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2011年11月27日 (日)

高尾山へ(5)

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伝えられている高尾開山の経緯は実に素っ気無い。

…天平16年(744)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開山、

 東国鎮護として薬師如来を本尊とする。

 南北朝期の永和年間(1375~79)に京都醍醐寺の修験者、

 俊源が入山、薬師に加えて、飯綱権現を祀った…

信頼のおける史料となると、中世後半、戦国期のものが初出だ。

小田原の北条氏康と八王子城主の氏照が発した、

寺領寄進状や殺生禁断の制札などである。

いずれも、宛名は「薬師堂」「薬師山」「高尾山」となっており、

当初、此処はそのように呼ばれていたことが判る。

往古、薬師山と云ったのは自然で、中世後期から高尾山と、

呼ぶようになってのであろう。この高尾山というキーワードは、

後に考察を加えることにする。

まず、薬師如来だが、東方瑠璃光なる如く、東方守護の仏、

この場合は京の都を守る意味と解しておく。

そして、飯綱権現、信州飯綱山の山岳信仰を起源とする神で、

本地は大日如来、あるいは地蔵菩薩、高尾山では不動明王、

白狐に乗って剣と絹索持ち、烏天狗の尊容を示す。

中世世界で云うところの「天狗」とは烏天狗のことであり、

あの鼻の高い天狗像は近世に生まれたものだ。

しばしば、同様な嘴を持つ鳶などの猛禽類は化身とされ、

太平記で高時入道と一緒に田楽を踊ったのも彼らである。

と書いてきたところで、

快晴だった高尾山上の雲行きが怪しくなってきた。

はたまた天狗の所為か…話はまだ続きます…

(写真 X10)

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