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2010年10月の記事

2010年10月30日 (土)

あの角を曲がれば…(1)

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今日もバスを降りて、世田谷通りのあの角を曲がって通院する。

そう、それが思いもかけない中世世界への入り口だった。

自分が歩いていた、その道が古道であり、

かつての宿と市への入り口だったわけだ。

矢倉沢往還の世田谷新宿前のクランクは、

(既に同様のものを雑司が谷・宿坂下で発見しているが)

この夏、東博で観た江戸中期の「東海道分間延絵図」という、

幕府が道中、宿々の様子を詳細に描かせた絵図も思い起こさせた。

矢作川、岡崎、藤川宿辺りの場面だったか、宿の入り口付近で、

道が大きく、クランクしているのだ。

屈曲を利用して「見付け」呼ばれる柵が設けられ、

その先に、道を挟むように対になった一里塚がある。

ちょっと見ると、街道というものは、

専ら軍事的な観点で造られたと考えたくなるが、

それは中世後期から、江戸期になっての話だと思う。

南北朝期以降、戦乱が全国規模になり、大軍が頻繁に、

各地を往ったり来たりという状況になってからではないか。

普段は、時衆、修験者、御師、巫女といった宗教者たち、

芸能者や職人、連雀商人、道々の輩たちの表舞台だったはずだ。

クランクには、何か「宗教的」な視点が、

隠されているような気もしてきた。

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(写真 CX3)

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2010年10月29日 (金)

世田谷御所(2)

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吉良氏の菩提寺、勝光院から、やや北に上がると、

世田谷八幡がある。戦国期の天文年間に吉良氏が氏神として、

創建したようだ。

平安時代の後三年役と源義家に纏わる伝説もあるが、

この類の話は、東国の古道沿いによく残っているものだ。

先に触れた、ここを抜ける―世田谷城―元宿の矢倉沢往還の、

旧ルートが鎌倉期に遡る可能性を示すものだろうか。

さて、そろそろ、

世田谷代官屋敷界隈探索の総括をせねばならない。

しかし、ひとまず、頭の整理をする必要がある。

今日の冷たい雨のせいか、クシャミも止まらないし、

今宵は休養と書見に充てたくなったので、ご容赦…

(写真 CX3)

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2010年10月28日 (木)

世田谷御所(1)

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世田谷代官屋敷界隈の探索を続ける。

世田谷城は「世田谷御所」とも呼ばれた。

あるいは、そう呼ばせていたのか。

中世後期、この辺りを領していた吉良氏というのは、

足利将軍家の一門では、斯波氏と並んで筆頭格だった。

もし、足利本家が絶えれば将軍にもなれる家柄である。

南北朝期に世田谷と横浜の蒔田に領地を得て、館を構えていた。

(ついでながら、元禄赤穂事件の吉良上野介義央は、

 鎌倉中期に分かれた、兄筋の家系だ)

官位は通常の大名より頭一つ上で、従四位下左兵衛佐、

征夷大将軍と同格といえなくもない。

足利一族の居館は例外なく「御所」と呼ばれていたので、

彼らもそれに倣ったのだろう。

上下貴賎、官位をやたらと有り難がる風潮が定着したのが、

(これが肩書きに病的に拘る、現代日本社会の原点だと思う)

中世後期の世界だったから、この一族、

周りから、実力以上にチヤホヤされていたはずである。

始めは古河公方に属し、戦国期に公方が没落すると、

後北条氏を頼り、姻戚関係を結ぶのに成功するが、

小田原落城で全てを失い、徳川の旗本として拾われるに至る。

下総に1200石をもらい、世田谷を落去、

さすがに「吉良」の名跡が憂さくなったのか、

横浜のほうの「蒔田」姓を名乗った。

(その後、元禄赤穂事件でもう一つの吉良家が断絶すると、

 吉良姓に復したようだ)

写真は世田谷城の南西にある勝光院の吉良家墓所。

下総に移った後も営まれ、墓石も近世のものが殆どだ。

(写真 CX3)

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2010年10月27日 (水)

出し忘れたフィルム

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一台のカメラだけを使っているのなら、こんなことは無いのだが、

数台、しかも、デジタル、フィルムごっちゃだから、

うっかり、忘れるものが出てくる。

ライツCLにフィルムを入れっぱなしになっていたのを見つけ、

残りを撮って、現像に出した。

6月の品川宿と、

この10月の世田谷代官屋敷が一緒のフィルムに写っている。

まぁ、今回の探索で両者の密接な繋がりを発見出来たのだし、

これもよかろうと思うことにした。

…………

細江英公氏、それと吉永小百合が文化功労者か…

どちらかと言えば、栗原小巻のほうが好みなんだけどな…

このボヤキ、忘れて下さい。

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(写真 ライツミノルタCL Mロッコール40㎜F2 PR400)

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2010年10月26日 (火)

豪徳寺にて(2)

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紅葉にはまだ早いが、手軽に京都のような?

