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2010年8月 7日 (土)

なぜ、今 清盛なんだ?(2)

B10080601

一昨日は少しくさしたが、期待出来ることもなくはない。

製作発表会見で、ちょっと面白い見方があった。

「海賊の王、清盛」

「ジャンク船の先端で仁王立ちとなる清盛の勇姿」

これは「新平家物」にはなかったイメージである。

この40年の研究の進展からみれば、必ずしも誤りではない。

清盛は多くの海賊=舟を自在に操る海の武士団の、

頂点にいた棟梁だった。

武士たちの棟梁を一種の王権とみなして「王」と呼ぶのも、

違和感はない。頼朝、奥州藤原氏、皆同じだ。

ジャンク船とは大型の外洋船=唐船である。

平氏が唐船を所有していたのは確実で、

日宋貿易に活用するばかりか、清盛自ら乗船して、

一族を引き連れて瀬戸内海を航海している。

そういった史実から垣間見えるのは、

清盛には、当時の国境や国の枠組みを軽々と超えて、

東アジア全体と交流しようとする視点があったことだ。

国際感覚に優れ、多くの情報を持ち、

より自由と実力を志向した人間だったとも言えるだろう。

平家物語は清盛をとんでんもないヤツと書き始めながら、

結局、彼のスケールの大きさに圧倒されて、

作者の意図を超えた、魅力的な清盛像を描き出した。

その辺りも加味していけば、

なぜ、今、清盛なんだという問いに答えられると思うのだが。

(写真 CX3)

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コメント

平氏は松浦党を日宋貿易に使っていました。
壇ノ浦では、松浦党は平氏の主力海軍を構成していましたが、もともと嵯峨源氏であるし寝返ったとされているようです。

投稿: 振り子 | 2010年8月 7日 (土) 00時11分

その壇ノ浦では、平氏は虎の子の唐船を動員しています。平家物語によれば、唐船を囮にして源氏をおびき寄せ、大事な公達は小船に隠しておく作戦だったようですが、実は唐船を使って、安徳帝を連れて宋へ亡命を図っていたのではないかという説もあり、ある程度説得力があります。彼らは船や海に相当自信があったのは確かでしょうね。

投稿: kansuke | 2010年8月 7日 (土) 01時24分

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