« 多摩川春色 | トップページ | 日々の写真 2/25 »

2011年2月25日 (金)

弁慶伝説

B11022401

B11022402

B11022403

猿丸峠山中探索で訪れた白山社にて、想わぬ伝承を知った。

写真上の案内板にある如く、この社はあの武蔵坊弁慶の一族で、

比叡山の僧、弁智と縁が深いと伝えているのだ。

この名前は経塚から出土した法華経奥書にも書かれていたので、

「弁智」の実在は確かであろう。

一方、武蔵坊弁慶の確実な史料は、

吾妻鏡に義経主従と名を連ねるのみで、それ以外は無い。

室町期以降の、義経記や戯曲で有名なエピソードは、

多くが創作とみられている。その中で、

弁慶の出自を熊野別当湛増の子とするのが、

今のところ、広く信じられているようだ。

しかし、筆者は今回の伝承にちょっと魅かれるものを感じる。

「武蔵坊」という僧坊自体、そのまま、武蔵国との縁の深さと、

文字通り受け取っていいのではないか。

二人とも比叡山の僧で、弁智と弁慶の「弁」を、

通字とするのも、血縁などの深い関係が窺えるし、

しかも、此処は比叡山傘下にあった白山社である。

最近、義経主従を奥州平泉に導いたのは、

白山修験者ルートではないかとする説が提起されているが、

それは義経のシンパに比叡山関係者が多かった事実と、

白山社の大スポンサーが奥州藤原氏であったことからだ。

弁慶紀州熊野出自説のほうは、義経記の成立と流布に、

熊野関係者が関わっていた可能性もあるだろう。

いずれにしても、中世の人々が自らの名乗りに、

無意味な字句を並べることはあり得ない。

その意味するところを素直に捉えていけば、

意外に大事なことが見えてくるはずなのだ。

(写真 S95)

|

« 多摩川春色 | トップページ | 日々の写真 2/25 »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 多摩川春色 | トップページ | 日々の写真 2/25 »