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2010年6月16日 (水)

中世の品川津(2)

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B10061502

品川津は典型的な中世の湊だったようだ。

目黒川(品川)の河口部に形成された半島状の砂州(現天王洲)

に抱かれるように、船着場と都市的な場が、

発達していたと想定されている。

17世紀、江戸初期の絵図で、その名残りがよく解かる。

(昨日投稿の一番下の写真、下は寛政年間の様子)

さらに重要なのは、湊の後背に中世の葬送地だった、

御殿山が存在することだ。

航行する船の目印になる「当て山」としての役割を果たし、

聖地でもあったはずだ。

御殿山は江戸初期に将軍の別邸が置かれ、中期以降は桜の名所、

幕末期は江戸湾の砲台建設の土取り場になった。

その際に大量の中世の石塔と人骨が発見され、

出土した板碑と五輪塔の一部は品川歴史館で公開されている。

15世紀の常滑大甕もあり、これは御殿山の旧家の庭に、

1980年まで放置されていたものと云う。

ここで思い出したのは、

六浦の上行寺東遺跡と浅草の待乳山だ。

いずれも湊を見下ろす聖地で、「当て山」である。

御殿山界隈の探索が目下の課題になったのは言うまでもない。

B10061503

(写真 CX3)

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