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2011年12月の記事

2011年12月31日 (土)

日々の写真 12/30

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年の瀬の町を八王子から渋谷へ。

夕刻より、河豚ちりに呼ばれ、いささか過ごす。

この年末年始は書見三昧にしたいのだが。

(捨身 CX5)

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2011年12月30日 (金)

上杉本洛中洛外図に年の瀬を観る(2)

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既に門松が飾られた町屋の前を「手傀儡」(てくぐつ)たちが通る。

笠に覆面姿、門付けで人形芸を見せる彼らも、

遍歴する道々の輩である。

「傀儡子」(くぐつ=かいらいし)は古代から中世前期にかけて、

人形芸、曲芸、歌舞などを生業にした漂白の芸能集団と云う。

武芸に秀でる者や、今様の名手も輩出したようだが、

鎌倉後期には、ほぼ消滅したらしい。

室町期に入ると、「手傀儡」が現れて主流になり、

近世の人形浄瑠璃の系譜へ繋がっていく。

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(捨身 CX5)

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2011年12月27日 (火)

日々の写真 12/26

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年末スペ大河「坂の上の雲」を視終わった後の感じが、

どうも芳しくないのは何故なのか。

このドラマが、日本の近代史において、何を洞察し、

何を提起しようとしているのか、よく伝わってこなかったのだ。

これだけ金と時間をかけた企画なのだから、

ビンビンと響くようでないとね。

原作が書かれた当時の、歴史感覚は明らかに古くなっている。

明治という時代を、ある事件の、光が当たったハイライト部分、

(この場合、日露戦争の成功した一場面と、

 それを担った少数の人々だけど)

ただ一点に焦点を合わせ、描くという手法自体にも、

危うさがあるのは否めない。

歴史は、その大部分を占める、殆ど光が当たらない暗部にこそ、

真実と本質が存していることが多いから、

安易に、上記の方法論をとると、

致命的な見逃しをしでかすことになる。

(捨身 CX5)

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2011年12月25日 (日)

上杉本洛中洛外図に年の瀬を観る(1)

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上杉本洛中洛外図屏風には、京の四季が描かれているので、

年の瀬の風景をいくつか探してみた。

洛中のとある小路…

左手の町屋の中では女性たちが正月用の餅つきをしている。

右の町屋は破魔弓と紙を店頭に並べ、店主は何やら書き物中か。

その前を「節季候」(せきぞろ)と呼ばれる門付け芸人たちが通る。

彼らは「節季に候ふ」(年の瀬でございます)と唱えながら、

三人一組で家々を回り、寿ぎ歌を唄って祝儀を貰うのだ。

羊歯の葉を挿した編み笠を被り、白布で顔を隠すのは、

もとより異形であろう。

……………

Amazonにて発注の書、相次いで届く。

寒波を切り抜ける手立てを考える。手始めに今宵は湯豆腐也。

この年末の三連休は体調に宜しからず。不条理極まる。

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(捨身 CX5)

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2011年12月23日 (金)

歩き巫女を観る

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昨夜話題にした、歩き巫女を上杉本洛中洛外図屏風に観る。

京童に追いかけられる、笠を被った二人連れの女性たちである。

彼女たちは二人以上のグループで行動していたようだ。

祈祷、呪い、口寄せ、勧進などの宗教活動はもとよりだが、

歌舞を披露したり、酒席に侍ることもあった。

戦国期、甲斐信濃の歩き巫女が武田信玄によって組織され、

諸国を遍歴しながら、余技として諜報活動に従事したと云うが、

真偽のほどは知らない。「信濃巫」と呼ばれる集団がそれだ。

………………

2011年、冬至の夕日。

高尾山上はダイヤモンド富士で賑わっているであろうな。

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(捨身 CX5)

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2011年12月21日 (水)

黄金の日々(2)

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堺の町を指導する商人たち(会合衆)に、

大河の顔ともいうべき俳優陣が配されていた。

志村喬、丹波哲郎(今井宗久)宇野重吉(小西隆佐)

津川雅彦(津田宗及)…

鶴田浩二の利休はちょっとしたサプライズだったかも。

やはり、信長、秀吉に次いで、物語のキーパースンだった。

中世から近世への変革期、天下人たちの干渉に抗し、

自由と繁栄を謳歌した自治都市=堺とするドラマ設定も、

今では、自治と呼ぶより、外部からの権力が及ばない、

都市的な場=アジール=堺という概念のほうが相応しい。

さて、終わりはサービスショット(この眼差し)で…

「小巻スト」であることは、ずっと変わってませんな。

(捨身 CX5)

