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2010年12月の記事

2010年12月31日 (金)

佐倉にて(3)

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さすがにインフルは一日で治るというようにはいかない。

頭痛、身体中が痛いし、食欲も全く無い状態だ。

そんなわけで、今日は横になって過ごす。

佐倉の歴博でいくつかプロットがあるのだが、

今宵はさわりだけでご容赦を。

北の中世湊、津軽十三湊遺跡を発掘調査したのは、

歴博と富山大学の合同チームだった。それで、

出土遺物の展示コーナーがある(写真中)

あの一遍聖絵に出てきた、中世の貨客船の、

精密な再現模型と構造図も展示されている(写真下)

(写真 GX200)

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2010年12月30日 (木)

A型インフルにやられた!

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昨夕、ちょっと体調に異変を感じていたのだが、

今朝起きたら、9度近い高熱だった。

この際と、地元で評判がいいというクリニックに、

午前中駆け込んでみた。

簡易検査でA型インフルとすぐに判明し、

新しい吸入薬の処方を受ける。

二瓶の粉末薬を一度に吸入して、終わりである。

さっきまで、うんうん呻っていたのが、夜になって、

嘘のように6度台に下がり、かなり楽になった。

この薬、なかなかの優れもののようだ。

(写真 CX3)

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2010年12月28日 (火)

佐倉にて(2)

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国立歴史民俗博物館(歴博)は戦後数十年に及ぶ、

設立構想を経て、1981年に開館した、歴史学、民俗学、考古学を、

融合する、学際的な研究・展示施設である。

そのユニークな理念に魅かれ、

開館当初から是非、見学したいと思っていたのだが、

なかなか機会に恵まれず、昨日やっと、

その想いを遂げることが出来たわけだ。

歴博は佐倉市の佐倉城址内にあり、広大な規模を有している。

展示施設もかなりのもので、じっくり観ようとすれば、

丸一日は十分にかかるだろう。

今回は京成佐倉駅より、この街の雰囲気を味わいながら、

15分かけて歩行し、訪ねてきた。

(写真 GX200)

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2010年12月27日 (月)

佐倉にて(1)

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佐倉にある、国立歴史民俗博物館(歴博)へ行ってきた。

企画展示「武士とはなにか」の最終日である。

今日は前後にいろいろと所用があり、先程戻ったばかり。

いささか疲労したので、詳細は明日に送る。

ご容赦を…

(写真 GX200)

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2010年12月26日 (日)

発掘成果その九

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一連の発掘品、今回で一応締めるが、

あとは運送会社の倉庫に一時保管され、来年初、纏めて、

発送されることになっている。そっちには、

大量の古写真がありそうで、それは稿を改める。

さて、上は父親が戦場へ携帯したと思われるモノたちだ。

錆びたシガレットケースのようなものの中に…

神社の守り札二枚(誰かに頂いたのか?) 祖父母の写真、

何故か一銭硬貨(何らかの呪術的な意味か?)

仁丹のケースに入れた代々木八幡社々頭の小石、

(当時、代々木在住だったから?)

終戦時に佩用していた陸軍大尉の階級章、

(いわゆる「ポツダム大尉」だったと云う)

…が入っていた。

いずれも運送会社のスタッフたちが回収した。

感謝である。

(写真 CX3)

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2010年12月25日 (土)

冬の黄昏、ボロ市通りにて

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午前中いっぱい渋谷で所用をこなし、午後より世田谷の病院、

今年最期の左肩ヒアルロン酸注射を受ける。

冬の黄昏、ボロ市通りを歩き、

閉館時間近く、代官屋敷・郷土資料館にて、特別展示(1/30まで)

後北条氏発給、世田谷新宿・掟書の実物を観る。

力強い墨蹟と例の虎の印判が鮮やかだ。

今月15、16日のボロ市は引越し作業と重なり、行けなかったが、

来月15、16日にも開催されるので、覘いてみようと思う。

帰りがけ、通りの肉屋さんで揚げたてコロッケをもとめた。

こういった風情、なかなか宜し。

(写真 CX3)

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2010年12月24日 (金)

発掘成果その八

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父親の遺品が続く。

70年前、戦場へ携帯した「新約聖書」である。

10㎝×7㎝くらいのごく小さなものだ。

言うまでもなく、生還したからこそ、

こうして手にすることが出来るわけだ。

…………

引越し作業、ほぼケリがつく。

後は廃棄物や移送品の整理、片付けだけだが、

全ての発送は、来年初に持ち越しになった。

当初予想の、約二倍の手間がかかった計算。

(写真 CX3)