雰囲気を楽しめる寺かもしれない。

代官屋敷など、周囲に歴史スポットが沢山あるから、

お奨めの散策コースだろう。

…………

さて、根津美術館でやっている、

創立70周年記念特別展「南宋の青磁」(~11/14)を観て来た。

中世遺跡では、定番の出土遺物である中国青磁の、

代表的な作品を、まとめて系統的に鑑賞出来るし、

基礎知識も得られる貴重な機会だ。

伝世の名品(国宝2点、重文8点含む)に加えて、

博多、鎌倉などの中世遺跡出土コレクションも見逃せない。

(写真 GX200.CX3)

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2010年10月25日 (月)

豪徳寺にて(1)

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世田谷代官屋敷界隈の探索の途中で立ち寄った、

豪徳寺の写真を紹介する。

井伊大老の墓所は最近、修理が行われたらしく、

真新しい石灯籠や柵が目立つ。

この人から、まず、イメージするのは桜田門外の変だけど、

筆者にとっては、父親の、

「時ならぬ雪の日は気をつけろ。大事件勃発の懼れあり」

の遺訓である。すなわち、

「2.26事件、元禄赤穂事件、桜田門外の変」とくるわけだ。

しかし、この桜田門の一件、厳しく見れば、

未だ歴史的な評価が定まっていないと言える。近頃では、

「テロリズム」という新たな視点も加わって、複雑になってきた。

…………

そうそう、猫好きの人にとっても、

はずせないスポットになっているのだな。

それらしい参拝者を見かけた。

…………

最期の写真は参道脇の土塁状の遺構。

「世田谷城」なんてと呼ぶと、

どうしても、石垣、白壁、天守の近世城郭を、

思い浮かべてしまう人が多いかもしれない。

でも、ここは、あくまでも、土と木だけで造られた、

中世、東国の、土臭い館跡なのだ。

(写真 GX200)

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2010年10月24日 (日)

通院と探索

実は、通院がてらに、

世田谷代官屋敷界隈の探索を続けていたのだが、

本日の世田谷元宿をもって、

ほぼ、重要なスポットは塗りつぶし終えたようだ。

久しぶりにGX200を持ち出して撮影する。

今日は肩の力をちょっと抜いて、この街の雰囲気を…

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三軒茶屋から、玉川通りを分岐する世田谷通りは、

ほぼ、矢倉沢往還(大山道)をなぞっていて、世田谷新宿に至ると、

L字状にクランクして、ボロ市通りへ入っていく。

これは「古道のお約束」なのだが、

詳しくは、稿を改める必要がある。

ちょうどその前にある、例の真言宗豊山派の寺より、

クランクを見る。

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元宿の辺りは世田谷区役所が建っている。

古木が多く、鬱蒼としているのも「お約束」通りだ。

なんと、大場家(代官屋敷裏にも。そっちは本家か?)も現存!

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世田谷城址(吉良氏館跡)方向に向かうと谷を下るようになる。

谷底に烏山川の暗渠(緑道)が流れ、

橋跡が表示されているのだが、

これも喫驚!「品川橋」というのである。

おそらく古名だろう。品川津に通ず。意味深長なり。

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再び、微高地を上り返す。この突端が世田谷城址になるが、

その後背地に豪徳寺がある。正面が豪徳寺東側の塀だ。

豪徳寺の境内は世田谷城の主郭(本丸)跡とも云う。

参道付近には土塁状の遺構と思われるものがあった。

折角、此処まで来たのだから、井伊大老の墓所も見て来た。

それは、また別稿にて…

(写真 GX200)

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2010年10月23日 (土)

