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2010年5月18日 (火)

恵比寿から別所坂へ

B10051603

B10051605

恵比寿の都写美を出て、山手線の線路を渡り、尾根を少し下ると、

古道はすぐに見つかった。道標と石仏、古木が目印である。

別所坂上の、紫陽花の蕾はまだ小さい。

……………

昨日投稿の長篠合戦図、武田勝頼の姿に思い出したこと。

彼の本陣に「孫子の旗」が無かった。

武田家総領の印である「風林火山」の「孫子の旗」は、

勝頼には許されず、ただ信玄所用の「諏訪法性の兜」

のみ受け継いだと甲陽軍鑑にあるが、それを暗示している。

勝頼は武田家を継いだといっても、中継ぎに過ぎなかったらしい。

武田の嫡孫が受け継ぐ「信」という字は名乗れないし、

 (彼は既に母親の実家を継ぎ、諏訪四郎勝頼と名乗っている。

  信玄の遺言で、孫の信勝が嫡子になることが決まっていた。

  そういったゴタゴタで武田家は内紛状態だったと云う)

信長に邪魔されて、任官も出来ず無位無官のままっだ。

京都・建仁寺にある別の長篠合戦図では、

大事な「諏訪法性の兜」まで打ち捨てて、

敗走する勝頼を描いているとのことだが、

(未見、これも甲陽軍鑑に記述あり)

つくづく、どこまも気の毒な男だったと思う。

(写真 CX2)

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