« 中世世界の石造物群 | トップページ | 一遍上人語録 »

2010年2月 3日 (水)

一遍の墓所

B10020203

一遍上人絵伝(聖絵)最期の場面。

五輪塔と一遍の像を安置した方一間の御影堂が描かれる。

正応2年(1298)八月二十三日、兵庫和田岬・観音堂にて、

一遍は入滅したが、弟子たちに一切の葬儀を禁じ、

遺体は野に捨て鳥獣に施すように言い遺していた。

(彼は、自分の教えは一代限りであるとし、

 宗祖と崇められ、教団が形成されるのを拒否している)

しかし、残された人々により、

一遍は観音堂の松の下で荼毘に付され、

絵伝のように(一遍上人絵伝は一遍死後10年に完成)

立派な墓所が立てられる(神戸・真光寺に現存)

ところが、さる阪神大震災のおり、五輪塔が倒壊し、

水輪上部(昨日投稿の図を参照)に穿たれた穴から、

備前焼の壷が転がり出て、壷中に火葬骨が発見された。

一遍のものである可能性が高いということになった。

筆者はこのニュースを聞いて、喫驚したことをよく憶えている。

(写真 CX2)

|

« 中世世界の石造物群 | トップページ | 一遍上人語録 »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

一遍は兵庫津で亡くなったのですね。
元寇は活動中の事件ですね。
どういう反応をしたのか気にかかります。
踊り念仏は、現代にも受け継がれているのですか?

投稿: 振り子 | 2010年2月 2日 (火) 23時11分

そうです。元寇は同時代のことです。
例の鎌倉入りで執権時宗と決然と対決したように「我ことに非ず」だったのかも…
篠田正浩氏が現存の古典芸能が全て一遍の踊り念仏に繋がると喝破していました。今でも時宗は信徒八万人とか。随分前にNHK教育の特番で今に残る念仏踊り(女性たちが鐘を叩きながら念仏を謳い、ゆっくりと廻り歩く)を視たことがあります。一遍の当時はかなり躍動的で「過激」(男女が入り混じり恍惚状態に…)だったと云いますね。
藤沢の遊行寺は要探索と考えております。

投稿: kansuke | 2010年2月 3日 (水) 10時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 中世世界の石造物群 | トップページ | 一遍上人語録 »