ボロ市以前

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昨日、触れた後北条氏の掟書により、ボロ市の起源は、

天正六年(1578)の世田谷新宿の開設に始まるというのが、

現在のところ、定説のようだ。

しかし、筆者はそれ以前から、市は存在していたと睨んでいる。

元宿がその場所だが、矢倉沢往還も、今より、

北側を通っていたことになる。確かに、その辺りには、

領主・吉良氏の館跡(世田谷城址)や世田谷八幡宮(氏神)などの、

中世のより古い時代の拠点が並んでいるのである。

後北条氏の勢力下に入ってから、矢倉沢往還のルート替え行われ、

それに伴なって、宿と市が新宿へ移されたと見るべきだろう。

わざわざ、掟書に「楽市となす」と謳っているのは、

そうではなかった、それ以前の市が元宿にあった、

証左のように思えてしようがないわけなのだ。

上の写真は世田谷城の空堀の遺構。

下は御馴染み、一遍聖絵に描かれた、中世の典型的な市、

備前・福岡市の光景。

画面下、市の裏手で小舟から商品を運び込む男に注目したい。

中世の市の立地には、水上交通の利便が不可欠だった。

世田谷元宿近辺を烏山川という小河川(今は暗渠)が流れる。

この川は、あの目黒川に注ぎ、品川津に繋がっている。

このような小河川を侮ってはならない。

ちょっと前まで(戦前、明治期)は水量が意外に豊かで、

小船の往来が活発だった場合が多いのだ。

(写真 CX3)

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2010年10月22日 (金)

虎の印判

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世田谷代官屋敷界隈の探索を続ける。

「ボロ市」の起源というのは、代官・大場家に伝来する、

後北条氏が天正六年(1578)に世田谷新宿宛てに発給した、

掟書によって知られる。北条氏は今までの元宿を廃し、

新たに新宿を設け、市を開き、楽市となすように定めた。

(江戸期にボロ市は年一回の歳の市になったが、当初は、

 中世の他の市のように、月六回の六斎市だった)

この掟書には、北条氏の正式な文書に押される、

有名な「禄寿応隠」と刻まれた「虎の印判」

(印の上辺に横たわる虎の姿)があり、

北条家重臣の山角上野介(康定)が取り次いだ、

奉書形式をとっている。

恐らく、この文書かその写しが高札場に掲げられたのであろう。

その際、市を取り仕切ったのは大場氏だと云う。

(従来、大場氏は元宿に住し、この新宿設置と共に、

 今の代官屋敷の場所に移ったと伝えられている)

世田谷区立郷土資料館では、12/11から1/30まで、

「ボロ市」の開催に合わせて、掟書の実物を公開する予定だ。

(写真 CX3)

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2010年10月21日 (木)

ホワイトナチュラを試写する(3)

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アグファのネガカラーで撮ったのが上がって来た。

こっちのほうがいいかもしれない。

しばらく、これでいこうと思う。

やはり、銀塩を観るとホッとするな。

写真は麻布十番と神田駿河台。

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(写真 ナチュラクラシカ スーパーEBフジノン 28~56 F2.8~5.4)

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2010年10月19日 (火)

代官屋敷界隈

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こうして、世田谷代官屋敷界隈の探索を始めたのは、例によって、

この辺りに中世の宿と市の痕跡を見出したからに他ならない。

屋敷の前の「ボロ市通り」と云うのは、大山道、つまり、

江戸期に盛んになった大山参りの参詣道である。

しかし、中世後期から戦国期にかけては、

足柄峠と江戸を結ぶ「矢倉沢往還」として知られ、

ほぼ、東海道の機能を果たす、幹線道路だったと考えられる。

(中世前期の東海道は鎌倉に入っていたが、室町中期に、

 関東公方の落去によって、鎌倉が荒廃すると、

 後北条氏の本拠、小田原と江戸を直結する、

 こちらのルートのほうが栄えたようだ)

さて、屋敷裏手の浄光寺(室町中期15C 文明年間開山)という、

浄土宗の寺に、代官・大場氏の墓所を訪ねてみる。

一番古そうな宝きょう印塔に寛永三年(1626)の銘を見つけた。

(写真 CX3)

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2010年10月18日 (月)

お白洲である!

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ちょっと、閑話休題。

ところで「世田谷代官屋敷」には白洲跡というのがある。

あの時代劇でお馴染の「お白洲である!」

当主の大場氏は、室町中期に足利将軍家の連枝、

領主・吉良氏の家臣として、世田谷に土着していたが、

主家没落後、戦国期の後北条氏治世下も生き延び、

江戸期に入って、彦根藩領になってからは代官職を務めた。

もっとも、代官には警察権はあるが、検断権(仕置権)は無く、

裁判は彦根藩領佐野奉行か桜田上屋敷の勘定奉行のもとで、

行われていたようだ。

この白洲では逮捕後の尋問程度のことはあったらしい。

敷き詰められた玉砂利は当時のものである。

ついでながら、大場氏の身分は戦国期は武士、その後は、

百姓身分に戻って名主、代官になってからは彦根藩士となる。

でも、地元では「宿名主」と呼ばれていたと云う。

これが「ボロ市」と関わっていくわけだ。

(写真 CX3)

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2010年10月17日 (日)

