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2012年4月の記事

2012年4月30日 (月)

至福の機会

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二子玉川、静嘉堂文庫美術館の、

「平治物語絵巻・信西巻」巻き替え二回目と、

(~5/8 三回目は5/9~5/20)

上野、東博平常展の、

「平治物語絵巻・六波羅行幸巻」(国宝室~5/27)を観てきた。

今回は、これと、

同じく東博のボストン美術館展で里帰り中(~6/30)の、

「平治物語絵巻・三条殿夜討巻」を併せると、

現存三巻が全て同時に観覧出来るという、

文字通り、至福の機会なのだ。

(捨身 CX5二代目 東博の国宝室にて実物より)

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2012年4月29日 (日)

「平清盛」を視る(20)

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摂関家の「朱器台盤」が出てきたついでに言えば、

平氏嫡孫に相伝される鎧、「唐皮」にも触れねばならないだろう。

忠盛から清盛、重盛、維盛と伝えられたはずだが、

2005年の「義経」では、小松家(重盛の系統)の没落で、

宗盛が引き継ぐ話になっていたと思う。

「唐皮」(からかわ)とは、将門追討で名を上げた、

嚢祖貞盛に由来する、唐渡りの皮を用いた鎧と云う。

平氏らしく、東アジア的な響きのある名がいい。

(因みに、源氏重代の鎧は、泥臭く「源太が産衣」と呼ぶ)

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月26日 (木)

「平清盛」を視る(19)

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まぁ、今年の大河は、よくネタを提供してくれる。

「朱器台盤」(しゅきだいばん)である。

藤原氏の、「氏の長者」の地位を象徴する、相伝の什器だ。

もとより、大河初めての登場だし、相当にオタッキーだな。

昔の「新平家」は多分に、文学調だった。

今回の「清盛」は、王家、公家、武家、寺家の権力闘争や、

正盛、忠盛、清盛と、平氏繁栄への道を丹念に描き、

そもそも、「武士(の起源)とは何か」と云う、歴史的な課題にも、

正面から臨んでいるように見える。

この際、視聴率がどうのとか言うまい。

ブレずに、何とか年末までと、願うのみだ。

……………

さっき、夜分に朝日の代理店がやって来て、

玄関先で購読契約の更改をと、ペコペコ頭を下げるので、

コシヒカリ無洗米10キロならと、話をつけてやった。

しょうがないな。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月22日 (日)

「平清盛」を視る(18)

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今日の朝日夕刊に、視聴率、歴代最低レベルと書かれていた。

15日までの平均視聴率が14.7%なのだそうで、

20%を切った、歴代大河一覧が掲げてあったけど、

14%代は「花の乱」(1994)と「竜馬がゆく」(1977)だけだ。

(筆者としては、「花の乱」は結構、愉しませてもらったけどね)

でも、一方で、今回の「清盛」は、大河始まって以来という、

チャレンジが目白押しなのも、この際、指摘しておくべきだ。

動物の出演、厩の猿は触れたが、犬、猫、闘鶏、鸚鵡…

そして、鷹は武士の館では定番、義朝の館のシーンだった。

(動物の演出は大変だろう。しかも時代が中世とくる。

 ギャラは人と比べて、どうなんだろ)

そうそう、中世世界の男色(よく知られた頼長の)を描いたのは、

「画期的」と言わねばなるまいな。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月20日 (金)

「平清盛」を視る(17)

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佐藤義清が西行となって帰ってきた。

まぁ、彼の存在無くして、ドラマが成立し辛くなっているのもよく判る。

奥州遊行から戻り、高野山で参籠しているところを、

ちょうど大塔再建を命じられ、代官として現地を訪れた清盛と、

邂逅する設定は悪くなく、プラスポイントだ。

実際、この件で、二人の接点はあったと想われるのだ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月19日 (木)

観桜 2012 (10)

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谷戸奥に行くと、まだまだ愉しめる。

当地では、谷戸(ヤト)と正統的に発音するようだけど、

筆者の育った、横浜・金沢から鎌倉の辺りじゃ、谷津(ヤツ)