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2011年12月20日 (火)

黄金の日々(1)

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1978年の大河ドラマである。

まぁ、主役はともかくとして、脇役陣がまさに大河の顔の、

オンパレードだったと記憶する。

信長(高橋幸治)秀吉(緒形拳)…

当時は、何やら騒がしいドラマ展開だなと感じていたのだけど、

今、視るとさほどではなく、時代考証もしっかりしていた。

初回、信長の供で堺を訪れた秀吉が、

少年時代の主人公、呂宋助左衛門にこう話す場面がある。

「お前に永楽銭をあげよう。俺は若い頃、故郷を出て、

 これを元手に縫針を仕入れて、諸国を売り歩き、

 立身のきっかけを掴んだのだ」

遍歴の商人出自説と、貨幣経済の先覚者として秀吉、

原作者(城山三郎)と脚本家(市川森一)は、

近頃の大河より、ずっと良く調べていたのが判る。

ついでながら、この大河では、

往年の夏目雅子、竹下景子、名取裕子が鑑賞出来る。

この際、白状すると、筆者はどちらかと言えば、

「小巻スト」(古いですな)であったから、点が甘くなったのかも…

そこはご容赦下さい。

(捨身 CX5)

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2011年12月18日 (日)

日々の写真 12/17

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飛翔する戦闘機をコンデジで撮るのは至難の業であろう。

が、辛うじて得た一枚である。

まぁ、離陸時で速度が出てなかったのと、

快晴の冬空に救われた。

厚木にやって来た艦載のやつだな。

…………

当地のクリスマスは、鄙びているにしても、

それはそれで味わいがあることよ。

Amazonより、「真名本 曽我物語」の一冊目届く。

…………

キャノンがスポンサーのBS番組でS100のCFを流していた。

BGMがバッハのチェロ無伴奏ときた。

うっかり、引っ掛かるに十分なプロットだ。

(捨身 CX5)

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2011年12月15日 (木)

日々の写真 12/14

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石井進氏の「中世武士団」冒頭の一章「曽我物語の世界」は、

実にわくわくさせる論考である。

中世語り物文学・曽我物語に秘められた史実と成立背景、

後世、遍歴する芸能者や宗教者によって展開された、

説話の世界に至るまで、興味が尽きない。

中世後期、曽我物語を語って歩いたと云う、

盲目の女性芸能者「ごぜ」の姿を「七十一番職人歌合」に観る。

鼓を手に語り出す彼女の吹き出しに、

「宇多天皇に十一代の後胤伊東が嫡子に河津の三郎とて…」と、

曽我物語の一節が添えられている。

(捨身 CX5)

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2011年12月13日 (火)

戦国の女たち

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先週末、東京8x10組合の忘年会が始まる前に、

上野、東博の常設展をチェックしてきた。

2009年秋に続き、「観楓図屏風」(国宝 室町末期)を鑑賞する。

京都洛北、高雄山の紅葉と見物する男女グループを描く。

既に清滝川に架かる橋上で憩う、

戦国の男女二人を紹介をしたが、今回は女たちである。

持ち寄った食べ物(饅頭か?)を摘みながら、

おしゃべりに夢中のようだ。

左上端の尼御前が手にする茶碗は、

左端下に出張して来た、茶売りの男のものだろう。

「一服一銭」と呼ばれた、茶を銭一文で飲ませる立ち売りで

人出の多い寺社門前や名所で店開きをする。

天秤棒で炉と茶釜、水を入れた樽と茶碗入れを担ぐ、

移動販売のスタイルだ。

もとより、女たちは茶だけで満足するはずはない。

左下で、少女が酒を入れた白磁瓶で酌をしようと控えているし、

右端下、松の下には、さらに酒樽と料理が用意してある。

観ていくと、人々の、現代に通じるライフスタイルの原点が、

この中世末、戦国期にあったとも想えてくる。

(捨身 X10)

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2011年12月 8日 (木)

日々の写真 12/7

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早いもので、当地へ越してきて一年になろうとしている。

去年今頃の、引越し騒ぎも思い出か。

やっと落ち着いてきたのだろう。

地域の噂話も耳に入るようになってきた。

まぁ、この手の噂話の類は話題にしたくないのが、

本音だけど、騒動のほうが大きくなっているので仕方無い。

あのOP社の社員が8000人(トップもいる!)も居住していて、

その納税収入がバカにならず、

市当局がうろたえているとか…

命名権を売った新市民ホールの前途に暗雲とか…

マスコミで批判の槍玉に上がっている役員の家族が、

突然、雲隠れしたとか…

今まで冷や飯を食わされていた技術系社員の不満が、

沸騰中というのもある。

あちこちの地域コミュニティーがさざめいて居るわけだ。

(写真 X10)