薬を待つ間に(2)

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「世田谷代官屋敷」は撮影向きのスポットで、結構楽しめる。

この辺りの地番は世田谷一丁目~三丁目となっているようだが、

本来の字名は「新宿」というのである。

大山道に沿って、「上宿」「下宿」とあり、世田谷線の線路を越えて、

区役所付近に至っては「元宿」が存在した。

現在、上町と呼ぶのは「上宿」に由来するものだろう。

その経緯は「ボロ市」の歴史と深く関わっている。

それにしても、地名というものは、

地域の失われた歴史を刻し、伝える、

かけがえの無い遺産であるのに、

こうして消し去ってしまうのは、全くの暴挙と言わねばならぬ。

でも、まぁ、「代官屋敷」から思いもかけない、

中世世界への入り口を見つけたのは嬉しかった。

引き続き、その話を…

(写真 CX3)

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2010年10月16日 (土)

薬を待つ間に(1)

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世田谷の病院へ、

左肩のヒアルロン酸注射を受けに行っているのだが、

前々から、この辺りに「あの匂い」を感じていた。

そこで、今日、薬局で薬を待つ間に探索を試みた。

その間、僅かに45分、でも、やはり期待通りだった!

病院のある通りは「ボロ市通り」と云う(これも後で詳しく…)

既に古道であると睨んでいたが、正しく「大山道」である。

そして、すぐ、道に面して「世田谷代官屋敷」に当たった。

江戸中期の豪農屋敷と長屋門が現存し、重文指定。

敷地内には世田谷区立郷土資料館もあり、入場無料だ。

躊躇無く、足を踏み入れる。

ついでながら、江戸中期以来、ここは彦根藩井伊家の飛び地で、

20ヶ村、2300石を領していた。

その代官職を代々務めた大場家の役宅が、

「世田谷代官屋敷」というわけなのだ。

(写真 CX3)

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2010年10月15日 (金)

博打と巫女

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さて、引き続き「東博本 東北院職人歌合絵巻」(重文 14C)より、

博打と巫女、共に神意を占なう「職人」として対にされている。

(同業者に近い感覚だったのだろう。そう考えると面白い)

中世世界では、博打も一芸として認められていた。

それどころか、盗みや収賄も立派な?芸能とされていたらしい。

この辺り、日本人の価値規範の底流に(無意識のうちに)

今も、脈々と流れているのかもしれない。

博打は双六盤を持ち、勝負に負けて、身包み剥ぎ取られた姿、

巫女は鼓と念珠を下げ、緋袴姿で、かなりの老婆である。

中世を通じ、双六(博打)は上下貴賎に大流行したといわれる。

都市的な場の遺跡では、双六盤、賽、駒がよく出土する。

しかし、中世後期より、博打は厳しく禁制され、近世、現代と、

裏世界のものになっていく。

(写真 CX3)

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2010年10月13日 (水)

医師と陰陽師

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もとより、東博に行ったのは、

「東大寺大仏展」だけが目当てだったのではない。

常設展のほうにも見逃せないものがあった。

東博のサイトでは現在の展示品を全て掲示しているから、

それらを時々チェックして、観に行くようにしているのだ。

ちょうど、目下の関心事である「連雀商人」に関連して、

中世の職人歌合の史料を集めていたところに、

「東博本 東北院職人歌合絵巻」(重文 鎌倉期14C)が、

出品されていたというわけである。

ついでながら、職人歌合とは、

中世の各種職人を左右の対に分けて(ライバルような感じに)

それぞれに和歌を詠ませ、

優劣の判定を、やはり職人である判者が行うという、

歌合に仮託した歌集で、絵が添えられていることが多い。

(描かれた職人たちの姿が貴重な絵画史料になっている)

実際の和歌は当時の貴族たち、歌人が詠んだものだ。

写真は、その中で対にされている医師(上)と陰陽師(下)

病には、薬と呪いだけが頼りだった中世世界ではある。

…この医師、何故か振り子さんのイメージとダブるのは、

 気のせいかなと… 失礼しました。

(写真 CX3)

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2010年10月12日 (火)

「東大寺大仏展」のみどころ

東博の「特別展・東大寺大仏」(~12/12)のみどころを、

とりあえず記しておかねばなるまい。

まず、工芸品関係が充実している。圧巻は、

大仏殿正面に創建時から立っていると考えられている、

国宝の八角燈籠が初めて会場まで運ばれ、公開されたことだろう。

平安末期の絵巻「信貴山縁起」にも描かれているものだ。

次に彫刻で、快慶作の国宝・僧形八幡神坐像と、

同じく国宝・重源上人坐像をじっくり鑑賞出来れば、

それだけで十分、元は取れるというものだ。

もちろん、それ以外に見るべきものはある。

平常展も忘れてはいけない。

下は東博所蔵の重文・遊行上人縁起絵巻(鎌倉期)

