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2010年5月 2日 (日)

中世の銭湯

B10050102

何日か前の朝刊に、信長の京屋敷跡から、

中世の風呂が発掘されたとあった。

早速、手元の史料を当たって、

上杉本・洛中洛外図屏風の「ふろ」の場面を確認する。

戦国期の京都にはこのような銭湯が十数軒あったという。

中世の風呂とは、現在のサウナに近いものだ。

(湯屋というのもあって、こっちは湯船に浸かるタイプだった)

鉄釜で湯を沸かし、蒸気を部屋に導いて身体を蒸す。

場面右上に、にじり口のような出入口があり、

ちょうど、その部屋から上がろうとする人がみえる。

手前では、上がってきた人々が身体を流し、

洗髪?をしてくれる「湯女」(髪を束ね白衣で襷掛け)がいる。

左側の待合室に置かれた白い包み(風呂敷)は、

入浴者の衣服らしい。

扇をあおぎながら、さっぱりした様子で銭湯から出てくる人も…

日本人の風呂好きは、

当時の宣教師の書簡でも特筆されているようで、

(中世起源の)今に続く習俗と言えそうだ。

(写真 CX2)

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コメント

生月島の資料館で、山本勘助の描かれたかけ軸を見ましたよ。鯨漁の元締めをやっていた益富家が、武田家臣の出だと言い伝わっていたそうで、信玄とその先祖(名前を失念)と勘助が描かれていました。何かの写しだと思いますが、西のはずれの島にもこんなものが伝わっているんですね。今度写真を送ります。

投稿: 振り子 | 2010年5月 2日 (日) 07時02分

ほう。それは多分、江戸期に盛んに描かれた「武田24将図」かもしれません。こちらにもあるとは… 武田家の遺臣は方々に散りましたからね。
それはそうと、武田一族には室町中期に若狭へ移り、水軍になった連中がいますよ。彼らの一部は北の蝦夷地に流れ、松前氏の祖になっています。海のつながりで言えば、西の松浦党との接点があっても不思議ではないと思います。今日、ひょんなことから、安土桃山から江戸初期の日本古図を観る機会がありましたが、平戸島の先に生月島がちゃんと記載されていました。探索の旅、道中お気をつけて続行して下さい。

投稿: kansuke | 2010年5月 2日 (日) 14時58分

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