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2010年7月の記事

2010年7月31日 (土)

限定ホワイトボディ!

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本日、かねて発注していたモノが目出度く入荷した。

“FUJIFILM  NATURA Classica”限定ホワイトボディだ。

フィルムカメラの新品は実に何年ぶりか。

伊賀組紐のネックストラップ、あつらえたが如くである。

折り好く、季節も夏、それらしい装いとなった。

まぁ、きっかけは、

あの「白塗りの銀閣」であったことも白状しておく。

他にも…大物があるのだが、それは後ほどに。

…………

午前中の湿度は参った。

夕方には晴れ、蝉一斉に鳴き出す。

(写真 CX3)

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2010年7月30日 (金)

昨日見た夢(1)

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漢方薬のお陰で大分調子が良い。

しかし、いろいろと薬を飲んだせいか、変な夢を見る。

久しぶりに、凛保父フルセットを背負って撮影に出た。

目的地へ向かう車中、見回すと、8X10組合の面々ばかりだ。

(状況は同じなのに、かつての大判サークルの人たちはいない)

話題は昨今の日本の政治で、辻元清美がどうしたのと、

里坊氏とおぼしき人が熱弁をふるっている。

そうこうしているうちに、山小屋のような宿に着き、朝になった。

朝飯を食って、さて、自分の機材はと、

山積みなっているザックの中を探すのだが見つからない。

困ったなと思ったところで目が覚めた。

空は白みかけ、体温も平熱に戻っていた。

(写真 CX3)

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2010年7月27日 (火)

伊賀組紐のストラップをもとめる

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カメラのストラップというのは、それ用の製品が沢山出ているようで、

実は、なかなか気に入ったものがない。

だから、普段から他用途でも使えそうなものがあればと、

探しているわけだ。

百貨店の催事場でちょっと面白いのを見つける。

伊賀組紐のネックストラップ(一点吊り)@¥2940也

伝統的な柄もいいが、今回はあえて新作を選んでみた。

長崎の顧客の特注で作った帯締めが話題になり、

商品化した十字文様だそうだ(もとめたのは藍と白 各色揃え)

さて、これを何に着けるかは、後でのお楽しみということで…

職人を20人も抱えていて、月末は大変と、

工房の社長の苦労話も、いろいろ聞く羽目に。

(写真 CX3)

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2010年7月26日 (月)

日々の写真 7/25

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今年は蝉の声をあまり聞かない。

耳にするようになったのは、ここ数日だと思う。

彼らは七年、地中に居たのだから、

七年前に何か問題があったということだろう。

ようやく、夏らしくなってきたけど、

やはり、イマイチ元気がないみたいだ。

…………

再び、カメラのキタムラで見積もりを取らせてみる。

前回より、かなり頑張った数字が出てきた。決断の時か。

(写真 CX3)

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2010年7月25日 (日)

猛暑日四日目

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東京、猛暑日四日目となる。

日に何度か、思考停止する瞬間あり。

神田明神裏のギャラリー・バウハウスにて、

「高梨豊 写真展  PORTRAIT ポルトレ」(~7/31)を観る。

そうそう、銀座の写真展のほうは、

ニコンとリングキューブ、ちょっと面白い程度でコメントはない。

一見の価値があるのは、資生堂ギャラリーの、

「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」(~8/8)だ。

現代日本の写真家には、

どうして、このチェコの写真家たちのような、

無邪気さ、率直さ、パワフルさが無いのだろう。

鑑賞者にストレートに訴えかけることの好ましさ、実に心地よし。

帰りに神保町の書泉で、新刊、

「相撲の歴史」(新田一郎著 講談社学術文庫)を購入する。

(写真 CX3)

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2010年7月22日 (木)

