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2012年1月の記事

2012年1月31日 (火)

「平清盛」を視る(5)

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大河ドラマの見せ場とは、史実と史実の間に、如何に、

当該時代の「さもありなん」という物語=フィクション(創作)を、

つむぎ出せるか、だと思う。

もとより、最新の研究成果による時代考証は必須だが、

最終的には、脚本家がどれだけ勉強したかにかかっている。

その意味で、筆者は2007年の「風林火山」を高く評価するのだ。

さて、今回の「清盛」で、気になっていることのひとつに、

頼朝に清盛を語らせるという趣向があった。

重要なドラマの筋立てだろうが、違和感ありとしたい。

最近の研究の流れでは、頼朝より、先行する清盛に、

最初の武家政権としての意義を認識する傾向が出ている。

それを受けての、頼朝の役回りだろうけど、だとすれば、どうしても、

経緯をあまり語りたがらない頼朝がイメージされてしまうのだ。

そこで、佐藤義清(西行)が登場する。

彼が清盛の物語の語り手になれば、文学的才能にもマッチするし、

ドラマ全体が叙事詩的な色合いを帯びてきて、面白いと想うのだが。

(捨身 CX5二代目)

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2012年1月29日 (日)

検非違使の一行(2)

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伴大納言絵詞に描かれた検非違使の一行の中に、

髭を蓄えた不敵な面構えの男たちがいる

装束は一際派手な柄物で、異様に長い棒を携える。

「放免」(ほうめん)と呼ばれる、釈放された囚人から選ばれた、

検非違使庁の最下級の刑吏である。

犯人の捜索、逮捕、護送、獄番などに従事する、

江戸期の「目明し」に似た、洛中最末端の、法の執行人なのだ。

彼らが身に着ける装束を「摺り衣」(すりごろも)と云う。

役得で押収した盗品の衣類に、様々な文様を染め付けたものだ。

(古代、中世前期「摺り衣」を一般人が用いるのは禁忌だった)

異様に長い棒は「尖棒」(さいぼう=鬼の金尖棒のような武器)

言うまでもなく、異形のいでたちで、それらが許されるのは、

「禁忌を憚らない非人」だからとされていた。

百年ばかり後の「法然上人絵伝」(13世紀)にも描かれている。

(捨身下 黒い摺り衣で異形の長尖棒を持つ、髭面の二人)

ついでながら、筆者の記憶が確かであれば、

大河「太平記」のワンシーンで、犬神人と一緒にチラッと出てきた。

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(捨身 CX5二代目)

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2012年1月24日 (火)

検非違使の一行(1)

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平清盛の時代の、検非違使の姿を知る絶好の絵画史料がある。

中世絵巻物の白眉、伴大納言絵詞(国宝指定)だ。

このブログを始める少し前(五年くらい前か)

所蔵する出光美術館で特別公開があった。

保存の問題などがあり、その機会を逃すと、

まず当分は観られないだろうとのことだったので、

覚悟を決め、数時間、館外の歩道まで続く長蛇の列に並んだ。

短時間だったけど、間近に観た実物は、

さもありなんという状態だったのを思い出す。

さて、絵巻に描かれたのは、

罪人追捕に向かう検非違使の一行である。

右手中央、黒馬に跨り、烏帽子、白狩衣姿なのが、

指揮官、五位の廷尉。

直ぐ後、赤い狩衣の男は、火長(かちょう)と呼ばれた、

検非違使庁の下級官人(昨夜の清盛でも出てきた)だ。

馬上、甲冑で完全武装しているのは随兵を務める武士たち。

彼らの装束が古風であることからも判る通り、

現存の絵巻物(殆どが13世紀以降の作)の中で、伴大納言絵詞は、

特に古い12世紀の成立と考えられている。

従って、清盛の時代、そのものの姿を伝えていると言ってよいのだ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年1月23日 (月)

「平清盛」を視る(4)

