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2011年7月18日 (月)

箱根湯本にて(4)

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北条五代の墓所に詣でる。

もとより、現在の早雲寺はかつてのものではない。

戦国期、北条氏の全盛時代(1521~1590)には、

湯本全域が境内であり、塔頭は20近く、寺僧五百を越えた。

湯本宿、湯坂道は早雲寺の中にあったという感じだろう。

ある意味、坂下の本城、小田原城を守る、

城郭めいた存在ではなかったか。

(死して尚、子孫を見守る。早雲はそんな願いを、

 込めていたのかもしれぬ。それと温泉好きと…)

しかし、天正18年(1580)秀吉の小田原攻めで、

此処は秀吉の本陣にされてしまう。そして、例の一夜城、

石垣山城の完成とともに、秀吉は早雲寺に火を放ち、

一宇も残さず灰燼に帰してしまうのだ。

生き残った子孫、家臣、縁者たちの手で、

往時とは比べものにならない規模であるけれど、

現在の姿に再建されたのは、半世紀後の江戸初期である。

北条五代の位牌や有名な早雲画像などの宝物が、

少数の寺僧たちによって、持ち出され無事だったのは幸いだった。

この北条五代の墓所は、子孫(河内狭山藩北条家=

 小田原攻めの後、許された韮山城主北条氏規の系統)が、

その際に再建したものだが、一万石の小藩だからなのか、

あれだけ戦国に覇を誇った一族にしては、実にささやかだ。

さて、小田原に戻る。

湯本の標高は100m足らずだが、市内の暑さは八王子並みで、

電車から降りたら、さすがにふらっときた。

(写真 CX5)

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