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2012年4月 4日 (水)

多摩の霊地へ(2)

B12040301

B12040302

吾妻鏡にみえる「真慈悲寺」の条はこうである。

文治二年二月三日(1186)

当寺は源家の御祈願寺であるのに、

(頼義、義家以来の縁を指すのか?確かに当地に伝承あり)

未だ荘園を持たず、荒れ果てていると、

頼朝に庇護を求め、認められる。

建久三年五月八日(1193)

頼朝の命により、後白河院の法要に伊豆相模武蔵三国の、

他の御祈願寺ともに僧三人を出す。

その後、幕府衰亡や災害などで、南北朝期には廃絶か。

江戸元禄年間、旗本小林氏が同地に松連寺を創建する。

小田原藩大久保氏の庇護を得るも、明治の廃仏毀釈で廃絶、

私有地になり、庭園「百草園」として開放、現在に至る。

以上の経緯は日野市の調査報告で知られたものだけれど、

筆者は「幻の寺、真慈悲寺の謎」よりも、此の尾根地一帯が持つ、

強い、地勢上の特異性のほうに興味がそそられた。

今日二枚目の写真は百草園尾根裏から観た景観だ。

小さな谷戸が入り込んでいるが、「真堂(しんどう)ヶ谷戸」と云う。

実に中世的な含蓄がある地名じゃないかと。

(捨身 CX5二代目)

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