鰻を食す

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季節柄、鰻が食べたくなった。

しかし、今年はとりわけ価格が高騰している。

そこで、台湾産解凍鰻蒲焼というのを店頭で見つけてきた。

食べる前に日本酒小さじ2ほどふりかけ、

ラップで軽く包み、レンジで蒸らすように1分少々温める。

こうすれば、ふっくらとしてくるので、まぁ食べられるのだ。

一人前で、@\390也

山形・最上産なめこ(一袋@\48也)と、

山口・下関産赤だし味噌でなめこ汁をつくり、

同じく、山形・庄内産つるむらさき(一束@\100也)のお浸しと、

岐阜・関市産国産大豆・枝まめ豆腐(小一個@\95也)の、

冷奴を添えた。

これで酷暑も何とか…

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PR400)

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2010年7月20日 (火)

紫雲たなびく…

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昨日の昼過ぎ、東京西部上空で観測された「彩雲」を、

妙な箒形の雲であることよと、目撃していたのだが、

折り悪く、アングルがもう一つだったので撮影しなかった。

一遍聖絵に出てくる往生場面の「紫雲たなびく」とは、

中世人がこんな現象を見て云ったのではないかと密かに想う。

銀座で三つの写真展を回る。

この感想については後ほどに。

(写真 CX3)

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2010年7月19日 (月)

奈良での日々

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昨日の小川晴陽(陽の偏は日)の写真展で思い出したことがある。

クローズアップや黒バックを使った仏像写真の先駆者として知られ、

会津八一とも親交があった写真家だ。

彼が開業した写真館「飛鳥園」は、

今では、洒落たギャラリーとカフェになって営業しているようだが、

その並びだったか、ちょうど奈良博の前に、

「日吉館」と云う旅館があった。

高校の写真部の同級生と撮影に来ていた筆者は、

その分際で、誰かの伝手で何日か滞在することを許されたのだ。

斯界では知らない人が無いくらいの名旅館だったけど、

既に閉館して、四半世紀近くは経つだろう。

名物の女将さんにもお世話になったし、

何より、ここの「すき焼き」が絶品だった。

やはり、奈良が特別な場所であるのは変わらない。

父親と訪ねたのが最期で、もう大分になってしまったが…

(写真 CX3)

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2010年7月18日 (日)

梅雨明け

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日本橋で平城遷都1300年記念にちなんだ三つの展覧会を観る。

「奈良の古寺と仏像 ~会津八一のうたにのせて」

(三井記念美術館 ~9/20)

「小川晴陽(偏が日)没後50周年記念写真展 祈りのかたち」

(日本橋三井タワー1階アトリウム ~7/25)

「入江泰吉写真展 奈良・大和路巡礼の旅」

(日本橋三越本店 本館1階中央ホール ~7/20)

どれも極めてオーソドックスな展覧会のようだけど、

仔細に観ると、それなりに面白いところあり。

入場者の年齢層も高いが、入りは上々だ。

入江泰吉の、飛鳥の夕景(79年撮影)の前で、

「実にいい、黄昏の色ですね」と年配の男性に声をかけられる。

ふと、同級生と自転車で、奈良・飛鳥を撮り歩いた、

高校の写真部の頃を思い出し、心に温かいものが満ちてきた。

(写真 CX3)

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2010年7月16日 (金)

日々の写真 7/15

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西国では豪雨だというのに、

このところ、こっちの空模様は妙な感じになっている。

梅雨はまだ明けてないはずなんだけど…

今宵は書見と、ちょっと視たい番組あり。

(写真 CX3)

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2010年7月15日 (木)

日々、かたちを変えるもの

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強い南風とちぎれ飛ぶ雲に空を見上げた一日。

時折、覗く日差しで梅雨明けが近いことを知る。

めぐる季節よりも、

日々、かたちを変えるもののほうに時を強く感じる。

眺める度に、

まだ、そんなに経ってないはずと嘆息も多し。

…………

つまるところ、今回の選挙の敗北は、

与党党首の対話力の足りなさに起因するのではないか。

某国の大統領のように、執務室から、直接、国民へ、

率直に話しかける仕掛けが必要だと思う。

「…前与党が半世紀も握っていた財布を取り上げて、

 初めて中身をあらためてみたら、実はカラッポでした…」とね。

(写真 CX3)

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2010年7月12日 (月)

原宿にて(2)

