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2012年2月の記事

2012年2月29日 (水)

春を待つ 2012 (4)

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午前中、渋谷にて申告書類の提出と納税を終え、

例によって、年に一度の開放感のまま、

午後から、銀座の中古カメラ市へ繰り出す。

余勢を駆って…

CLで使っている、ビオゴン28㎜用にヴューファインダーを一つ。

やはり、見易いことに如かず。

小さなアクセサリーにしても、実を言うと、

ライカの純正品を買ったのは初めてだった。

(年代の新しいプラスティック製のヤツだけどね)

但し、数ある類似品の中で、値段が比較的手頃で、

その割に、「視え」が良かったからに過ぎない。

もとより、ブランドは二の次だ。

……………

銀座通りも春めいてきた。

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月28日 (火)

春を待つ 2012 (3)

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さっきまで、BSフジのニュース番組で(ライブで二時間近く)

ドナルド・キーン氏へのインタヴューを視ていた。

氏は「読むべき一冊は?」とのメールでの質問に答えて、

とりあえず、源氏や新古今などの文学作品はさて置き、

徒然草を挙げていたのが印象的だった。

兼好法師は実に面白い人物で、深い共感を寄せるとも…

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月27日 (月)

「平清盛」を視る(10)

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今回は、肥前神崎荘での忠盛の私貿易、宋銭、

山本耕史の藤原頼長登場と、ネタ満載なのだけど、

まず、敢えて、細部を採り上げる。

これも大河初登場のシーンだと思う。

源為義の館、左手の台上に繋がれた猿がいる。

それで、其処は厩であることが判る。

中世世界では、猿は馬の守り神として、厩で飼われることが多く、

猿を扱う専門の芸能民もいた(現存の猿回し芸の系譜に連なる)

いくつかの絵巻物で確かめられるが、

それを忠実に再現したのは評価してよいだろう。

比叡山の鎮守、日吉山王社の神使と知られた如く、

猿は神聖な動物であったはずである。

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月25日 (土)

春を待つ 2012 (2)

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(捨身 CX5二代目)

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2012年2月24日 (金)

春を待つ 2012 (1)

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税務決算書類作成に一日を費やす。

あともう少しだけど、眼がショボショボだな。

……………

「BS歴史館 江VS春日局 大奥誕生!」結構面白し。

所謂、将軍世継、竹千代と国松をめぐる江と春日局の確執は、

後世の作り話の可能性が強く、実際の両者は役割分担で、

協力関係にあったという説は説得力があった。

(家康が江に示した二十か条に及ぶ教訓状は実に興味深い)

その後ろには、大御所家康の、戦国を繰り返すまいとする、

「長子相続」定着への強い決意があったとも…

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月20日 (月)

「平清盛」を視る(9)

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清盛の最初の妻になる女性をめぐるラブロマンスだ。

彼女へ文を付けるのだが、その歌を義清(西行)が、

代作してやるという、ストーリー展開はいささか劇画的だな。

その彼女だけど、

当時の平氏には、不相応な下級貴族の娘といわれる。

 (清盛は海賊追討の功で、

  武士ではトップクラスの従四位下になっている)

この問題について、隠された事情ありと諸説がある。

今回の時代考証をつとめる高橋昌明氏は、

著書「清盛以前」の中で「付論 重盛の母」を立てて、

一寸興味深い仮説を展開していた。

今度、これがドラマにどう反映していくのか注目しよう。

まぁ、清盛の最初の妻に光をあてたのは、新機軸で評価出来る。

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月18日 (土)

日々の写真 2/17

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棲んでいた時は、その前を通り過ぎるだけだった、

渋谷道玄坂の老舗蕎麦屋に初めて入ってみた。

地元では殆ど外食しなかったので、

まれびと=外来者になった今、あらためて、記憶を頼りに、

いろいろな店を覘いて廻っているのだが、

既に、かなりの店が閉じてしまっているようだ。

今日は、円山町の古道、滝坂道沿い(地蔵のとなり)にあった、

もうひとつの老舗蕎麦屋も狙っていたのだけど、

やはり消滅していた。

さて、お決まりの鴨南蛮蕎麦は、@\1050也 

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月14日 (火)

「平清盛」を視る(8)

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昨日の投稿で触れ忘れたことがあった。

佐藤義清(西行)と待賢門院堀河が「出来ていた」(不倫関係?)

