« 虎の印判 | トップページ | 通院と探索 »

2010年10月23日 (土)

ボロ市以前

B10102201

B10102202

昨日、触れた後北条氏の掟書により、ボロ市の起源は、

天正六年(1578)の世田谷新宿の開設に始まるというのが、

現在のところ、定説のようだ。

しかし、筆者はそれ以前から、市は存在していたと睨んでいる。

元宿がその場所だが、矢倉沢往還も、今より、

北側を通っていたことになる。確かに、その辺りには、

領主・吉良氏の館跡(世田谷城址)や世田谷八幡宮(氏神)などの、

中世のより古い時代の拠点が並んでいるのである。

後北条氏の勢力下に入ってから、矢倉沢往還のルート替え行われ、

それに伴なって、宿と市が新宿へ移されたと見るべきだろう。

わざわざ、掟書に「楽市となす」と謳っているのは、

そうではなかった、それ以前の市が元宿にあった、

証左のように思えてしようがないわけなのだ。

上の写真は世田谷城の空堀の遺構。

下は御馴染み、一遍聖絵に描かれた、中世の典型的な市、

備前・福岡市の光景。

画面下、市の裏手で小舟から商品を運び込む男に注目したい。

中世の市の立地には、水上交通の利便が不可欠だった。

世田谷元宿近辺を烏山川という小河川(今は暗渠)が流れる。

この川は、あの目黒川に注ぎ、品川津に繋がっている。

このような小河川を侮ってはならない。

ちょっと前まで(戦前、明治期)は水量が意外に豊かで、

小船の往来が活発だった場合が多いのだ。

(写真 CX3)

|

« 虎の印判 | トップページ | 通院と探索 »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 虎の印判 | トップページ | 通院と探索 »