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2012年4月 9日 (月)

多摩の霊地へ(4)

B12040801

B12040802

百草園の尾根近くの隣接地に百草八幡社が鎮まる。

由緒は不明ながら、源頼義、義家祈願の伝説と、

「建長二年(1250)真慈悲寺・造立者銘」が刻まれた、

銅造阿弥陀仏(重文指定)を伝える。

此処は真慈悲寺の鎮守社だった可能性がある。

中世世界では、寺と神社は一体だから、吾妻鏡が記す如く、

源家累代の祈願寺と訴えるのも頷けよう。

この尾根には、彼方此方に奇妙な平場が残り、

これまで、掘立柱建物跡(阿弥陀堂みたいな小堂か)

集石遺構(餓鬼草紙に出てくるような中世墓だろう)

火葬跡、常滑壷、宋銭などが発掘されている。

また、不自然な高低差のある、幾つかのピークが

連なっているので、中世山城遺構ではないかとも、

言われているようだ。確かにドーンと落ち込んだ、

鞍部を昇降して、足首に負担が掛かった。

掘切かもしれないが、仮に山城が存在したとしても、

不都合は無い、十分な地理的要因が見出せるのだ。

(捨身 CX5二代目)

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コメント

ちょっとネットで調べてみましたが、発掘プロジェクトがあって、ボランティアもいるらしいですね。頼義、義家の伝承があるのがいいです。何故廃寺になったのですかね。焼失した場合は発掘調査でわかりますよね。大風説を見かけましたか、どうでしょう。百草八幡社は源氏との繋がりがあるんでしょうか。

投稿: 振り子 | 2012年4月 9日 (月) 17時42分

廃絶した理由は判りませんが、鎌倉幕府衰亡で支援を失い、新たな大檀那獲得も失敗したのだと思います。隣の高幡不動のように大風で倒壊しても、大檀那(足利氏、上杉氏)がいれば再建出来ますからね。それと、寺のそもそもの性格、宗派とか、本尊(阿弥陀仏らしい)とか、葬送寺とかも関係するかも… 頼義、義家は同じ道沿いで、近隣の武蔵府中にも足跡を残していますよ。

投稿: kansuke | 2012年4月10日 (火) 00時50分

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