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2010年6月の記事

2010年6月30日 (水)

山梨県博へ(2)

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左肩の激痛未だ治まらず。今回はちょっと長引くか。

……………

さて、山梨県博では無事、所期の目的を果たし、

山本菅助の名が見える、現存全ての文書の実物、

(1969年発見の市河家文書、2008年発見の真下家文書)

を確認して来た。

バス停から笛吹川を渡り、炎天下を30分近く歩行、

いささか疲労したため、館内のレストランにて暫し休息する。

明るくて、気持ちのよい室内で、昼食は、

「一汁三菜定食」@¥700也

ヘルシーで適度に地方色があり、味も悪くない。

外に出て、飛び込みで店を探すより、はるかに良い選択だと思う。

(写真 CX3)

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2010年6月29日 (火)

山梨県博へ(1)

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山梨県博でやっている「シンボル展 実在した山本菅助」

―新発見の資料で探る山本菅助の真の姿―(~7/5)

を観に山梨県笛吹市へ行って来た。

この展覧会の詳しい経緯については、こちらと、

こちらを参照のこと。

久しぶりの山梨だったが、首都圏のはっきりしない天気は、

いつものように、笹子峠を越えると劇的に回復する。

今日の甲府盆地はじりじりと熱くなりそうだ。

……………

左肩の激痛、尚治まらず。長時間PCに向かうのが辛いので、

今宵はサワリのみにてご容赦を。

明日より、ちょいちょいと書いていきます。

そうそう、南品川のほうも…

(写真 CX3)

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2010年6月28日 (月)

南品川にて(1)

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品川津探索、御殿山編に続いて、南品川へ行って来た。

今日は時宗三寺、日蓮宗二寺を観る。

この街が東京の下町と大きく異なる点は、

大火や戦災などで焼けた寺々を集めたのではなく、

中世の都市的な場を起源として、近世の宿場町へと、

ずっと存続してきた寺町であることだ。

時宗の寺が三つも集っていることからもそれが知れる。

京急新馬場駅から青物横丁駅までの狭い地域だが、

今でも、非常に濃厚な宗教空間なのがよく解かった。

写真は今回の目玉でもある、時宗・長徳寺。

その他にも、いくつか興味深い事実に遭遇したのだけど、

実は、昨夜より、左肩激痛にて、

キーボードを叩くのもシンドイ有様なのだ。

因って、明日以降、おいおいと投稿していくことにする。

ご容赦を… 

さて、生薬黄檗配合のパスタイムオーシップを貼らねば…

(写真 CX3)

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2010年6月27日 (日)

鎧袖ストラップ(3)

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鎧袖ストラップのコレクションに「赤備え」を加える。

人気の「真田の赤備え」ではなくて、

本来の「武田の赤備え」である。

武田家では、飯富兵部虎昌の部隊が最初であり、

実弟(甥とも)の山県三郎兵衛昌景に受け継がれた。

武田家滅亡後、遺臣たちが彦根・井伊家に召抱えられたため、

「赤備え」は幕末まで続いたことになっている。

今回は山県昌景をイメージして、花菱紋にしてみた。

(主家、武田の紋だが、一門家臣たちも用いた。

 山県氏は桔梗紋と一緒に使っていたようだ)

(写真 CX2/CX3)

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2010年6月26日 (土)

一夜明けて

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一夜明けて、この街に漂う、

も~っとするような非日常感に、何だこれはと目をこする。

もとより筆者は、スポーツ試合のあの熱狂が苦手なので、

昨夜は熟睡し、朝、街を歩いて初めて、

ああそうなのかと合点する始末なのだ。

ただ、歴史を観察する者にとって、今回のワールドカップは、

「弱い者」がいかにして勝っていくかということと、

「強い者」がいかにして没落していくかということを、

実に端的に、判りやすく見せてくれる点において、

有益であるなと、密かに思っているわけだ。

(写真 CX3)

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2010年6月25日 (金)