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2010年12月23日 (木)

発掘成果その七

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こんなものも出てきた。

四半世紀以上前、横浜・金沢時代に父親が受けた。

軍歴に対する叙勲であろう(筒入りの勲記も付属)

何の前触れも無く、区役所から呼び出され、

本人直に伝達ということだったが、

その官僚的なやり方に、父親は怒っていたと記憶する。

いずれにせよ、あまりよい思い出はなかったはずだ。

(写真 CX3)

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2010年12月22日 (水)

発掘成果その六

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ペンタックスSPFと一緒に出土したのが、

あの頃、筆者が持つ、唯一の交換レンズだった、

SMCタクマー55㎜F1.8と、

同じく唯一のアクセサリー、接写リングセットである。

何故、こんなものがあるのかというと、

ペンタックスの購入資金を出してもらう条件が、

父親の指示する、美術書の図版や文書の、

複写をすることだったからだ。

学会発表用のスライドを含め、

 (当時はまだ、モノクロのスライドフィルムがあった。

  ドイかヨドバシで接写用スタンドも購入したと思う)

かなりの枚数を撮った記憶がある。

(写真 CX3)

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2010年12月21日 (火)

発掘成果その五

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終に出た!

筆者、高校写真部時代の愛機、ペンタックスSPFである。

これだけは、自ら発掘、取り上げた。

SMCタクマー35㎜F2付き、あの時の姿、そのままだ。

まっ、状態はとやかく言うまい。

フォーカルプレーンシャッターは切れるのだが、

ミラーが上がりっぱなしで、ファインダーが真っ暗…

修理したら、中古の完品が買えてしまうのだろう。

この際、机上の飾り物でも、文鎮でもかまわない。

これから傍らにいてくれれば…

(写真 CX3)

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2010年12月20日 (月)

発掘成果その四

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実に、ウン十年ぶりの再会である。

筆者にとっての最初のカメラ、オリンパスペン―EEだ。

引越し作業中、廃棄物の山の中から、

運送会社のスタッフが分別していて発見、回収した。

当方の、まったくの見落としだが、命拾いしたわけだ。

今回の引越しスタッフは優秀で、特に里坊氏似のリーダーは、

 (離れた場所で声を掛け合ってると、口調も訛りも、

  そっくりなので、里坊氏と話しているような錯覚に陥る)

腰痛持ちにもかかわらず、頑張ってくれている。

さて、遺物の状態、意外と外見はきれいだった。

しかし、やはりシャッターが切れないようだし、

裏蓋もさびついて開かない。

置物か文鎮の代わりにするか。

一応、修理の可能性は考えてみるけれど…

(写真 CX3)

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2010年12月19日 (日)

発掘成果その三

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カメラも続々と出土している。

まず、キャノン・オートボーイ(1979年製)だ。

こんなに大きな「コンパクトカメラ」だったとは…

父親のスタッフだったベテランカメラマンに薦められて、

購入したものだと記憶する。そういえば、あの頃、

うちに来た記者たちが持っていて、

みんな「パシャジー」「パシャジー」と盛んに撮ってたな。

でも、この遺物、電池が入れっぱなしだったので、

液漏れがあり、多分、使用不可だろう。

…………

本日、引越し作業中入り。

計画と日程を練り直し、明日、明後日でケリをつけることにした。

こっちに残りの荷物を運び込むのはイブ前日となる。

(写真  CX3)

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2010年12月18日 (土)

発掘成果その二

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昭和二十年代のネガと一緒に、

古い名刺判サイズのプリントが発見された。

裏側に父親の筆跡で、

「明治三十九年七月十四日、芝車町宅の付近にて写す」

「祖父名(二十歳)」とあった。

画家修行中の姿だと思われる。

後に彼は挿絵画家として身を立て、銀座有楽町に居を構えた。

草創期の子供向け雑誌を舞台にいくつか作品を残している。

(写真 CX3)

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2010年12月17日 (金)

発掘成果その一

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引越し第四日目。

苦しい作業の中で、一服の清涼剤と云うべきは、

時々、発見される出土品なのであろう。

露出計とクイックホルダーは無事、回収された。

もちろん、ごく表層部からである。

興味深い品々を発掘する。

昭和二十年代に父親がリコーフレックスで撮ったと想われる、

ネガフィルム。その頃、関西に住んでいたので、

現像は殆ど大坂の写真機店だ。

ローライやライカをあしらった、懐かしい体裁のネガケースに入り、

肝心のネガの状態もいい。デジタルじゃ、こうはゆくまいな。

(写真 CX3)