時宗二世の他阿上人・真教の事跡を描く。

越中の国、放生津(現射水市)を遊行した際の様子。

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(写真 CX3)

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2010年10月11日 (月)

月光菩薩立像

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昨日観に行った東博の特別展「東大寺大仏」で散財したというのは、

海洋堂謹製の限定公式フィギュア「月光菩薩立像」である。

@¥3500也(購入には入場券半券が必要)

云わずと知れた法華堂(三月堂)の秘仏で国宝指定だ。

もう一つ、「誕生釈迦仏立像」もフィギュア化されているが、

筆者としては、こちらのほうが出来がいいと思う。

この前の興福寺展の阿修羅像のように売り切れは必至だろう。

(写真 CX3)

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2010年10月10日 (日)

ご朱印サービス

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昨日から始まった、東博の特別展、

「東大寺大仏 天平の至宝」(~12/12)を観る。

幸い、雨の連休初日とあって、比較的楽に観覧出来た。

まず、この頃は図録(@¥2500也)などもとめないものだが、

出張してきた東大寺の僧侶が、

「ご朱印サービス」をしてくれるというので、まぁ、

一生に1回は、こういう経験もよかろうと、つい購入してしまった。

短い時間だったけど、いろいろ収穫あり。おいおい触れることにする。

他にも散財したものがあって、それも後ほどに…

…………

ココログの管理ページが滞っているようだ。

とりあえず、今宵はこれまで、ご容赦を。

(写真 CX3)

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2010年10月 8日 (金)

連雀商人のこと(1)

このところ、興味を持っている連雀(れんじゃく)商人とは、

中世世界の遍歴する行商人のことである。

彼らが荷を背負うために用いた紐状の装具を、

連雀(連尺)といったことから、そう呼んだらしい。

また、背負っている、こまこました商品をいれる、

引き出しと仕切りがたくさん付いた箱は、

千駄櫃(せんだひつ)といって、

彼らのトレードマークというべき持ち物だった。

かなり、乱暴な捉え方ではあるが、彼らを、

いわゆる「寅さん」の先祖のような存在と云ったら、

解かり易いかもしれない。

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(写真 CX3)

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2010年10月 4日 (月)

「職人歌合」をもとめる

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石井進氏の「中世のかたち」(2002/1 中央公論新社)の、

後半、市と宿、連雀商人に関する論考は思い当たることが多く、

(その件については稿をあらためる必要あり)

近頃に無く興に乗った。それに刺激されて、午前中、

Amazonにて、「職人歌合」(網野善彦著 岩波セミナーブックス)

「七十一番職人歌合…」(新日本古典文学大系)を発注する。

後者は、奇遇にも吉祥寺よみた屋さんの在庫で、

早速に発送してくれた旨のメールあり、感謝。

午後より、新横のショールームに出向き、

什器家具類の下見をこなす。

その足で、夕刻より会食、先程戻ったばかり。

(写真 CX3)

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2010年10月 3日 (日)

神田明神裏から駿河台へ

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神田明神裏のギャラリーバウハスにて、

「田村彰英写真展 AFTERNOON 午後」(~10/30)を観る。

婚礼で賑わう神田明神境内を抜けて、駿河台、神保町へ。

CX3の他にアグファのネガカラーを詰めたホワイトナチュラを携える。

(写真 CX3)

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2010年10月 2日 (土)

世田谷にて(1)

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左肩に患っている「インピンジメント症候群」の治療ため、

週一回、世田谷の病院へヒアルロン酸注射を受けに通っている。

何でもない住宅地の中にある病院だけど、近くに、

真言宗・豊山派の大きな寺があったり、石屋さんがあったりで、

結構、門前町の「あの気配」を感じるスポットなのだ。

のんびりとした世田谷線の風情を味わうのも、

幼児期、伯母の家に遊びに行って以来のことだと思う。

(写真 CX3)

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2010年10月 1日 (金)

ホワイトナチュラを試写する(2)

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皇居御苑内には近世城郭―江戸城の遺構が比較的よく、

残っているから、つい、レンズを向けたくなる。

漆喰壁の描写は結構、難しい。

“Solaris”の限界かもしれない。

今、アグファのネガカラーフィルムを入れて試しているところだ。

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(写真 ナチュラ・クラシカ スパーEBCフジノン 28~56 F2.8~5.4)

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