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2010年2月15日 (月)

渋谷の富士講(2)

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富士信仰を初めて教義化したのは、長谷川角行(1542~1646)

という戦国期の行者だった。彼は富士山麓の「人穴」と呼ばれる、

風穴に入り、厳しい修行を積む。

後に「人穴」は行者や先達たちの墓が立ち並び、

富士信仰の聖地となっている。

角行は「富士行者は宗教活動を稼業にしてはならず、

別に自分の家業を持ち、それを大切にしなければならない」と教え、

これが富士講の根本教義となった。

その角行から四代後の弟子が食行身禄である。

富士講は身禄の入定後(享保13年1733)

娘や弟子の吉田平左衛門らが中心となって、

設立したのが始まりとされる。

身禄は伊勢出身の油売りで財を成したと云うから、

中世世界の「道々の輩」の系譜に連なる人だろう。

(渋谷・道玄坂の吉田平左衛門も、大地主ながら、今のところ、

 家業がはっきりしない。名主的存在と考えられているのだが、

 筆者は、彼も同系統の人だとにらんでいる)

彼は祈祷や呪術に重きを置かず、慈悲と正直の心、

勤労と平等な社会を理想とし、信仰に男女の別は無いと、

事実上の男女平等を説いた。

(江戸期の山岳信仰では、女人禁制が一般的だったが、 

 身禄は女性の富士登山を認めている)

そんな訳で、江戸幕府は富士講をご政道批判の、

「危険思想」とみなし、度々、禁制を出すに至る。

しかし、実際に弾圧されたことはないようで、

江戸庶民の根強い人気は明治維新まで続くのである。

(写真 CX2  今日の109界隈と「人穴」で修行する角行)

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