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原宿の太田記念美術館でやっている、

「生誕250周年記念 北斎とその時代」

(後期 晩年の境地、富嶽三十六景 ~7/25)を観てきた。

さすがに前評判もあって、入りも上々のようだ。

筆者が北斎はじめ、広重などに目を向けるようになったのは、

ごく最近である。

以前は浮世絵的なものに、ある種の類型化を感じていて、

意識的に避けていたのだ。

でも、中世世界の景観を探索する参考史料として、

描かれている場所や人々を読み解いているうちに、

興味が出てきた。

富嶽三十六景には「甲州伊沢(石和)」「甲州石班沢(鰍沢)」

「神奈川沖」(神奈河湊)と面白い画題がある(いずれも展示中)

もちろん、現代の写真表現と通底するような、

思い切った構図の取り方や色彩感覚にも魅かれている。

(写真 CX3)

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2010年7月11日 (日)

あの一族の関係者?

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これも東博で観た、三鱗紋の直垂を着た馬の口を取る男。

「重文・因幡堂薬師縁起絵巻」(鎌倉14世紀)

残念ながら、彼があの一族の関係者なのかは不明だ。

………………

選挙と大相撲の日か。

事前の騒ぎが煩かった分、今回は気が滅入る。

もとより、筆者は現与党の支持者ではないが、

負けると、周囲にかける迷惑が大き過ぎるという点で困るのだ。

みんなのなにがし党に騙される人が意外と多いこともね。

彼らの口当たりのいい、甘口「ワンフレーズ公約」の中には、

「消費税を上げない」とは一言も書いてないぞ。

(3年は増税しないと書いてあるだけだ。その根拠はよく判らんが、

 一年前の、誰かさんの4年というのと、どれ程の違いなのか。

 仮に、選挙に勝てば、また何を言い出すやら…)

二世政治家のいい加減さは、もう散々、学習済でしょう?

昔、「公約なんてどうでもいい」と言い捨てたヤツがいたじゃない。

でも、ちゃんと投票に行って下さいね。

(そうそう、旧与党のことはコメントに値しないので…)

(写真 CX3)

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2010年7月10日 (土)

其地、山水多く…

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梅雨も終わりに近くなると、豪雨のニュースが多くなる。

山梨県博の常設展示でも、

明治40年の大水害が大きく扱われていた。

郷土の景観を一変させ、多くの人々のその後の運命も、

変えてしまう、大事件だったのがよく解かる。

この列島は降雨量もさることながら、山々から流れ出る川は、

殆どが急流で、水害は何処にでも起こりうる。

こういった風土を考える時、よく思い出すエピソードがある。

元寇の頃、事前に二度日本へ派遣され、一年間滞在した、

女真人の趙良弼という人が、帰国後、世祖フビライにこう報告した。

「…其地、山水多く、耕桑の利なし…」

(私は日本に一年余り滞在しましたが、

 日本人は野蛮で人殺しを好み、親子上下、礼を知りません。

 国土は山と水ばかりで、農業に適していません。

 土地を占領しても貧しく、

 人々を奴隷にしても役に立たないでしょう。

 その上、海路は天候が安定せず、

 大艦隊が渡るには危険が大き過ぎます。

 こんな国に大事な国民を動員し、巨費を費やして、

 征服するのは全く無益であると思われます)

実によく観察しているのだが(今でも十分通用する)

フビライがこの忠告に耳を貸さなかったのは言うまでもない。

(写真 CX3)

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2010年7月 9日 (金)

三鱗紋の太刀

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東博で鞘に三鱗紋をあしらった太刀を観た。

北条氏が伊豆の三嶋大社に奉納したものと伝える。

「重文 三鱗紋兵庫鎖太刀拵」

(太刀 銘 一文字 号 北条太刀 鎌倉13世紀)

ずっしりとした、冷たい金属の肌合い、

奉納品と雖も、やはり武器だ。迫力が違う。

金属と金属がぶつかりあい鳴り響く音、空を切る音…

そして、血の匂いが目の前によみがえるようだった。

前にも触れたが、北条一族に惹かれ続けている。

この一族にまつわるものは出来るだけ見ておきたい。

滅んでしまった一族だから、殆ど何も残っていないのだけれど…

(ついでながら、カメラも金属製が好ましいのは言うまでもなし)