クスノキとアオスジアゲハ

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鬱蒼とした品川神社の社叢林を歩きながら、

スダジイやクスノキの照葉樹林のことを思い廻らす。

クスノキは日本列島の温暖な沿岸部に多いが、

もともと自生していたのではなく、中国大陸の南部辺りから、

移植されたのではないかという説がある。

社叢林など人里近くに見出される例が殆どだからだ。

防虫、防腐効果のあるクスノキは古代から舟材として貴重で、

それは中世世界でも同じだった。

クスノキは海民が残した足跡と言ってよい。

ところで、アオスジアゲハの幼虫はクスノキの葉しか食べない。

 (南方系の蝶だが、最近、都内で増えているのは、

  街路樹にクスノキが植えられているせいのようだ)

そう言えば、幼年期に横浜・金沢で見た、

群翔するアゲハチョウはアオスジだったことを思い出した。

季節もちょうど今頃、

あの杜にも、クスノキが生い茂っていたはずである。

(写真 CX3)

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2010年6月23日 (水)

御殿山にて(3)

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この辺りの古木には照葉樹(主にスダジイか。クスノキも)が目立つ。

品川神社の社叢林もそうだ。

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時宗・善福寺の石仏群。

左は享保、右は元禄年間と、わりと古いものが多い。

昨日投稿の写真(右側)では、

元禄五年(1692)の阿弥陀如来像を示した。

両手の、親指と人差し指で輪を作るように結ぶ、

「来迎印」から、それと知れる。

念仏衆の時宗に相応しい仏だ。

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御殿山はご覧のように、JRの線路で大きく切り通され、

南北に分断されてしまっている。

その上に架かる橋より。

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今回の探索の上がり、原美術館。

いわゆる「ニューカラー」の先駆者、

「ウイリアム エグルストン: パリ―京都」(~8/22)をやっている。

独特の色彩感で切り取った、現代都市の断片というべき写真と、

即興的に描いたドローイングによって構成される、

国内初個展とのことだけど、

それほどの新鮮味は無かった。

もう、こういった手法は手垢が付き過ぎてしまったためか。

但し、この美術館は人気スポットのようだ。

玄関前の庭で、何人ものデジ一撮影者と鉢合わせする。

(写真 CX3)

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2010年6月22日 (火)

御殿山にて(2)

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今回は、北品川駅近辺の二寺のみの探索となったけど、

それでも十分愉しめた。

ともに念仏系で、中世・品川津の最盛期に開山している。

時宗の善福寺には、江戸初期(17世紀、万治・元禄年間)造立の、

(この時代の銘がある石塔の現存例は意外に少ない)

古風な笠塔婆形の石塔や石仏がさりげなく祀られてあったりして、

今時珍しい、縋れた雰囲気が漂う。

浄土宗の法禅寺は、例の幕末期に御殿山から掘り出された、

板碑、石塔群を保管しており、一部を境内で展示しているので、

品川津の探索に、まずは必見だろう。

期せずして、両寺の墓地で法事客と行き逢ったが、

穏やかに会釈を交わせるほどに、よい感じであった。

京都・奈良までとはいかなくても(予算極小、時間節約で)

身近で、これだけのワンダースポットが探索出来、

しかも、仕上げに、

お洒落なコンテンポラリーアートの美術館と、

かふぇで一服して、気分をリセットする…

なかなか粋な、ショートトリップだと思うのだが。

お奨めいたします。

(写真 CX3)

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2010年6月21日 (月)

御殿山にて(1)

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午前中の2時間を使って、品川・御殿山界隈を探索して来た。

もとより、これだけでは到底足りないので、

何回かに分けてやるつもりだ。

今日は、京急・北品川で降りて、

時宗と浄土宗の二寺と、一社を回り、

最寄りの原美術館で開催中の、

「ウィリアム・エグルストン:パリ―東京 写真展」(~8/22)

を観て、JR大崎駅に至って上がり。

携行武器はCX3とライツミノルタCLのみにて、

それぞれ、撮影枚数は296と26。

とりあえず、詳細は後ほど…

(写真 CX3)