やはり、三つ子の魂で「ヤツ」のほうがしっくりくる。

「真堂ヶ谷戸」(しんどうがやと)より、

(しんどうがやつ)だよな。

………………

彼の島を、もとめんと欲すれば、

広く勧進を行って、浄財を募る、中世方式に如かず。

都民の血税は、まず、大震災対策へ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月18日 (水)

観桜 2012 (9)

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平治物語絵巻・信西巻より、絵第四段、最初の部分

三条河原まで、信西の首を掲げてやって来た源光保一行。

この後、大路渡しの場面となる。

現存三巻のうち、ボストン(国内にあれば間違いなく国宝)を除いて、

東博の六波羅行幸巻が国宝、この信西巻は重文指定のままだ。

その理由はよく判らないが、いずれ「昇格」するのだろうか。

……………

花の終わりに、一天俄かにかき曇る…

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月17日 (火)

観桜 2012 (8)

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静嘉堂文庫美術館の「平治物語絵巻・信西巻」公開は、

会期中(4/14~5/20)三回の巻き替えがある。

●一回目(4/14~4/26) 詞書第一段と、

 絵第一段

 …三条殿夜討の翌日、変事を聞いて参内する公卿たち。

 …夜討で討ち取られた大江家中、平泰忠の首を、

  武士たちが薙刀に掛ける。

 …武士たちに信西の子息らの追捕を命じる藤原信頼。

 絵第二段・前半

 …伊賀山中、既に自害した信西を従者たちが埋めて隠す。

●二回目(4/27~5/8) 詞書第二段と、

 絵第二段・後半

 …捜索していた出雲前司・源光保一行が信西の死体を、

  見つけ出し、首を切り取った。

 絵第三段

 …京・神楽岡の光保館で、

  信頼、藤原惟方らが信西の首実験を行う。

●三回目(5/9~5/20) 詞書第三段と、

 絵第四段

 …三条河原にて、源資経らが信西の首を光保から受け取る。

 …資経一行は信西の首を薙刀に掲げ、三条大路を渡す。

 …検非違使庁西獄、獄門の棟木に信西の首が晒され、

  京中の人々が見物に集まって来た。

やはり、全部観なければ気が済まぬな。

因みに、チケットは次回割引券(\200引き)付きだ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月16日 (月)

観桜 2012 (7)

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「石元泰博写真展 桂離宮 1953,1954」(~6/10)

鎌倉・神奈川県立近代美術館

「東洋絵画の精華 名画でたどる美の軌跡」(~6/24)

(平治物語絵巻・信西巻公開)

二子玉川・静嘉堂文庫美術館

以上二館を廻ってきたが、今日は気分を変えて、

一筆書きの経路をとってみた(都合JR3回、私鉄4回の乗換)

途中、江ノ電でラッシュに巻き込まれたり、

鎌倉市内の人波(流鏑馬の日だった!)に往生したりで、

些か疲労したので、詳細は後ほどに。

鎌倉の桜は、期せずして鳥絡みとなった。

(捨身 CX5二代目 美術館際の源氏池と若宮大路にて)

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2012年4月15日 (日)

「平清盛」を視る(16)

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「常盤」(義経の母親、平治物語に九条院の雑仕女とも)が、

市で酒を売る女として出てきた。

中世世界の働く庶民女性によく見られる、

かぶり物(桂包み、桂巻き、桂女のスタイルで知られる)の、

コスチュームが、なかなか様になっていたので、プラスポイントだ。

少し時代は下るが、七十一番職人歌合せ(16世紀)に、

同じく「さかつくり」が登場する。この辺がネタ元か。

中世では、女性が酒を造り、販売していた。

よく云われる、「酒蔵での禁忌」は新しいものだ。

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(捨身 CX5二代目)

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2012年4月14日 (土)

観桜 2012 (6)

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この季節は、いつも足早なのだ。

既にソメイヨシノは去りつつあり、

ヤマザクラの盛りも近い。

何かを遣り残した気分に苛まれる。

やはり、桜には、

薄曇りの空と風、悪天の兆しが相応しいな。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月13日 (金)

観桜 2012 (5)