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今回は細部を視る。

誰かが画面が汚いと文句をつけたそうだけど、

実際、この時代の都大路は汚かったのだから仕方が無い。

その空気を忠実に伝えようとしているのだったら、評価出来るだろう。

検非違使庁が初めて描かれた。獄舎も出てくる。

いくつかの中世絵巻物を参考にしたのが明瞭である。

上から俯瞰しながら移動するカメラアングルは、

絵巻物の視点そのもので、

ハイビジョンの横長画面によくマッチして新鮮だ。

これも大河初の試みかも。

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脱獄シーンでは京童の飛礫(つぶて)が飛ぶ。

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若き北面の武士として、佐藤義清(後の西行)が登場する。

ついでながら、彼は清盛と同年齢なのだ。

清盛より九年長命するが、知っての通り、

清盛の最も近しい同僚だったはずだし、

おそらく、同時代の要人の殆ど、頼朝や秀衡とも面識がある。

ある意味、このドラマのキーパースンになり得る。

さて、どんな役どころになるのか。

(捨身 CX5二代目)

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2012年1月19日 (木)

ボロ市にて(3)

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北条氏治世下の天正期は六斎市(月六回) 江戸期に入って、

12月15日と1月15日の歳の市になったボロ市だが、

往時の名残りはあるのだろうか。

曲物や杵臼をはじめ、様々な木製品を商う人々は、

木地師の伝統を引継ぎ、各地の市庭で古くから活動していた。

そんな風情を感じたのは、ボロ市では一店だけ、

おそらく、最古参に近いのではないか。

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神棚や祠、それに纏わる品々を売る店がいくつか出ていた。

歳の市では、年末年始に家々の神棚や祠を整え、祀るため、

買い求める人が多かったと云う。

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精巧な竹細工(武蔵、多摩では竹製が多い)で作られた、

神酒の瓶子に挿す、神酒口(みきのくち)と呼ばれる飾り物。

かつては竹細工を扱う店も、かなり出ていたはずである。

残念ながら、今回は見当たらなかった。

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翌日の午前中、同所にある整形外科に通院した際に、

ボロ市の横断幕が降ろされるのを観る。

一遍聖絵にも描かれていたけど、市がはねた後の光景は、

何処も寂しいものではある。

この次は今年の12月15日だ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年1月18日 (水)

ボロ市にて(2)

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今日、ボロ市といえば、骨董品が思い浮かぶようだけど、

元来は古道具だった。もとより生活の実用品である。

でも、その伝統を引くのか、高価なものは殆ど出ていない。

筆者の父親は古道具屋が好きで、若い頃は、

かなり通ったらしい。愛用の電蓄、硯、一輪挿し、

矢立(墨壷に筆筒を付けた携帯用の筆記用具)

貧乏徳利、何故か横浜錦絵、勿論、中古カメラも…

考えてみれば、ボロ市で売っているようなモノたちばかりだった。

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ボロ市の名前の由来となった、古着や古切れもよく見かけた。

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オモチャの日本刀をあらためる。意外と人気があった。

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こんなオッチャン、まだ居るんだな。

幼少期を想い出してしまった。

(捨身 CX5二代目)

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2012年1月17日 (火)

ボロ市にて(1)

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午前中、新宿、渋谷で所用をこなし、午後遅くに、

一昨年の世田谷宿探索以来、懸案となっていたボロ市を観てきた。

(ボロ市については、こちらとこちら、そして、こちらを

聞きしに勝る人出だったが、想わぬ出会いも…

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とある骨董店で、古い小さな土人形に目が留まり、

(店の人によれば、戦前のものらしい。何処の産かは判らず。

 坐って居る台は、おまけで付けてくれた流用品だけど、

 何故かよくマッチしていた)

その姿に魅かれ、@\500で救出するに至ったのである。

烏帽子を被り、鼓に寄りかかって、休む姿は、

白拍子のようであり、千寿万歳のようでも、

「ごぜ」(目を閉じている)のようでもある。

まぁ、中世世界の流離の女芸能者を彷彿とさせたわけだ。

今宵、彼女は我がデスクトップで、久方ぶりの安らぎを得、

まどろんで居るかの様…

表情も和らいで見えるから、不思議也。

明日は、宿の市らしい出店を紹介しよう。

(捨身 CX5二代目)

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2012年1月12日 (木)

日々の写真 1/11

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「平清盛」のことを書いて、いささか疲れたので一寸休む。

今回、異例の、二人の時代考証がついている。

ともに斯界で知られた中世史家、高橋昌明氏と本郷和人氏である。

両氏の著書を、Amazonでチェックし、少し揃えたので、

目を通しておこうと思う。

……………

小学校々庭の左義長(さぎちょう=どんど焼き)準備が整ったようだ。

十五日は日曜日、賑わうことだろう。

……………

明朝にかけて、今冬一番の冷え込みらしい。

当地、マイナス6℃とか云って居るぞ。おお寒む…

(捨身 CX5)

