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2010年2月17日 (水)

渋谷の富士講(4)

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江戸っ子を震撼させたある事件は、例の別所坂上にあった、

「目黒新富士」をめぐって起きていた。

(2009 12/21 投稿 別所坂にて① 参照)

(2010 1/1 投稿 目黒新富士 参照)

「藤岡屋日記」によると…

(幕末期-1804~68年-の江戸市中の出来事や事件、

 噂などを町民、藤岡屋由蔵の視点から収集、記録した日記。

 全152巻に及ぶ。藤岡屋はジャーナリストの走りか)

文政9年のこと。別所坂上に屋敷を持つ下渋谷の百姓半九郎は、

富士講の講員で、ここに仲間と富士塚を造ろうと思い立つ。

自分たちの力だけでは無理なので、当時、羽振りの良かった、

幕臣、近藤重蔵に協力を仰ぎ、別荘地を提供して、

その中に富士塚を完成させた。

眺望の良さもあり、この富士塚はたちまち人気スポットに。

つめかけた見物人を目当てに半九郎は蕎麦屋を開き、繁盛する。

重蔵の別荘の客にも、半九郎の店から出前を出していたが、

代金を支払わないので、半九郎は注文を断るようになった。

重蔵は怒り、別荘の周りに垣根をつくって、

富士塚に入れなくしてしまう。

半九郎は話が違うと代官所に訴え出た。

しかし、相手が旗本で門前払い。

そこで、仲裁を頼んで話し合い、垣根を撤去することになったら、

突如、重蔵の息子、富蔵が家来を引き連れて乗り込み、

半九郎と使用人、半九郎の息子夫婦や孫まで5人を、

斬殺してしまった。

近藤富蔵は八丈島に遠島。重蔵も近江・大津藩お預けに決まる…

世に「鑓ヶ崎事件」として知られる一件である。

近藤重蔵は蝦夷地探検で知られる当代一流の知識人。

息子の富蔵も、流刑先の八丈島で、

後に柳田国男や折口信夫から絶賛されるような大部の地誌、

「八丈実記」を執筆するほどの人物だった。

ついでながら、2004年の奥田瑛二監督の「るにん」という映画では、

富蔵を作家の島田雅彦氏が演じていたようだ。

(写真 CX2)

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