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2010年6月20日 (日)

別所界隈(2)

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この前の冬以来、久しぶりに目黒・別所界隈を歩く。 

品川津、御殿山探索のイメージ作りなり。

やはり、中世、この辺りに品川津から目黒川(品川)を、

川舟が遡って来たということは動かないのではないか。

水上の道、陸上の道は、連携して捉えることが必須だと思う。

この二つの道が交差、接続しているところに、

湊、関、宿が出来、市が立って、

都市的な場になる蓋然性が高いからだ。

そうそう、鎌倉初期の品川にも「宿」があった可能性がある。

曾我物語(妙本寺本)の建久4年(1193)の条に、

「品川宿」の名が出てくるそうだ。

(写真 CX3)

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2010年6月19日 (土)

日々の写真 6/18

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今日までNHK-BSでやっていた、

「街道てくてく旅・熊野古道春編」は結構参考になった。

古道の沿いの景観も興味深いが、

やはり、この列島の東西の地域差というものだろうか、

時々、解説無しで、

とんでもないものが写り込むのが面白いのだ。

何日か前の「清姫の墓」では、立ち並ぶ石塔の中に、

東国(武蔵)型の板碑らしきものが見えた。

中世後期の品川津では、熊野から移住した、

鈴木道胤、榎本道琳といった、

僧形の「有徳人」(裕福な商人)たちの活躍が知られるから、

向こうに、こっちのものがあってもおかしくないわけだ。

因みに戦国時代、伊勢の大湊から、

帆柱一本の船(昨日投稿の一遍聖絵のような)に乗ると、

三泊四日の船旅で品川津に着いたと云う。

船賃はいくらだったのかな。

(写真 CX3)

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2010年6月18日 (金)

中世の船旅

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映画「キングダム・オブ・ヘヴン」の、

聖地エルサレムへ旅立つ港、シチリアのメッシーナを、

小高い砦から、俯瞰しながらパンする場面が好きだ。

真っ青な地中海を、真っ白な帆を孕ませてゆく、

中世のヴェネツィア帆船の姿がいい。

多分、CG合成なのだろうが、

こちらの大河ドラマには無いセンスだと思う。

ほぼ同じ時代の、品川津の御殿山からも、

似たような光景が見られたのではと想像してみる。

当時の日本列島の沿岸を航行していた大型船の様子は、

いくつかの絵画史料から窺えるが、

やはり、一遍聖絵が秀逸なのではないか。

輪田の泊(現神戸)へ入港しようとしている大型の貨客船。

帆柱は一本で、蓆製?の帆を下ろし、米俵を満載する。

荘園からの年貢を輸送しているのであろうか。

漕ぎ手や梶取りは後部に、乗客は前部に乗っているようだ。

画面では切れているが、この時代の大型船は、

艀用の小船を後ろに引っぱっている。

(写真 CX3)

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2010年6月16日 (水)

中世の品川津(2)

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品川津は典型的な中世の湊だったようだ。

目黒川(品川)の河口部に形成された半島状の砂州(現天王洲)

に抱かれるように、船着場と都市的な場が、

発達していたと想定されている。

17世紀、江戸初期の絵図で、その名残りがよく解かる。

(昨日投稿の一番下の写真、下は寛政年間の様子)

さらに重要なのは、湊の後背に中世の葬送地だった、

御殿山が存在することだ。

航行する船の目印になる「当て山」としての役割を果たし、

聖地でもあったはずだ。

御殿山は江戸初期に将軍の別邸が置かれ、中期以降は桜の名所、

幕末期は江戸湾の砲台建設の土取り場になった。

その際に大量の中世の石塔と人骨が発見され、

出土した板碑と五輪塔の一部は品川歴史館で公開されている。

15世紀の常滑大甕もあり、これは御殿山の旧家の庭に、

1980年まで放置されていたものと云う。

ここで思い出したのは、

六浦の上行寺東遺跡と浅草の待乳山だ。

いずれも湊を見下ろす聖地で、「当て山」である。

御殿山界隈の探索が目下の課題になったのは言うまでもない。

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(写真 CX3)

