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2010年10月22日 (金)

虎の印判

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世田谷代官屋敷界隈の探索を続ける。

「ボロ市」の起源というのは、代官・大場家に伝来する、

後北条氏が天正六年(1578)に世田谷新宿宛てに発給した、

掟書によって知られる。北条氏は今までの元宿を廃し、

新たに新宿を設け、市を開き、楽市となすように定めた。

(江戸期にボロ市は年一回の歳の市になったが、当初は、

 中世の他の市のように、月六回の六斎市だった)

この掟書には、北条氏の正式な文書に押される、

有名な「禄寿応隠」と刻まれた「虎の印判」

(印の上辺に横たわる虎の姿)があり、

北条家重臣の山角上野介(康定)が取り次いだ、

奉書形式をとっている。

恐らく、この文書かその写しが高札場に掲げられたのであろう。

その際、市を取り仕切ったのは大場氏だと云う。

(従来、大場氏は元宿に住し、この新宿設置と共に、

 今の代官屋敷の場所に移ったと伝えられている)

世田谷区立郷土資料館では、12/11から1/30まで、

「ボロ市」の開催に合わせて、掟書の実物を公開する予定だ。

(写真 CX3)

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