« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月の記事

2011年7月28日 (木)

横浜馬車道で本格冷し中華を食す

B11072701

B11072703

B11072704

B11072705

B11072706

神奈川県立歴博で開催中の、

「特別展 ワーグマンが見た海―洋の東西を結んだ画家」(~7/31)

(入りは上々だ。平常展のほうにも、見るべきものがあったので、

 これは稿をあらためる)

を観に行ったのだが、横浜馬車道の「生香園」の前を通ったら、

其処の冷し中華が食べたくなった。

有名店だから、いささか高級で@¥1260也

馬車道から伊勢崎町界隈をちょっと歩いてみる。

かつて、遊び場だった頃の店は殆ど姿を消し、

今でも営業しているところは僅かである。

その中の一店、「花見せんべい」にて、

昔ながらの、白砂糖まぶし煎餅を求めた。

(写真 CX5)

| | コメント (2)

2011年7月27日 (水)

八王子宿の祭りにて(4)

B11072601

これから曳山が通る道。既に緊張感が漂う。

B11072602

先導役が現れた。笠を被ったタモリみたいな人だ。

上杉本洛中洛外図にも描かれているけれど、かつて、

祇園祭の山鉾の先導者には特別な役割があった。

これは人を超えた特別な職能とも考えられていたようで、

甲冑で完全武装した犬神人たちが務めていた。

神仏のために警ひつを発したりして、

道の先払い(魔を払う)をするのだが、

各地の神輿(神体)渡しでも同様な所作が残っている。

この前の祇園祭り中継では、先導役の芸能、

「棒振り囃子」(顔を隠した独特の装束を着、

 山鉾の前面で、弓を執って、ダイナミックに舞う)

を詳しく伝えていたのが面白かった。

B11072603

B11072604

B11072605

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月26日 (火)

八王子宿の祭りにて(3)

B11072501

B11072502

B11072503

B11072504

B11072505

元横山町、八雲社界隈にて。

曳山巡行直前のひとときをスケッチしてみた。

この雰囲気、なかなかいい感じだった。

…この際、「祭り嫌い」を返上するのも、一興か…

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月25日 (月)

八王子宿の祭りにて(2)

B11072401

B11072402

B11072403

B11072404

曳山が待機している会所にて、うちわと手ぬぐいを購入する。

ちょっとしたオミヤに好適である。

巡行が始まる前、

例の地元製麺所直営店(12日にアップした)へ立ち寄り、

お奨めメニューの「トマトラーメン」@¥750也 を食す。

さて、祭り囃子というのは結構、心地がよいものだと知った。

渋谷に居た頃は、街中エンドレスで流される、

秋祭りの「お囃子テープ」に辟易していたのだけど、

もとより、こちらは本物のライブなのだ。

(写真は元横山町の曳山。高欄付きの二階建、彫り物も立派だ)

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月24日 (日)

八王子宿の祭りにて(1)

B11072301

B11072302

B11072303

B11072304

B11072305

八王子宿の八雲社(17日に写真をアップ)の祭りである。

牛頭天王を祀る、宿の守り神は、京都の祇園社と同じで、

中世の都市的な場には欠かせない「装置」なのだ。

各地の、中世に起源を持つ都市の殆どに(例えば博多とか)

備わっていると言ってよいだろう。

当然、御霊会=祇園会(祭り)は方々で行なわれたはずで、

八王子宿のこの祭りも、その例に含まれる。

近年、市主催の祭りと共催になってしまって、

性格がはっきりしなくなっていたが、

今年は市側が自粛したので、本来の七月下旬開催に戻り、

結果として、古態に復することになった。

訳の判らぬ市の祭りなんかと一緒にするより、

こっちの方がずっといいのは言うまでもない。

近世八王子宿を構成した町々は、今も曳山を守る。

今日は午後一時から、巡行が始まった。

…それはそうと、

「おわら」が八王子に来ているとは知らなかった!(写真下)

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月20日 (水)

小田原にて(2)

B11071901

B11071902

B11071903

B11071904

B11071905

小田原城内には天守閣はじめ、いくつかの展示施設がある。

それらを一巡したが、残念ながら、一見の価値とは言い難い。

最新の都区内の郷土資料館と比べるには酷であろう。

地方都市の例に漏れず、いろいろなものが老朽化し、

手が回らないのは理解出来るけど、例えば目黒区のように、

上モノは廃校利用、でも、展示内容は最新の研究成果を、

という例もある。やりようはあるのだ。

さて、城から下がり、遅い昼食をとる。

老舗らしい蕎麦屋で頼んだのは、今回のテーマに因んで、

「北条さらおろし蕎麦」@¥1200也

締めくくりに、ちょっとばかり奮発してみた。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月19日 (火)

小田原にて(1)

B11071801

B11071802

B11071803

B11071804

B11071805

云わずと知れた小田原城である。

かつて、神奈川県民だったにもかかわらず、訪ねたことはなかった。

つまらぬものの極致だと思っていたしね。

近くを通る時、ちらっと眺めるだけだった天守は、

もう大分、年季が入った建造物だ(昭和35年完成)