と云う設定である。

しかし、二人のやりとりした歌を見ても、筆者には、

そういった妄想は一寸浮び難いのだ。

(もっと大人の、そんな妄想すら冗談めかせるような、

 ドライな関係ですね)

23歳の義清の、突然な出家遁世が、

(まぁ、若過ぎるけど、中世人は老成がかなり早い)

後世の人には理解不能で、

何かとんでもない憶測を呼びそうなのは、よく判るにしても、

周囲で、同様に出家した人物が少なくないし、

ある意味、彼自身、早くから、それを願っていたふしも窺える。

中世人の、究極の、理想の生き方として、

仏道に専修する生活=出家遁世を願うことが、

流行りだした時代でもあったしね。

もとより、西行の生き方は(後世の妄想なんかじゃビクともしない)

一筋縄ではいかないものだったのだけれども…

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月13日 (月)

「平清盛」を視る(7)

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今回は「中世瀬戸内海海賊ファンタジー」って感じに、

なってしまったけど、

大河で初めて、本格的に「唐船」を採り上げたことは、

高く評価してもよい。

拙ブログでも、「唐船」は既に何度か触れているのでご参照を…

とりあえず、こちらと、こちら

唐船所有が確実視出来るのは、平氏が最初だろう。

少し時代が下がると、北条氏や三浦氏にもその可能性が出てくる。

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月11日 (土)

遊びをせんとや…

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 …遊びをせんとや生まれけむ

  戯れせんとや生まれけん

  遊ぶ子供の声聞けば

  我が身さえこそ動がるれ…

梁塵秘抄の、あの、あまりにも有名な今様を、

「平清盛」のテーマソングにアレンジした感覚は悪くない。

この場合、「遊び」とは子供のみならず、大人も含めた、

想いであって、願いであると解すべきなのだろう。

ある意味、中世世界からの現代世界へ通じる、

メッセージ性を帯びるとも言えるのではないか。

(捨身上)清盛と同時代、12世紀の作と考えられる、

鳥獣人物戯画に描かれた、双六に興じる男たち。

もとより、中世世界の双六とは「博打」に他ならない。

左下の僧形の男は負けが込んで、身包み剥がされている。

「清盛」のタイトルバックに竹馬で遊ぶ子供たちが出てくるが、

この映像の元になったと思われるのが(捨身下)

法然上人絵伝(13世紀)の一場面だ。

中世の竹馬は、二本足(近世以降)ではなく、

長い笹竹の根元に紐を付け、跨って走るものだった。

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月 8日 (水)

日々の写真 2/7

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渋谷の路上で、或る女性から親しげに挨拶をされた。

慌てて挨拶を返したけど、誰だかまったく想い出せない。

何処かで、何度も会っている人には違いないのだ。

しかも当方、マスクにニット帽と云う、

見るからに怪しげな「異形」だったのに、

よく判ったものだと、訝しながら、

今も記憶のページを繰って足掻いている。

今宵は眠れそうにないな。

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月 6日 (月)

「平清盛」を視る(6)

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若き清盛と(源)義朝、義清(西行)が各々の将来の夢を、

三人でダベるシーンは妄想にしても、

そこは「大河の特権」 まぁ、許せるか。

義清(西行)が18歳にして、既に一家妻子持ちなのは、

当時としてはごく普通である。義朝の東下りも宜し。

今回はトボけた秀才といった風の高階通憲(信西入道)は、

どんな役回り(悪役?)になるのか、注目だな。

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そして、唐船に乗った海賊登場!

ついでながら、筆者はやはり、

1972年の「新平家物語」を想い出してしまう。

清盛=仲代達矢 義朝=木村功 義清(西行)=蜷川幸雄!

信西入道=小沢栄太郎 藤原頼長=成田三樹夫

忠盛=先代・中村勘三郎 為義=佐々木孝丸 

崇徳院=田村正和 頼朝=高橋幸治…

おっと、大事なのは、北条政子=栗原小巻 でした…

(捨身 CX5二代目)

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2012年2月 4日 (土)

鬼が窺う

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節分に因んだ話題を…

鬼がビジュアルな形で描かれるようになったのは、

中世に入ってからだろう。

今朝のBSニュースで視た、奈良の井戸跡から発掘された、

鬼面を現した土器片も、12世紀初めのものと云う。

中世世界を跋扈した鬼とは、様々な要素があるにしても、

端的に言えば、疫病神(伝染病)であり、外来者(まれびと)であり、

時に異国の神、あるいは怨霊の一形態と考えていい。

もとより、鄙ではなく、都市的な場の産物である。

病者の家を屋根から窺う鬼、春日権現験記絵の一場面だ。

高熱と嘔吐(白い犬が吐しゃ物を食らう)に苦しむ男が居る。

声聞師(最下級の陰陽師、それとも僧形の宿曜師か?)が、

呪いを終え帰っていくが、既に効験は期待出来ないようだ。

…道に面した戸口で火を焚き、石(塞の神=道祖神)

 を祀り、黒髪を挟んだ奉幣を立て、供物を載せた土器と、

 結界を示す縄を置く。通常、鬼は人の行き交う道を通って、

 やって来るが、このケースでは隙を狙って屋根からか?

 屋根もまた、異界への出入り口のなのだ…

例によって、異時同図法で、余命を悟った同じ男が死穢を憚って、

家の外の仮屋で、死を待つ様子も描かれる。

(捨身 CX5二代目)

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