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2010年6月15日 (火)

中世の品川津(1)

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品川区立・品川歴史館を訪ねたのは、

中世の品川津の史料と現地探索の手掛かりを得るためだ。

まぁ、予想より、かなりの手応えがあった。

去年、目黒・別所坂界隈を探索した際に、

目黒川の水運を調べ、河口の品川津の存在が気になった。

また、六浦津に臨む金沢・称名寺の金沢文庫では、

14世紀に品川津に入港した30艘の船の船名と船籍を列挙した、

「湊船帳」という文書の実物を見ている。

そして、一遍聖絵の記述から、中世の浅草・石浜も気になり、

そこから、六浦津→神奈川津→品川津→浅草・石浜と云う、

中世の航路が浮かび上がったからだ。

実は、京急・立会川から歴史館の道を15分ほど歩いただけで、

かなりの気配を感じた。

海辺に近い、近世の東海道から、

JRの線路を越えて、目黒台の南端にあたる坂を上ると、

軽く17世紀初頭に遡る石塔群、寺社や古木が目につくようになる。

ひょっとしたら、品川区は東京23区でも、

屈指の中世史スポットじゃないかと思うようになったのだ。

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(写真 CX3)

(一番下の写真は17世紀、明暦年間の品川宿の様子)

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2010年6月13日 (日)

日々の写真 6/12

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午前中、錦糸町で所用を済ませる。

街が変われば、空気が変わるのも理である。

メトロで噂のリコーのポスターを初めて見る。

“new angle  new day” 「視点を変えよう」とは、

どこかで聞いたような…

(写真 CX3)

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2010年6月12日 (土)

鎌倉時代に金髪の山賊?(2)

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前回のこの投稿に頂いた振り子さん、八束さんのコメントに感謝。

さて、男衾三郎絵詞の「金髪の山賊」の正体と、

彼の被る奇妙な「三角帽子」のことだ。

同時代の絵巻物から、かなり無理やりに、

似たようなものを探してみた。

まず、八束さんの仮説に従って、

山の民、狩猟民の姿に注目すると、案外多く見つかる。

一遍聖絵から、牛の前を歩く人物(上図)

特徴的な箕帽子、箕笠(酷似したものを東北のマタギが使う)

を被り、弓を持つ。背後に突き出ているのは、尻尾ではなくて、

毛皮のカバーを着けた「空穂」(うつぼ)と呼ぶ矢を入れる武具だ。

次に、異国人を見ると、蒙古襲来絵詞の蒙古兵(下図)ぐらいか。

毛皮の縁取りを付けた兜に目が留まるわけだ。

まぁ、いずれにしても、「三角帽子」そのものとは言えないな。

中世世界では、装束、被り物、持ち物がその人物の、

身分、職掌の全てを表すという、

極めて厳しい規範があったのは事実だから、

当然、例外は異類異形になる。

筆者が「金髪の山賊」をとりあえず「異人」としたのは、

(広い意味で、中世社会の埒外とされた様々な民、

 「道々の輩」や異国人を含めて。やや異国人に、

 ウエイトがかかるが…)そんな理由だ。

それ以上は、現状では、不明なのは言うまでもない。

(写真 上GX200 2008年12月に東博で撮影 下CX3)

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2010年6月10日 (木)

鎌倉時代に金髪の山賊?(1)

