« 佐倉にて(5) | トップページ | 翁ありけり…(2) »

2011年1月10日 (月)

翁ありけり…(1)

B11010901

B11010902

B11010903

この地は、大規模な宅地開発で全てが失われたと思っていた。

丘陵の尾根は削られ、その土は谷戸を埋めるのに使われたのだ。

ところが、都心へ出る私鉄電車から、

ぽつんと小さな社が残されているのを見つけたのである。

谷戸の一部が残され、照葉樹のカシが社叢林を形成している。

今日、当地へ越してきて、初めてこの社の探索を試みた。

樹齢500年は超えそうな、カシの大木を見上げていると、

不意に後ろから声をかけられた。

箒を手にした、小柄な老人だった。

「これは、この辺りにて、社を守る者に候ふ」

「奥が秀衛が家人、佐藤庄司が孫にて、頼朝公奥州入りより後、

 ご赦免あって、当地を拝領いたし、爾来800有余年住みしなり」

とういう感じで、まるで夢幻能のシテのように、

とうとうと、小一時間にわたって、

この地の歴史を筆者に語るのであった。

「当社は八幡なり。頼朝公の恩がため、

 京は岩清水より勧請いたし候ふ」

「それがしが館は、堀を巡らし、この社が下にありしが、

 過日、焼亡し、埋もれ終んぬ」

やはり、此処は谷戸、谷戸から湧水を引いて、

谷川の低地にそって、小さな棚田が営まれていたようだ。

古道も近くを通り、今は削れて無くなった尾根には、

狼煙台があって、鎌倉へ急を知らせたと云う。

祭りといえるものは、かつて神楽と千秋万歳を演じていたが、

今は絶えたとも。

筆者は丁寧に礼を言い、参拝をと石段を登った。

「あなた様の、この一年の幸いをお祈りいたしましょう」と、

老翁の有り難い言葉を背に受け止めながら。

本殿周りと壇上で、暫し撮影して降りて来ると、

かの老翁はかき消すようにいなくなっていた。

後から、参拝に上ってきた人に、今、誰かと話されていたけど、

神主さんですか?紹介して下さいませんかと言われる。

一緒にもう一度、探し回ったのだが、見つからなかった。

小さな駐車場に車も無かったし…(この辺は人家が無いのだ)

後で教育委員会のページから、この社の歴史を調べてみると、

明治の初め火災に遭い、古文書や遺物の類は何も残っておらず、

由緒不明とのことだった。

(写真 CX3)

|

« 佐倉にて(5) | トップページ | 翁ありけり…(2) »

民俗」カテゴリの記事

コメント

樫の木の精霊でしょう。

投稿: 振り子 | 2011年1月 9日 (日) 23時24分

ざん候ふ

相違ございませぬ。

かの翁の語りしことどもを、
もう少し綴らねば…

投稿: kansuke | 2011年1月10日 (月) 10時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 佐倉にて(5) | トップページ | 翁ありけり…(2) »