三嶋大社といえば、一遍聖絵でも、

ちょうど同じ時代の景観を描いている。

一の鳥居の前で、馬から飛び降り、

土下座して、祈りを捧げる武士。

中世人が信仰を身をもって表す様は激しく、直情的だ。

今でも、どこか海外なら、ありそうな光景か。

(写真 CX3)

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2010年7月 8日 (木)

由緒正しき伝統芸能の終幕

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朝刊、大相撲の騒動を慨嘆する、

小沢昭一氏へのインタヴューが面白い。

…神事に始まった相撲が江戸の終わりに、

 両国の回向院で「常打ち」になって、見世物、興行化したのが、

 大相撲のルーツなのだから、どうみても大相撲は伝統芸能で、

 一般の常識社会から離れたところの、遊びとしての魅力なんです。

 そんな中世的な価値感をまとった由緒正しき伝統芸能が、

 文科省管轄下で、クリーンとやらの仲間入りか。寂しいなぁ…

考えてみれば、大相撲も、中世世界の、世の埒外、

道々の輩、芸能民の系譜に連なっているわけで、

その本質に、世の白日の下では生きていけないような、

「性」を持っているのは否めないと思う。

今の世に合わせていけば、ある意味、自己否定につながる。

今までと、全く違うものに生まれ変わるしかないとするならば、

途端につまらなくなるのはいたし方なし。

まぁ、これは他の伝統芸能についても言えることだけど…

それにしても、ちゃんとした「相撲の歴史」を物した人はいるのかな。

(写真 ライツミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PR400)

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2010年7月 7日 (水)

南品川にて(3)

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中世の品川津をめぐる、御殿山、南品川の探索をひとまず終える。

品川を出た京急が僅か数分で通り過ぎてしまうような空間だけど、

今どきの都下には稀有な、濃厚な中世史スポットであることが、

あらためて確認出来たと思う。

一番上の写真は江戸初期に描かれた妙国寺絵図。

室町中期に熊野の「有徳人」鈴木道胤の寄進で建てられた、

五重塔は慶長19年(1614)の台風で倒壊する。

寛永年間、三代将軍家光によって、再建されるが、

元禄15年、四谷塩町出火の大火で焼失したと云う。

絵図の右下に目黒川と境橋、町屋と艀が繋がれる浜が見える。

門前を左右に貫く大道は東海道らしく、

参詣者と往来する旅人で賑わっているようだ。

今回の探索、休日とあって、寺々は閑散とし、

二、三人の墓参の人しか会わなかった。

塔婆を鳴らす風と、時折高架を通過する京急の音だけである。

妙国寺の門を出たら、隣に新しい寺があった。

最寄りの青物横丁駅からやって来る人波が絶えず、

いくつもの生花が立てられている。

受付けの人に聞いたら、ここにはペットの墓地があり、

今日は例大祭とのことだった。

(写真 CX3)

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2010年7月 6日 (火)

南品川にて(2)

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南品川探索は、静かな寺めぐりといった風情となる。

日蓮宗の本光寺、妙国寺(天妙国寺)は今でも大寺である。

広大な墓地と塔、檀家も多そうだった。

中世の都市的な場で力を振るっていた、商人、職人たち、町衆は、

日蓮宗の信徒であることが多い(京都、祇園祭の担い手も)

妙国寺の境内には、巨大な五重塔の礎石が残っているが、

室町中期に、熊野から移住した「有徳人」(大商人)鈴木道胤の、

寄進によって建立されたものと云う。

同寺は、多宝塔、三門、鬼子母神堂などの七堂伽藍を擁し、

浅草寺のように、海上から朱塗りの威容が望めたに違いない。

傍らのクスノキの大木も、彼らが故郷から持ってきたはずで、

ここでは、唯一の中世世界の証人かと、暫し感慨に。

(写真 CX3)

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2010年7月 3日 (土)

ロキソニンとタガメット

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左肩の激痛、一向に治まる気配がないので、

たまらず、世田谷の病院にいる、

かかりつけの整形外科医のところへ飛び込んだ。

レントゲン撮影ですぐに結果が出た。

「石灰沈着性肩関節周囲炎」

(肩関節周囲炎とは、俗に云う四十肩)

肩関節の腱に石灰が付くのだが、症状は急性で、

夜も寝れないような激痛が特徴らしい(その通り!)