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男衾三郎絵詞から、

山賊と武士たちの凄まじい戦闘シーン。

上図、右上の太刀を担いだ男(下図はその部分)だが、

甲冑、武具は他の武士と同じにもかかわらず、

見慣れぬ三角帽子をかぶり、長い金髪をなびかせる。

高い鼻、ぎょろ目、しゃくれた顎、妙に長い手指の爪、

異類異形の輩、なるほどヨーロッパ系に見える。

この絵巻の成立は、鎌倉後期13世紀頃と云う。

考えてみれば、元朝の中枢部に入り込んだ、

ヴェネツィアの商人、マルコポーロは同時代の人だ。

大陸と日本列島の行き来も、

非常に活発であったことは言うまでもないし、

元寇で使われた新兵器だって、

中東で十字軍相手(これもほぼ同時代)に、

飛び交ったものと同じじゃないかと…

中世世界を甘く見ちゃいけない。

(写真 CX3)

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2010年6月 9日 (水)

日々の写真 6/8

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CX3にて試写。

3枚目は感度800でノイズリダクション無しで撮ったものだ。

使えなくはないが、路上のザラザラ感が多少気になる。

まぁ、今まで通り、上限400で行こうと思う。

…………

数日前に、Amazonで発注していた、

「日本絵巻物大成12 男衾三郎絵詞・伊勢新名所歌合」

(小松茂美著 1978 中央公論社)

山口市より、大型本がゴトンと届く。

早速、例の山賊の場面を確認する。

詳細は後ほど…

(写真 CX3)

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2010年6月 8日 (火)

6月の香り

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道を歩いていたら、懐かしい香りがする。

ラベンダーは6月の香り、なのは南仏での話。

早速、CX3で試写する。

使い心地はCX2と殆ど変わらず、

レスポンスは若干向上している模様だ。

ノイズリダクションをちょっと試してみたが、

かなり、被写体の質感が損なわれる感じがした。

常用は無理かもしれない。

……………

「発掘された日本列島 2010 

 発掘された重要な遺跡・遺物の発掘速報展」(~7/25)

やはり、目玉は古代の邪馬台国論争のほうだったけど、

中世関係は、地味ながら2件紹介されていた。

島根県益田市の沖手・中須遺跡(12~16C)は、

河口部の潟湖と砂州に発達した港と都市を示す。

朝鮮やベトナム陶磁が出土しており、外洋船による、

直接交易の可能性も想定出来るとのこと。

既に多くの発掘が行われ、実績がある博多遺跡群では、

今回は、地中に掘った穴から、

16世紀の中国陶磁が完品でまとまって見つかった。

埋納銭と違い、呪術的な意味合いはないようで、

戦乱による「乱取り」(略奪)を避けた隠匿という説が有力だ。

藤木久志氏の著書で取り上げられている「隠物」(かくしもの)

ではないかと、会場で解説員の方と話題になった。

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(写真 上CX3 下GX200)

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2010年6月 7日 (月)

CX2入院す 加えて…

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本日、CX2を購入したカメラのキタムラで入院させた。

三週間程度になる見込みだ。

加えて、CX3を導入した。

キタムラのスタッフの方にお骨折り頂くことがあり、深謝。

今時の大手量販店では、なかなか融通が効かぬことである。

カメラ専門の強みだと思う。

そして、もう一つ…

あるものを予約する。今は内緒だが、

CX2が元気で戻ってくる頃には、明らかに出来るだろう。

…………

今年も、両国の江戸東京博物館で開催されている、

「発掘された日本列島 2010」(6/5~7/25)

~発掘された重要遺跡・遺物の発掘速報展~を観て来た。

これは明日へ送るので、ご容赦を…

久しぶりにGX200を持ち出す。まだまだ十分だ。

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(写真 GX200)

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2010年6月 6日 (日)

CX2に不具合発生!

