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2011年2月22日 (火)

峠の懐へ(4)

B11022101

この白山社の由緒は不明である。

しかし、江戸後期の文政年間に社殿裏の塚から、

経筒、鏡、法華経十巻が発見され、その奥書に、

平安後期、仁平4年(1154)の年号と、

船木田荘の名が記されていた。

こういった塚を経塚と呼ぶが、

平安中期から鎌倉期にかけて、

末法思想の流行により、仏法滅亡に備えて、

経典を埋納し、経塚を築くという一大ムーブメントがあった。

塚が築かれる場所は大抵が聖地で、霊山の頂上などが多い。

此処は猿丸峠から尾根続きの、最高点と考えられ、

真西を望む峰だから、条件は十分揃っているわけだ。

(猿丸峠葬送地説も補強している)

塚は五つ並んでいたと云うが、痕跡は見当たらない。

(発掘調査は行われていないようだ)

今はこぢんまりとした社だけど、神楽殿も備え、

雰囲気のある境内になっている。

(写真 S95)

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