ロキソニン(消炎鎮痛剤)とタガメット(H2ブロッカー)が処方された。

何でも、この二つの薬で石灰を溶かす作用があるのだそうだ。

(2、3日で効果が現れ、一週間程度で痛みが消えるようだ)

タガメット(胃腸薬)は典型的な「適応外使用」というやつ。

既に2回服用したけど、もうかなり楽になった。

これで、6日ぶりに安眠出来る。やれやれ…

(写真 CX3)

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2010年7月 2日 (金)

蓬莱山の霊力

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七月一日になった。

富士山山開きのニュースを視る。

一遍聖絵の富士川の場面に描かれる13世紀、中世世界の富士。

まだ近世以降の類型化表現はなく、古風で素朴な風情がいい。

山梨県博に行く車窓からも見えたけれど、

今の季節の夏姿が好きである。

まぁ、富士山趣味は、通俗の極み、平凡の代名詞、

花鳥風月のどん詰まり、なのは論を待たないが、

それに血道をあげる人を敢えて責める気にもなれない。

今日のもう一つのニュースに、

中国からの観光客の人気スポット、ベストファイブに、

ここが含まれるというのがあった。

東海上の目出度き、不老不死の蓬莱山の霊力は、

未だ侮れないものがある。

筆者にとって、目下の課題は、

浅間大社蔵、中世末期、戦国期の作といわれる、

重文指定「富士参詣曼荼羅図」の実物を観察することだ。

数年前に三井記念美術館で公開されたのを見逃した。

富士をめぐる、人々の信仰活動には興味が尽きない。

あの山本勘助の素性にも、富士信仰が影を落としているのだ。

(写真 CX3)

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2010年7月 1日 (木)

山梨県博へ(3)

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山梨県博の解説員の方から、面白い話を伺った。

江戸初期の住倉了以の開削工事から始まり、

明治期の中央線や身延線の開通に至るまで、

甲斐―駿河間を行き交った、富士川水運のことだ。

陸路をとると、馬の背にせいぜい俵二俵を、

二、三日もかけて運ぶところを、高瀬船だと、

俵三十俵(約一トン)を僅か6時間で運んだと云う。

しかも、帰りは駿河の塩を満載して、

日本三大急流で知られる富士川を遡って戻る。

当時は動力が無いから、舟に5人位の男が乗り、

一人が櫂を取り、後は縄を掛けて舟を引っ張ったのである。

川岸に足場があるところはいいが、無いところは、

水に浸かりながら舟を引く、危険な重労働だった。

(幕末以降は、帆を張るようになったが、それでも、

 南風の時しか役に立たなかった)

5日もかかって、甲斐の鰍沢河岸に戻ったそうだ。

角倉了以以前の、中世世界ではどうだったか。

品川津で発見された、大型の常滑甕(舟でしか運べない)が、

富士川や支流の笛吹川流域でも確認されているから、

まったく同じ航路が使われていたらしい。

ここ石和も、二つの街道と富士川水運の接点で、

甲斐一番の都市的な場として、賑わっていたはずなのだ。

帰りのバス停の近くには、謡曲「鵜飼」の舞台と伝わる、

日蓮宗の鵜飼山遠妙寺があり、中世史スポットとしても、

この街は魅力に満ちている。

幸運にも、金精軒の元祖・信玄餅(幟が出ていた)を、

バス停前のパン屋さんで見つけ、購入する。

店の人と、やはり、ここのが一番と頷きあった。

一番上の写真…笛吹川の下流を望む(昨日のは上流方向)

一番下の写真…一遍聖絵に出てくる、中世の舟を引っ張る人々。

(写真 CX3)

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