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2010年12月 9日 (木)

後三年合戦絵巻を観る(2)

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後三年合戦絵巻の凄惨な合戦場面(上・中)

描いた絵師も(後の南北朝時代ではあるが)

実際の合戦を目撃していたのであろうことは、十分想像出来る。

昨今の戦国ブームでは、こういった合戦の実相にまで、

関心が向かないのが気になるところだ。

(下)酷寒の陸奥の戦場で、辺り家屋を壊して焚き木を取り、

暖をとる武士たち。彼らは油断なく、武装を解いていない。

でも、さすがに疲労は隠せないようだ。

ところで、この合戦の勝者で、絵巻の一方の主人公である、

源義家の残虐さ、凶暴さを伝える記述も少なくない。

彼は、後の源氏興隆の基礎を築き、

ヒーローとみられることが多い「大物」だが、

(いわゆる、武士の棟梁のはしりだけど、現代の、

 広域暴力団の組長に近い存在だとする説もあり)

人々に「…八幡太郎は恐ろしや」(梁塵秘抄)と歌われたのが、

案外、実像に近い気がする。

(写真 CX3)

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2010年12月 8日 (水)

後三年合戦絵巻を観る(1)

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先日、東博で観た「後三年合戦絵巻」(重文14C)より。

平安中期(11C)奥州で起こった後三年の役を描く。

登場する武士たちの武具装束はこの絵巻が作られた、

14世紀、南北朝時代のものになっているが、

生々しい合戦の描写は精緻を極め、秀逸である。

場面(上)は、敵将清原武衝(右、露頂で跪く)を捕らえ、

引見する源義家(左、黒い馬に跨り、赤糸縅の鎧)

武衝は命乞いをするが、許されず引っ立てられ(中)

念仏を唱えながら、哀れ斬首と…

一連の場面は同一の登場人物(この場合は武衝)が、

時間の経過を追って、同じ画面中に描かれる、

異時同図法という、中世独特の絵画表現をとる。

(写真 CX3)

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2010年12月 7日 (火)

日々の写真 12/6

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昨夜の「坂の上の雲」で、虚子が子規の死に臨んで、

~子規逝くや十七日の月明に~

と呟くシーンがあったけど、筆者にも似たような経験あり。

初秋十七夜の夜半、あまりの月明かりに胸騒ぎを覚え、

夜空を仰ぎ見た。少し後で、

同刻頃、ある人が息を引き取ったという報に接したのだ。

月の満ち欠けと人の生死は、

やはり、何処かで繋がっているのかもしれない。

(写真 CX3)

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2010年12月 6日 (月)

世田谷代官屋敷秋日(2)

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「坂の上の雲」BS-Hi先行放送第二回「子規、逝く」を視る。

龍馬伝の岩崎弥太郎と同じ俳優が演じたのは感心しない。

イメージがこんがらがってしまう。

よく見ると、明治の東京下町の風俗や子規庵の様子と、

時代考証は細かいようだ。

子規の葬式シーン、男性の黒紋付、女性は白無垢だった。

皆、真っ黒になったのはつい最近のことだ。

……………

この週末に観たのは、根津美術館のコレクション展、

「絵のなかに生きる―中・近世の風俗表現」(~12/23)

JCIIフォトサロン「写真家・名取洋之助」(~12/26)

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㍉F2 SG400)

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2010年12月 5日 (日)

世田谷代官屋敷秋日(1)

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「アド街 」でこの街の特集をやっておるな。

季節柄、ボロ市がらみか。

…………

新青森発東京行き新幹線、ガラガラの車内を視る。

開通に28年は長過ぎた。今となっては、

盛岡で在来線に乗り換えて、しみじみと感じた、

みちのくに来たのだという、あの旅情が懐かしい。

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㍉F2 SG400)

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2010年12月 2日 (木)

世田谷にて(2)

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暫し時間を置き、世田谷の病院へ左肩ヒアルロン酸注射を受けに。

矢倉沢往還L字クランク前、真言宗豊山派の寺の墓地裏にあった、

石屋は跡形も無く壊されていた。

掘れば、何かしら出る所なんだけどな。

薬局で投薬を待つ間、代官屋敷にて30分ほど、CLで撮影する。

いよいよ、ボロ市は15、16日だ。

(写真 CX3)

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