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2012年1月11日 (水)

「平清盛」を視る(3)

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初回の視聴率は芳しくなかったようだ。

院政期という、一寸、判り難い時代を扱ったためだろう。

平安時代後期であるけれども、もっと重要な意味では、

古代が終わり、中世が始まった変革期なのである。

今回の製作サイドは、この時代をどう捉えているのだろか。

(つまり、この国の、中世という時代を、現在入手し得る、

 最新の研究成果を集めて、描く努力が欠かせないのだ)

大河はドラマであるから、創作はあって当然だが、

少なくとも、その時代の世界で、起こり得る物語でないと、

ドラマ全体が荒唐無稽で空虚なファンタジーになってしまう。

そんな危惧を持たせたのが、初回のストーリーだった。

…自分の子(清盛)身ごもった白拍子を、母子ともども、

 源為義に命じて、必死に追い回す白河院。

 院御所の庭先で、捕縛した彼女らに自ら「判決」を下し、

 挙句、自暴自棄になった白拍子を射殺させる…

これでは、ヘロデ王の如き魔王である。

もっとも、白河院が善人だったとは想えない。

やはり、時代に照らすならば、ひたすら、怨霊と地獄を恐れ、

極楽浄土を願う人であったはずだ。

脚本家さん、ちょっと待ってくれよと言いたいな。

(捨身 CX5)

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2012年1月10日 (火)

「平清盛」を視る(2)

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そういえば、一昨年の夏、製作発表があった際に、

率直な疑問と期待を書いて居った。

こちらと、こちらへ。

今でも、気持ちは同じである。

決して安いとは言えぬ受信料を払っているのであるから、

言いたい事は言っておくべきだろう。

さてと、金のかかった海戦シーンはさておき、

(中世の沿岸航行船はほぼ正確に再現されているようだ)

忠盛と清盛の母の白拍子が、互いに侮蔑しあう場面があった。

「人を平気で殺す武士」と「遊女である白拍子」

確かに武士の残虐さに眉をひそめる向きはあった。

でも、遊女を卑しめる価値観は、遅くとも鎌倉後期までは、

無かったのではないか(逆に聖なる存在に近い)

むしろ、武士と白拍子、ともに武芸と歌舞を生業とする、

道々の輩として、相性は良かった感じがする。

「遊びをせんとや生まれけむ…」(メロディーは疑問だけど)

白拍子が歌った梁塵秘抄の今様を劇中に挟む趣向は悪くない。

ちなみに筆者は、

「仏も昔は人なりき…」が好みだ(清盛、まだ続けます)

(捨身 CX5)

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2012年1月 9日 (月)

「平清盛」を視る(1)

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やはり、じっくり視てしまいましたなぁ。

まぁ、始まったばかりなので、おいおいと語っていくことにする。

とりあえあず、初回は清盛出生秘話と、清盛登場までの、

平氏の地歩を固めた、祖父正盛と父忠盛の物語だ。

皆さん、まず、どうしても「何故?」と聞きたくなるのは、

「清盛、白河院落胤説」を堂々と採ったことだろう。

筆者の見解を言わせてもらうと、

残念ながら、この説を積極的に、否定も、肯定も出来る材料を、

持ち合わせていない。ただ、

もっと、この時代の婚姻の実態を知るべきということだ。

女性の家への通い婚があり、重婚のような同時複数の関係があり、

上流から下流まで、つまり高貴な女性も、道々の女性(遊女)も

普通に相手になり得た(序列はつけられるにしても)

だから、かなりの上流貴族の母親が白拍子なんてこともよくあった。

清盛の場合も、その辺りが当時からの「真相」で、

噂が絶えなかったわけだろう。

纏めると、父親が誰であるか判らないのは珍しくないと云うことです。

他にも気になった点が多々あるのだけど、例えば、

劇中「王家の敵」「王家の犬」といった台詞が乱発されている。

「王家」とはよく使われた概念なのか。「王」ならばあり得る。

「院」と云ったほうがよいのではないか。

とても書ききれないので、今宵はこのくらいにしよう。ご容赦…

(捨身 CX5)

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2012年1月 6日 (金)

平治物語絵巻断簡

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江戸東京博物館の「平清盛展」(~2/5)では、小品だが、

