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2010年2月16日 (火)

渋谷の富士講(3)

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富士講が流行したのは、江戸市中と周辺の関東地方に限られる。

云ってみれば、朝な夕なに富士山が望める地域であるから、

極めてローカルなムーブメントなのであった。

そのせいか、富士講の研究もローカルなものに止まりがちで、

注目されるようになったのは、ごく最近のことだ。

江戸後期、富士講が平等主義や世直しを標榜するようになると、

尊王思想とも結びついていく。

しかし、明治維新の神仏分離は少なからぬ影響を与える。

もともと富士信仰には、

神仏習合や道教的な要素が強かったにもかかわらず、

神道に入らざるを得なくなった為だ。

 (修験道は禁止され、密教や神道に分割帰属させられたが、

  戦後は元に復している)

祭壇や礼拝する画像から仏像を外すこともあったようだ。

それでも、いくつかの富士講は(渋谷道玄坂の山吉講も)

大正、昭和初期と活動を続けるが、昭和30年代頃にはほぼ消滅し、

富士講を母体とした神道系の新宗教、

「扶桑教」「実行教」「丸山教」に受け継がれていった。

現在、富士講の名残りを留めるのは上記の団体だけである。

さて、次はあの富士塚の話。

これには、江戸っ子を震撼させたある事件が絡まるのだが…

………………

新宿へ所用ついでに、初めてジュンク堂へ。

探していた中世史の絶版書や地方出版物をいくつも見つけ、

大いに心動くが、手元の書がかなり積み上がっているので、

今日は我慢。

これからは、しょっちゅう覘くことにする。

(写真 CX2)

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