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静心無く花の散るらむ…

多摩の横山、山桜もかなり咲いてきた。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月12日 (木)

多摩の霊地へ(5)

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筆者の「仮説」を謂ってみよう。

百草園一帯の尾根は、中世武蔵国、最大の都市的な場だった、

府中の葬送地ではなかったか。

(類例を挙げれば、

 六浦津の上行寺東遺跡、神奈川津の権現山、品川津の御殿山、

 遠江国府・見付一の谷中世墳墓群遺跡等々…枚挙の暇無し。

 でも、この手の遺構は全く文献に残らないのが常だ)

まず、府中(府内)から真西に位置し、眺望良く、

秋分の日や春分の日になれば、太陽がこの尾根に沈むので、

西方浄土(祖先の墓所)遥拝、

或いは修行者の「日想観」に適する。

府内を外れ(死穢を避ける)多摩川彼岸の境界地で、

異界(冥界)への入り口に当たる。

昨日も触れたけど、まさしく「勝地」といえる。

平安期まで、武蔵国国府は現在の大国魂神社付近にあったが、

鎌倉期に入ると、その機能は幕府守護所へ移り、

館は多摩川河畔近く、中河原辺りにあったらしい。

多摩川から水路を引き入れた河湊を擁し、

直ぐ傍を中世古道が通る。

古道は目前で多摩川を渡河、向う岸に関(関戸)が設けられた。

関の前後にも、繁華な宿があり、鎌倉を目指す中世の旅人は、

右手に百草の尾根を仰ぎ見ながら、関を超えたのだろう。

そうそう、肝心の「幻の真慈悲寺」だけど、

死者を浄土へ導く、阿弥陀仏(八幡社の本地)を本尊とした、

葬送施設だったのではないか。

こういった各宗派の御堂が、尾根の彼方此方に建っていたはずだ。

五輪塔や板碑が林立する光景が広がり、裏の谷戸には、

葬送に携わる聖(ひじり)たちが集住していたのだろう。

しかし、中世後期(戦国期)に武蔵国守護所の機能が衰え、

鎌倉が享徳の乱(1455)で荒廃すると、府内も寂れ、

百草の尾根も忘れ去られたのだと想う。

帰り際、麓の地蔵堂に寄ってみると、

何と、秩父青石の板碑片が地蔵尊の足元に置いてあった。

江戸期後期以降、中世の板碑や五輪塔を数寄者が珍重し、

大量に抜き取られてしまった経緯がある。

念のため、市の郷土資料館へ一報しておいたのだった。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月11日 (水)

観桜 2012 (4)

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この時候、やはり、どうしても、

「あくがるる心」で、「ものぐるほしけれ」になって来るな。

「多摩の霊地へ」そろそろ纏めなければいけないのだが、

なかなか、頭の整理がつかぬ。

あと一寸お待ちを…

……………

高幡不動から多摩モノレールに乗った。

この、天狗の飛ぶが如き、独特な高度感に軽い眩暈を覚える。

でも、当地の地勢が一番よく掴める乗り物だと思う。

百草園から高幡不動にかけての尾根は、

中世世界で云うところの「勝地」

 (しょうち=優れた土地、景色が素晴らしく、

  霊験あらたかで、神仏の利益が明らかな地)

であることが明瞭に理解出来た。

まず「勝地」なのである。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月10日 (火)

観桜 2012 (3)

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三年ぶりに高幡不動へ寄って来た。

あらためて、当寺の由緒を鑑みるに、

起源は背後の丘陵上(百草園の隣の尾根だ)に建立された、

一宇の不動堂と云う(高尾山の始まりも、同様な薬師堂)

おそらく、修験者の集まる道場だったのだろう。

その後、建武二年(1335)八月四日夜の大風により、

倒壊してしまい、現在の麓の場所に再建されて、

室町、戦国期には、大伽藍を擁するようになった。

当然、広く勧進を募ったはずで、

鎌倉の関東公方や関東管領上杉氏(武蔵国守護を兼ねた)が、

最大の寄進者だったと考えられる。

ついでながら、建武二年の大風だけど、

百草園の真慈悲寺も倒壊し、廃絶したとする説がある。

筆者は、これに必ずしも同調しないが、

両者が地勢的に極めて似通った立地なのは確かだと思う。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 9日 (月)

