは確かなようで、興味深い。

一方、「宿山」は、古道沿いに目黒川を越えて、

対岸の目黒台まで広がっていた字名と判った。

こっちも「宿」のあった場所を探索してみる必要がある。

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