中世合戦絵巻の白眉、平治物語絵巻が鑑賞出来る。

いくつかの断簡で残る「六波羅合戦の巻」で、

清盛(捨身上)や義朝の姿が描かれた部分が展示中だ。

ついでながら、平治物語絵巻は、

東博本(国宝・六波羅行幸の巻)はじめ、

国内にあるものの他に、ボストン美術館が所蔵する。

現存各巻中、最高傑作といわれる「三条殿夜討の巻」である。

この3月、東博140周年に、ボストン美術館がやって来る。

「三条殿夜討」はもとより、「吉備大臣入唐絵巻」も出る。

これは何としても見逃せないだろう。

大袈裟ではなく、一生に一度のチャンスになるかもしれない。

(捨身 CX5)

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2012年1月 4日 (水)

上杉本洛中洛外図に正月を観る(3)

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前回触れた、羽根突き=胡鬼板遊びと左義長の続きになるが、

左義長とは、正月十五日に、竹を円錐状に組んだ作り物に

門松、注連縄などの正月飾りや胡鬼板を入れ、

焚き上げる行事のことである(どんど焼きの原型)

今、とある武家屋敷の門前で左義長の準備が進められている。

誰の屋敷かと見れば、右上の注記に「松永弾正」とある。

あの松永久秀だ。上杉本洛中洛外図屏風は、

黒田日出男氏が「謎解き洛中洛外図」で提起されたように、

将軍足利義輝が上杉謙信のために描かせ、義輝の暗殺で、

未完であったところを、信長が引き継いで完成、

謙信へ贈ったと云う説が有力になっている。

何というめぐり合わせなのか、この絵の注文主、将軍義輝暗殺の、

張本人こそ、松永久秀なのであった。

(松永久秀は信長に降るが、結局反逆し、信貴山で自爆死する)

(捨身 CX5)

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2012年1月 3日 (火)

両国へ

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今日から両国の江戸東京博物館で始まった、

「NHK大河ドラマ50年特別展 平清盛」(~2/5)を観てきた。

とりあえず、見所は厳島神社から出品されている、

国宝「平家納経」と同じく神宝類だと思う。

列挙すれば、国宝「伝源為朝所用 小桜革黄返威鎧」

国宝「平家納経経箱」等々、

他に清盛、重盛、宗盛、忠盛の自筆書簡、経典類、

重文「延慶本 平家物語」(室町期 大東急記念文庫)

(現存では最も古態を残す、根来寺で筆写された写本)

珍しいところでは、

「平治物語絵巻断簡」(鎌倉期)

「西行像」(鎌倉期 MOA美術館)

重文「法住寺殿跡武具埋納遺構出土品」(木下美術館)

(法住寺殿遺跡は後白河院の御所跡であり、

 1978年、同所で発見された12~13Cの中世武将墓は、

 豪華な武具甲冑の出土で注目された)

尚、会期中、展示替が数回あるので要注意だ。

(捨身 X10)

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2012年1月 2日 (月)

上杉本洛中洛外図に正月を観る(2)

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町屋の裏庭で羽根突きをする女の子たち。

今日でも、正月の遊びだが、元来は、

胡鬼板(こぎいた)遊びとも呼ばれ、胡鬼子=羽根を突いて、

胡鬼=異国からの侵入者、疫病神を払い、

その年の無病息災を祈る、都市的な場らしい呪いなのであった。

正月が終わると、羽子板は門松や注連縄と一緒に焼かれる。

「左義長」(さぎちょう)と云い、どんど焼きのような行事だ。

(捨身 CX5)

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2012年1月 1日 (日)

上杉本洛中洛外図に正月を観る(1)

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町屋の軒先に注連飾り(今日のものに近い)が下がり、

様々な門付け芸人が家々を訪れている。

戸口で鼓を手にする三人連れは「千秋万歳」(せんずまんざい)だ。

当家の繁栄を寿ぐ祝言を唱えながら、舞いを披露し祝儀を貰う。

通りの反対側を行くのは「春駒」と呼ばれる芸人たちか。

駒をかたどった作り物を身につけ、こちらも舞いを見せるのだろう。

いずれも、現存する各地の民俗芸能に名残りを見出せる。

傍らで、男の子たちが「毬打」(ぎっちょう)と云う、

ホッケーに似た正月遊びに興じるが、そういえば、

平家物語に南都の悪僧たちが「清盛の首だ。打て」と、

毬打でふざける場面があったな。

その清盛が大河で始まるわけだ。ともあれ、一寸注目しよう。

(捨身 CX5)

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