多摩の霊地へ(4)

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百草園の尾根近くの隣接地に百草八幡社が鎮まる。

由緒は不明ながら、源頼義、義家祈願の伝説と、

「建長二年(1250)真慈悲寺・造立者銘」が刻まれた、

銅造阿弥陀仏(重文指定)を伝える。

此処は真慈悲寺の鎮守社だった可能性がある。

中世世界では、寺と神社は一体だから、吾妻鏡が記す如く、

源家累代の祈願寺と訴えるのも頷けよう。

この尾根には、彼方此方に奇妙な平場が残り、

これまで、掘立柱建物跡(阿弥陀堂みたいな小堂か)

集石遺構(餓鬼草紙に出てくるような中世墓だろう)

火葬跡、常滑壷、宋銭などが発掘されている。

また、不自然な高低差のある、幾つかのピークが

連なっているので、中世山城遺構ではないかとも、

言われているようだ。確かにドーンと落ち込んだ、

鞍部を昇降して、足首に負担が掛かった。

掘切かもしれないが、仮に山城が存在したとしても、

不都合は無い、十分な地理的要因が見出せるのだ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 8日 (日)

観桜 2012 (2)

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当地は都心に比べて、三分遅れという感じか。

谷戸奥に、ひっそりと咲く風情は好ましいけど、

もう一寸すれば、山桜の饗宴が始まってしまう。

あの賑やかさも一興哉。

……………

「多摩の霊地へ」いろいろと、想いが浮んでは消え…

もう少しお待ちください。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 7日 (土)

観桜 2012 (1)

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久しぶりに渋谷へ出る。

春の陽光眩しく、既に満開だった。

……………

東博のボストン展(~6/10)で里帰りしている、

「平治物語絵巻・三条殿夜討巻」に時期を合わせて、

同絵巻の国内現存二巻も公開されることが決まった。

東博の平常展で「平治物語絵巻・六波羅行幸巻」(4/17~5/27)

静嘉堂文庫美術館の「平治物語絵巻・信西巻」(4/14~5/20)

滅多に無い機会である。

特に、信西巻は未見なので、是非観に行かねばならぬ。

静嘉堂は二子玉か。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 6日 (金)

日々の写真 4/5

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「多摩の霊地へ」一寸、頭を整理したいので、今宵は休みます。

まぁ、仮説めいたものを提起したいと…もう少しお付き合い下さい。

…………

日没近くの時間、その百草園尾根を裏側の谷戸から望める、

路線バスに乗り合わせる。驚くべきことに、

太陽が、ちょうど同尾根東端のピークに沈むのを観た。

此処は「仁王塚」と呼ばれ、江戸元禄期に経塚が見つかり、

長寛元年(1163)永万元年(1165)建久四年(1193)の、

銘が刻まれた銅製経筒が、今に伝世しているのだ。

この件は、筆者の「仮説」とも深く関わる。

…………

BS歴史館「大河の真相、平清盛!財テクで勝つ親子三代、

涙の出世術」を面白く視てしまった。

大河の両考証家、高橋昌明氏、本郷和人氏と、

会計士の山田真哉氏の対論は、専ら経済史の視点からだった。

日宋貿易、宋銭流入による貨幣経済の発達、

西日本と東日本(平氏と源氏)の物流と土地という、

経済感覚の違い、いずれも最新の研究成果に基づくものだ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 5日 (木)

多摩の霊地へ(3)

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百草園内の茶店入り口に出土した中世遺物が展示してある。

いずれも鎌倉期13世紀中頃~後期の瓦で、

真慈悲寺に関連するものと見られ、5000点も出ている。

園の人にも伺ったが、こういった本格的な瓦屋根建築を、

支えるに足る、礎石の類は全く見つかっていないようだ。

まぁ、謎だけど、廃寺跡から礎石を持ち出す例はある。

江戸後期、此処にあった松連寺は「江戸名所図会」に、

採り上げられるほどの名所だった。

現在の庭園は、その遺構をほぼ伝えるものと言ってよい。

春は梅と鶯が呼び物で、確かに、いい谷渡りを聞けた。

茶店にて温かい山菜蕎麦を所望するに、@\650也

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 4日 (水)