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上の画面の如く、CX2に不具合が発生した模様だ。

レンズ表面に異常はないようだし、鏡胴か本体内のトラブルか。

去年の12月16日に導入して以来、

ほぼ毎日、60~200カットほど撮影したから、月最低2000カット、

半年で軽く10000カットは超えているだろう。

もとより、まだ引退させるつもりはない。

明日、もとめた店に持ち込もうと思うが、

代替機のこともある。さて、ここは思案だな。

……………

昨日朝日朝刊、オピニオン「惜しいなあ…鳩山政権」の、

「変革期に混乱はつきものや」

辻元清美前国交副大臣のインタビューは面白かった。

今回の連立離脱を迷うあたり、極めて率直である。

「…離脱することによって、自民政権が復活したり、

 改憲の道が開けたりする恐れ…」

「…どうしようもないカッコ悪さに耐えながら、

 政権に残っていた方が闘う余地が大きかったんと…」

席を蹴って、肩で風切って飛び出した党首より、

彼女のほうが、よほど政治家として、したたかで、

「地獄への道は善意で舗装されている」

という言葉を引用してしまうくらいの、歴史感覚がある。

しかも、インタビューの最期で彼女も懸念しているように、

社民党の先行きは暗いのだ。

この人に、もっと仕事をさせてみたかった。

さもなくば、どっかが引き抜いてもいいんだけどね…

(写真 CX2)

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2010年6月 5日 (土)

渋谷中古カメラフェアにて

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世界の名だたる都市と路地裏を遊行し続ける、

写真家・田中長徳氏。

今は暫し、ここ東京に笈を置かれているわけだが、

本日、初日の渋谷中古カメラフェアに憩う。

この後、茶など申し上げて、いろいろと物語りを。

……………

そうこうしている間に新政権スタートの報。

新首相と前幹事長の溝、ますます深まる感あり。

このどうしようもない古臭さ、かつての派閥抗争のようだ。

また「親分子分」と「メダカの群れ」か。

……………

風邪気味が抜けない。

予ねて用意の、牛黄配合の漢方風邪薬を服用する。

牛黄とは熊野牛王宝印に通ず。南無…

……………

久しぶりに一首、ツイッターのほうにかくなん…

(写真 CX2)

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2010年6月 4日 (金)

別所のバラ

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目切坂、別所界隈にかつての谷戸を想わせる空地がある。

もとは宅地だったらしいが、今は四季の花が咲き乱れる。

ちょっと前は見事な山藤があったけど、伐採されてしまったようだ。

庭木が野生化したのか、バラが咲いていた。

野バラは好きな花である。

昔、横浜・金沢の谷戸の、

少し開けた、日当たりと風通しのよい草地で、

よく見つけたものだ。

♪童は見たり~野中の森! っていうのがあったな。

(写真 CX2)

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2010年6月 2日 (水)

日々の写真 6/1

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6月1日、吹く風と光、何故かブルゴーニュを想わせる。

極東の湿気と暗さが懐かしい。

……………

手元の資料から、男衾三郎絵詞に出てくる、

「金髪で鼻の高い山賊」の場面を探すも見つからず。

意を決して、Amazonにて発注する。

「日本絵巻大成 12巻 男衾三郎絵詞・伊勢新名所絵歌合 1978」

(小松茂美著 中央公論社)@¥1800也

……………

ホワイトボディのカメラを物色している自分に、ハッと我に返る。

デジタルじゃないほうがいい。

でも、莫煩悩!莫煩悩!!

(写真 CX2)

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2010年6月 1日 (火)

白塗りの銀閣とホワイトボディのカメラ

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昨夜遅く、NHK-BSHi で、

「銀閣よみがえる ~その500年の謎~」を視る。

創建当時の「銀閣」は寺ではなく、

将軍義政の隠居所邸内の「観音殿」だった。

60年後の戦国期の資料、上杉本・洛中洛外図屏風でも、

「東山殿様」(将軍義政の別称)と注記されている。

「銀閣」と呼ばれるようになったのは江戸期以降と云う。

この3月まで、大修理に伴う発掘と調査が行われ、

かつて「銀閣」を装っていた彩色が明らかになった。

黒漆に白土が塗られ、白亜の壁も想定出来るらしい。

銀箔の痕跡は発見されなかったようだが、

敢えて、白塗りの「銀閣」をイメージしたいと語る、

建築家・隈研吾氏のコメントが面白かった。

何故か、唐突に、

近頃流行りの、ホワイトボディのカメラが欲しくなる。

(写真 CX2)

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