もとより、江戸期に入ってからの近世城郭を再現している。

全ての遺構は頻発した地震や火災で失われた。

今、城内で目につくのは、海抜12mの表示ぐらいだろう。

天守へ登り、ちょうど開かれていた特別展、

「小田原城甲冑展 戦国期から近世の甲冑」(~7/18)を観る。

室町末期から安土桃山期の比較的良い遺品が纏まっていた。

天守最上階からの眺望は悪くない。

吹き抜ける風には、遠い記憶を呼び覚ます潮の香りか。

さっき降って来た湯本、湯坂道も明瞭に認められた。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月18日 (月)

箱根湯本にて(4)

B11071701

B11071702

B11071703

B11071704

B11071705

北条五代の墓所に詣でる。

もとより、現在の早雲寺はかつてのものではない。

戦国期、北条氏の全盛時代(1521~1590)には、

湯本全域が境内であり、塔頭は20近く、寺僧五百を越えた。

湯本宿、湯坂道は早雲寺の中にあったという感じだろう。

ある意味、坂下の本城、小田原城を守る、

城郭めいた存在ではなかったか。

(死して尚、子孫を見守る。早雲はそんな願いを、

 込めていたのかもしれぬ。それと温泉好きと…)

しかし、天正18年(1580)秀吉の小田原攻めで、

此処は秀吉の本陣にされてしまう。そして、例の一夜城、

石垣山城の完成とともに、秀吉は早雲寺に火を放ち、

一宇も残さず灰燼に帰してしまうのだ。

生き残った子孫、家臣、縁者たちの手で、

往時とは比べものにならない規模であるけれど、

現在の姿に再建されたのは、半世紀後の江戸初期である。

北条五代の位牌や有名な早雲画像などの宝物が、

少数の寺僧たちによって、持ち出され無事だったのは幸いだった。

この北条五代の墓所は、子孫(河内狭山藩北条家=

 小田原攻めの後、許された韮山城主北条氏規の系統)が、

その際に再建したものだが、一万石の小藩だからなのか、

あれだけ戦国に覇を誇った一族にしては、実にささやかだ。

さて、小田原に戻る。

湯本の標高は100m足らずだが、市内の暑さは八王子並みで、

電車から降りたら、さすがにふらっときた。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月17日 (日)

日々の写真 7/16

B11071601

B11071602

箱根湯本の続きを書こうと思っていたら、

夕刻、祇園祭宵山の生中継なんかやってるので、

(町衆のことを、ちゃんと「ちょうしゅ」と発音しておったな)

頭が纏まらなくなってしまった。

因って、明日以降に送ることにして…祇園社と言えば、

厄病、悪霊を払う牛頭天王を祀る、

中世の都市的な場を象徴する宗教施設であるが、

そうそう、八王子宿にもあった。八雲社と呼ぶ。

先日撮った、界隈の写真もアップしておく。

ちょっとした雰囲気の場所だった。

まぁ、中世の京都だって、

一つのデカイ、宿や市とも解せるわけだ。

B11071604

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月15日 (金)

箱根湯本にて(3)

B11071401

B11071402

B11071403

B11071404

早雲寺門前を近世(江戸期)東海道が通っている。

もとより古道であるが、この道は中世後期においても、

(鎌倉中期から南北朝、室町、戦国期を通して)

数多くの歴史上の著名人が駆け抜けた、

箱根越えのメインルートだった。

さて、早雲寺山門と向かい合って、なんと白山社がある。

少し、上に登れば湯本地蔵堂(現正眼寺)

下に降れば、一昨日にアップした神明社だ。

(全て、中世の宿や市の守り神であり、必須アイテムだ)

旧地名も、下宿、中宿(仲町)上宿(上町)と云ったようだ。

もうここまで来れば、お判りになるだろう。

つまり、中世の宿跡の可能性が極めて高いのである。

(ついでながら、江戸期、この場所には、

 宿場や所謂「間の宿」も無かったことがハッキリしている)

恐らく湯本は、湯坂道と呼ばれた、中世箱根越えの、

最も重要な宿であったと想われるのだ。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月14日 (木)

箱根湯本にて(2)

B11071301

B11071302

B11071303

B11071304

B11071305

早雲寺は、後北条氏初代、早雲(伊勢宗瑞)の遺言によって、

自身の墓所と一族の菩提寺として創建された。

この寺が、箱根山中の湯本に置かれたのは、

それなりの深い意味があるのだけど、それは後述する。

この早雲と云う男(通称、北条早雲だが、俗名は、

伊勢新九郎盛時、出家して早雲庵宗瑞である)

世間的には、悪役とみられることが多いようだ。

でも、筆者は、戦国史では(中世後期世界を通じても)

断トツに面白い人間と、かねがね、強く想ってきたのだ。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月13日 (水)