多摩の霊地へ(2)

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吾妻鏡にみえる「真慈悲寺」の条はこうである。

文治二年二月三日(1186)

当寺は源家の御祈願寺であるのに、

(頼義、義家以来の縁を指すのか?確かに当地に伝承あり)

未だ荘園を持たず、荒れ果てていると、

頼朝に庇護を求め、認められる。

建久三年五月八日(1193)

頼朝の命により、後白河院の法要に伊豆相模武蔵三国の、

他の御祈願寺ともに僧三人を出す。

その後、幕府衰亡や災害などで、南北朝期には廃絶か。

江戸元禄年間、旗本小林氏が同地に松連寺を創建する。

小田原藩大久保氏の庇護を得るも、明治の廃仏毀釈で廃絶、

私有地になり、庭園「百草園」として開放、現在に至る。

以上の経緯は日野市の調査報告で知られたものだけれど、

筆者は「幻の寺、真慈悲寺の謎」よりも、此の尾根地一帯が持つ、

強い、地勢上の特異性のほうに興味がそそられた。

今日二枚目の写真は百草園尾根裏から観た景観だ。

小さな谷戸が入り込んでいるが、「真堂(しんどう)ヶ谷戸」と云う。

実に中世的な含蓄がある地名じゃないかと。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 3日 (火)

多摩の霊地へ(1)

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京王線は聖蹟桜ヶ丘を過ぎると、北野辺りまで、

左手に続く、低い山並みを観ながら走る。

これが多摩丘陵、古に云う「多摩の横山」が始まる部分なのだ。

四季の花々で知られる百草園は、その山中にあるのだが、

当地で「幻の中世寺院=真慈悲寺(しんじひじ)」とみられる遺跡が、

発見されたのは二十数年前のことだ。

(最近では、地元の日野市が中心になって、市民団体も加わり、

 発掘調査を推進するプロジェクトが立ち上がっている)

真慈悲寺は吾妻鏡に二箇所、触れられるのみで、

全く謎の寺だった。しかし、百草園周辺の尾根より、

大量の中世瓦、集石遺構、常滑陶磁片が発掘されるに及んで、

注目されるようになったのである。

百草園は急坂を登った尾根近くの斜面に立地している。

此処からの眺望は素晴らしく、手前を流れる多摩川、

対岸の武蔵府中、其処から出る中世古道の渡河点、

関戸渡しを、手に取るように見渡せる。

まず、このことが筆者の興味を誘った。

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 2日 (月)

「平清盛」を視る(15)

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今回は、叡山の強訴(神輿振り)集団の中に、

若き日の弁慶(鬼若)を登場させた。

剃髪していない童髪なのは、

まだ「稚児」であることを意味しているのか。

でも、何より、異形の「柿色」衣を着ているから、

修験者か、「神人」のようにも見える(両者とも蓬髪だしね)

これも、大河初の試みだろうな。より中世的でプラスポイントだ。

そういえば、去年初春、当地の白山社で、

「弁慶伝説」を発掘したっけ。

……………

本日、多摩・日野地域の中世霊地遺構を探索する。

急斜面の山間部を歩行したため、久しぶりに、脚に肉刺をつくった。

心地よい?疲労感を味わう。リポートは明日に…

(捨身 CX5二代目)

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2012年4月 1日 (日)

観梅 (3)

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ここらで、フィルム画像が欲しくなったので、此の一枚を…

去年の春に撮ったものだ。府中市郷土の森博物館は、

「ハケ」と里山を再現した庭園が、うまく古民家とマッチして、

絶好の撮影スポットになっている。

四季の花々も悪くないけど、筆者にとっては、

やはり、古民家のほうが面白い。

此処に来ると、つい、撮影に夢中になってしまう。

……………

春の嵐か。垂れ込めて、次回の探索と撮影計画を練る。

(捨身 ライツミノルタCL ビオゴン28㎜F2.8ZM SPG400)

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