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2011年12月 4日 (日)

天狗草紙を観た(1)

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このところ、天狗草紙(絵巻)のことを考えているが、

去年の春、2月27日に上野の東博で観ていたのを思い出した。

その時のデーターを繰ったら、実物の写真も撮っていた。

あらためて、天狗草紙を整理すると…

 永仁4年(1296)に成立した。鎌倉期の仏教界、南都北嶺、

 高野山、念仏(浄土宗、時宗)山伏(修験道)禅宗などの僧の、

 傲慢さ、奇行を七種の天狗に喩えて、痛烈に風刺する。

 全七巻、東博本、根津美術館本があり、いずれも重文指定。

根津本は未見か。今、想い出したけど、

幼少期、東博で初めて観た絵巻がこれだったかも。

一寸、異様な絵巻だったので、印象が強かったのだな。

(写真 CX5)

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2011年12月 3日 (土)

「天狗」の天敵

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高尾山で飯綱権現と天狗の関係に興味を持って以来、

中世世界と天狗の存在について、一寸考えてみたくなった。

手持ちの資料に天狗草紙(13C)が見つかったので紹介しておく。

天狗の化身である鳶を穢多童(えたわらわ)が捕らえる場面だ。

絵巻の詞書を要約してみると…

…このように天狗は各地の霊地、修行場に現れて、

 悪事を為し、人々を惑わして、邪な行いへ導いたのである。

 天狗たちは、してやったりと、得意気にここかしこを遊行した。

 ある天狗は、散々に宴して、酔狂のあまり、四条河原辺りで、

 肉食(にくじき)しようと、肉に針刺してあるのを知らずに掴み、

 穢多童に捕まって首をねじ殺されてしまった…

場面左は捕らえた天狗(鳶)の首をねじる穢多童。

(童というのは髻を結わない童形のことで、もとより異形だ)

右は仕掛けにかかった獲物を追いかけるところ。

ともに中世絵巻独特の、異時同図法で表現されているから、

同一人物である。人物左側の吹き出しに、

「若鳥にてありける。よき羽かな」(若鳥だ。いい羽だなぁ)とある。

つまり、穢多童は矢羽を取って生計を立てる「鳥刺し」なのだ。

(写真 CX5)

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2011年12月 2日 (金)

高尾山へ(9)

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紅葉の名所であるので、紅葉のサービスショットを加えておこう。

そう、高尾山というキーワードは、その関わりである。

まず、京都の高雄山が想起されるが、やはり、見立てだと思う。

戦国期の文書で、既に高尾山と呼ばれているのは、

共に薬師を本尊とする「東国の高雄」と云う自負もあったのだろう。

江戸期に入ると、江戸を京都に見立てることが流行るから、

同じく都の北西、南淺川を清滝川、紅葉ときたわけだ。

さて、下山して、温かいものが食べたくなった。

事前に店を調べておくべきだったけど、まぁ、ええままよと、

ケーブルカー駅前のとある蕎麦屋へ飛び込む。

今日を締めくくる鶏南蛮蕎麦 @\1000也 味宜し。

(写真 X10)

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2011年12月 1日 (木)

高尾山へ(8)

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下山するケーブルカーの中で、冬至に山頂から観られる、

ダイヤモンド富士の案内をしていた。話題の撮影スポットである。

でも、実は、遥か昔から知られていた現象ではないのか。

そもそも、富士信仰が流行りだした戦国期に、

北条氏康は高尾山頂へ富士浅間社を勧請し、

戦乱で参詣が困難になった東国一円の信徒に、

遥拝地を提供して喜ばれたと云う。

江戸期の富士講は、富士登拝の往路で、

富士・高尾の「両山講」と称して、立ち寄ることが多かった。

富士講と高尾山の檀家は、同じ江戸、関東地方に分布しており、

重複していたことも判っている。

ふと休んだベンチの傍らに、

忘れ去られたように立っていた石柱の銘文には、

小網町の商家らしい人が、文久二年十一月に造立したとあった。

高尾山の歴史は実質、小田原北条氏のサポートで戦国期に始まり、

徳川政権に引き継がれ、江戸中期、最盛期を迎えたのだ。

(写真 X10)

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