箱根湯本にて(1)

B11071201

B11071202

B11071203

B11071204

B11071205

B11071206

箱根湯本を訪れた目的は、

後北条氏の菩提寺、早雲寺を観ることにある。

観光案内所で地理を確認し、情報を仕入れ、

目の前を流れる早川に架かる橋を渡る。

まずは、対岸の箱根町立郷土資料館に立ち寄り、

史料を拝観(有益な文献も入手。詳しくは後述)

早雲寺への近道も教えてもらった。

隣の町役場裏の通用階段を登り切って、

神明社の鬱蒼とした社叢林に入り込む。

其処を抜けて、谷を降ると旧東海道にぶつかり、

ちょうど、その前が早雲寺の山門である。

ほんの15分程の小径だけど、箱根の山が漂わせる、

ただならぬ異界の空気を実感するに十分だった。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月12日 (火)

八王子宿にて冷し中華を食す

B11071102

B11071104

箱根湯本と小田原探索に触れる前に、

近世甲州道中の八王子宿跡にある、

地元製麺所の直営店にて、冷し中華を食べてきた。

この店は、デパ地下の物産展で知った。

伝統の蕎麦やうどん、ほうとうの他に、

各種中華麺もラインナップしており、

どれもなかなかいけて、気に入っている。

そんなわけで、筆者は今、密かに、

此処は、ちょっとした麺食文化の先進地域ではないかと、

睨んでいるところなのだ。

(併せて、本日は近世八王子宿の探索も行なったので、

 箱根湯本・小田原編の後にアップします)

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月11日 (月)

箱根湯本と小田原へ

B11071001

B11071002

B11071004

B11071006

実を言うと、この界隈をじっくり歩いたことはない。

横浜南部の金沢で育ったから、

れっきとした「神奈川県民」だったのだが、

やはり、武蔵国と相模国の違いは大きかったわけで、

県の西南部には、殆ど足を踏み入れることはなかったのだ。

まぁ、近場で最もポピュラーな観光地であるとしても、

そういった世間の感覚に疎い家庭だったし、

別に行きたいと想ったこともなかった。

大人になって、何回か通り過ぎる程度だったか。

でも、今回、大きな見落としに気付いた。

此処にも、大変な中世世界への入り口があったのである。

しかし、それにしても…今日は暑かった~

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月 7日 (木)

刑事コロンボの「別れのワイン」を視る

B11070601

B11070602

B11070603

刑事コロンボの「別れのワイン」が最初に放映されたのは、

1974年の6月と云うが、シリーズ中でも、

筆者が最もよく記憶しているストーリーの一つだと想う。

それから、何度となく再放送は視ている。

昨夜は、ピーター・フォーク氏を偲ぶ番組での放送だった。

さすがに今では、まどろっこしいドラマ展開で、

台詞も時代がかってるのは否めないけれど、

小道具に使われたワイン(1945年のヴィンテージポートと、

エスト!エスト!!エスト!!!ディ・モンテフィアスコーネ)が、

気が利いていて、粋なところは変わらない。

当時のままの吹き替えで、カベルネソーヴィニョンが

「壁に滑らず」ならぬ「カベニスベニアン」になっていたり、

シャブリが「シャブリス」になっていたりするのはご愛嬌だ。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月 3日 (日)

2008年7月

B11070201

B11070202

B11070203

この頃、当ブログを更新した後に、PCの前で居眠りしてしまい、

慌てて、目が覚めるに、深更に及んでしまうことが多い。

その間、画面はスクリーンセイバーがかかっているのだが、

ここ数年の画像がランダムで、

スライドショーになるように設定してある。

それで、気が付くと、

目の前に、何だこれはという絵が展開しているわけで、

これは何時撮ったのだろうと悩むことになる。

今宵は、そんな写真で失礼を…

調べたら、入手したばかりのライツ・ミノルタCLで最初に撮った、

モノクロだった。2008年7月である。

今となっては、あの年の出来事も、

うまく想い出せなくなってしまった。

(写真 ライツ・ミノルタCL Mロッコール40㎜F2)

| | コメント (0)

2011年7月 2日 (土)

日々の写真 7/1

B11070103

B11070104

B11070105

当地に越して来て、初めてニイニイゼミの声を聞く。

このところ、寓居近くで耳にする、鶯の谷渡りは、

今年の幼鳥らしく、未だ下手ながら、

日々上達の跡が窺えるのが微笑ましい。

先日、元八王子の用水路で聞いたのは絶品だった。

なんでも、声の主は「累代の名手」で、

やはり、親の指導からして、違うとの話だ。

鶯の世界も伝統芸能が極まって、家元制なのか。大変だな。

久しぶりに代官山へ。

知り合いの仏レストランにて、

「スペイン風・チキンとクスクスのリゾット仕立て」の、

ランチを食するに、@¥750也

オーナーの仏人シェフは、被災地へ、

フランス料理の炊き出しに行ってきたそうだ。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »