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2010年7月 6日 (火)

南品川にて(2)

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南品川探索は、静かな寺めぐりといった風情となる。

日蓮宗の本光寺、妙国寺(天妙国寺)は今でも大寺である。

広大な墓地と塔、檀家も多そうだった。

中世の都市的な場で力を振るっていた、商人、職人たち、町衆は、

日蓮宗の信徒であることが多い(京都、祇園祭の担い手も)

妙国寺の境内には、巨大な五重塔の礎石が残っているが、

室町中期に、熊野から移住した「有徳人」(大商人)鈴木道胤の、

寄進によって建立されたものと云う。

同寺は、多宝塔、三門、鬼子母神堂などの七堂伽藍を擁し、

浅草寺のように、海上から朱塗りの威容が望めたに違いない。

傍らのクスノキの大木も、彼らが故郷から持ってきたはずで、

ここでは、唯一の中世世界の証人かと、暫し感慨に。

(写真 CX3)

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コメント

品川も熊野の鈴木ですか。新宿の成り立ちに関係する十二社熊野神社の中野長者伝説も、熊野の神官の出の鈴木九郎ですね。
和歌山の新宮に行った時、中上健次の実父が鈴木姓だと知り、教育委の人に、新宮は鈴木姓が多くないかと尋ねたことがありました。
鈴木姓は、熊野の神官の鈴木が全国に流れて行って多くなった姓だと言われました。
飛鳥山、王子もそうですし、都内、埼玉の川沿いに、熊野系の神社がいっぱいありますね。

投稿: 振り子 | 2010年7月 6日 (火) 06時47分

浅草・石浜にも「鈴木兵部」の足跡があるようですよ。熊野社はもとより、「権現山」もそうですね。鈴木、榎本、宇井は熊野権現に奉仕する御師「三党」と呼ばれ、鮫を奉じ、鮫の牙を象徴した家紋を用いたそうです。品川津近くの「鮫洲」の地名とも繋がります。

投稿: kansuke | 2010年7月 6日 (火) 18時05分

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