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2012年5月の記事

2012年5月28日 (月)

フィルムカメラを持って…(3)

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何だかんだ云っても、フィルム画像は眼を疲れさせない。

だから、定期的に観る必要が生ずる。

もとより、捨身としての可否は別問題だ。

(捨身 ライツミノルタCL ビオゴン28㎜F2.8ZM SPG400)

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2012年5月27日 (日)

「平清盛」を視る(25)

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細かいことだけど、いやしくも中世史に関心を持つ者にとっては、

見逃せない小道具の話題を取り上げる。

平氏一族の主だった人々が酒を飲み交わすシーンがあった。

清盛が手にする酒器である。

「かわらけ」と言って、使い捨ての素焼きの土器の皿だ。

直径12~15センチ位で、全国の中世遺跡で出土する。

様式があるので、年代を決める重要な基準史料になるのだ。

今回出てきたのは、手ひねりの「かわらけ」のように見え、

だとすれば「京都系かわらけ」と呼ばれるものだ。

文字通り、京都市内で多く発掘され、

10世紀頃から、日用雑器として上下貴賎通じて使われた。

(もとより、宴の酒器の他、様々な呪術的用途があった)

鎌倉、平泉などの大きな都市的な場でも見つかることがある。

(それ以外の地方では、ろくろを使ったものが一般的だった)

言うまでもなく、舞台は京都の清盛の館だし、

以上のことを踏まえた上での演出なら、

かなりのプラスポイントをあげられるだろう。

果たして、そこまで、演出陣が入れ込んでるのかどうか…

(捨身 CX5二代目)

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2012年5月21日 (月)

「平清盛」を視る(24)

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ドラマでは、平氏の人々は、

黒のコスチュームでイメージされているようだ。

いよいよ、保元の乱が始まり、どうしても甲冑姿に目がいくが、

清盛の着用しているのも、黒糸威の鎧だ。

鎧の様式は、軍記物で云うところの「大荒目」(おおあらめ)で、

太い威毛をやや隙間を空けて威す。

小札板は緩く組まれていて、たわんでいる。

ほぼ、平安時代末期の古様な鎧に忠実で、プラスポイントとしよう。

ただ、この時代の黒糸威、もしくは黒革威とは、

厳密な意味での黒ではなくて、藍を染め返して、

「黒」に見せていることが多い。

黒の染料には鉄分が含まれるので、

直ぐに、糸や革が腐食してしまうからだ(そういう遺物もある)

したがって、黒糸威鎧の実物は殆ど現存していない。

多くは、近代の染料を使った補修品か再現品である。

(捨身 CX5二代目)

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2012年5月17日 (木)

「平清盛」を視る(23)

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今回の「宇治の悪左府」頼長は、自身の日記「台記」の記述に、

ほぼ沿った、描き方がされている。

例えば、重陽の節句の宴で「菊酒」を飲まない場面があったけど、

「台記」にあるとおりで、「長命を好まざるにより」なのだ。

まぁ、ある種の「自殺願望」とも、とられなくもない。

保元の乱(1156)の前年、久寿二年八月二十六日の条にも、

藤原氏の氏神、奈良の春日若宮の託宣に、

自分の寿命が「四十一、二に達し難し」とあったと殊更に記す。

果たして、彼は三十七歳にして、この乱で命を失うことになる。

彼の、若い晩年の暗さは払いようもないが、

何らかの、予感めいたものがあったのだろうか。

保元の乱の放送は27日だそうだ。

(捨身 CX5二代目)

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2012年5月12日 (土)

平治物語絵巻・信西巻を観る

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二子玉川、静嘉堂美術館の「平治物語絵巻・信西巻」

巻き替え三回目(~5/20)を観てきた。

これで、ボストン美術館、東博、静嘉堂美術館と、

平治物語絵巻現存三巻公開を全て鑑賞、

目出度く上がりとなったわけだ。

おそらく、三巻同時公開は暫く(今世紀中は)ないだろう。

上は、信西巻最後の場面、検非違使庁西の獄、

「獄門」の棟木に掛けられた信西の首と見物する人々。

(因みに、ボストン6/10迄 東博5/27迄 静嘉堂5/20迄

 となっているから、5/20が最終日だ。まだ間に合う)

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静嘉堂美術館の辺りは多摩川崖線(ハケ)の麓で、

湧き水が豊かだ。ちょうど翡翠が飛び立つのを見かけたが、

もとより、CX5で撮るのは難しかった。

(捨身 CX5二代目)

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2012年5月11日 (金)

「半首」(はっぶり)を着けた武者たち

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昨日の投稿で触れた「半首」(はっぶり)を着けた武者たちの姿を、

東博本館・国宝室で公開中(~5/27)の、

「平治物語絵巻・六波羅行幸巻」より、拾ってみた。

いずれも実物からの撮影である。

楽天市場に「半首」の再現品が出ているようだ。

黒漆塗(裏朱漆)で@¥12000位か。

同じ業者が甲冑の再現品を三桁で売っているから、

まぁ、手が届く感じだな。

実際の「半首」は鉄製か皮製と考えられ、

戦場の実用品として、酷使されたのか、殆ど現存していない。

(捨身 CX5二代目)

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2012年5月10日 (木)

「平清盛」を視る(22)

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為義の八男、鎮西八郎為朝が登場した。

コスチュームが、ことさらに異形をてらった感じだけど、

気になったところを一つ挙げれば、

目鼻口を除いて、頬額を覆う面具、「半首」

(はっぶり=はつぶり=はつむり)を着用していることだ。

(海賊の棟梁「兎丸」も着けている)

室町戦国期に流行した「頬当」は多数現存するが、

平安鎌倉期に使用された「半首」は殆ど残っておらず、

絵画史料(下・東博の平治物語絵巻より)で窺えるのみだ。

これも、大河初めてなのでプラスポイントとしよう。

ついでながら「七人の侍」の菊千代も身に着けていた。

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(捨身 CX5二代目)

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2012年5月 7日 (月)

「平清盛」を視る(21)

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悪天、変事と多難な連休だった。

「清盛」も連休を挟んで、第二部がスタートしたが、

この前のは、出来の悪いホームドラマのようだったので、

コメントは無し。

さて、今宵の、若き後白河院が今様の名手「乙前」を尋ねて、

美濃・青墓を彷徨するシーンは一寸見せた。

もとより、青墓宿の映像化は大河初めてだ。

踊り謡う、傀儡子、白拍子たちが手にする笹は、

中世世界の「聖」「異」「狂」「賤」を象徴するから、

なかなか相応しい演出で、プラスポイントとしよう。

「乙前」との邂逅が竹林の中だったのもよい。

でも、果たして、演出家のこの気が利いたプロットが、

視る人に伝わったかどうか。

(捨身 CX5二代目)

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2012年5月 2日 (水)

武士とは何だろう?

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今年の大河「平清盛」は、この国の歴史における、

武士という存在の、草創期を描いている。

だから、そもそも「武士とは何だろう?」という命題にも、

直面しているのだ。

中世史学では、未だ議論が分かれ、結論は出ていない。

にも拘らず、何か、一般的には、ある種のイメージが、

固定化してしまっているようにもみえる。

この前のBS歴史館で、中世史家の本郷和人氏が、

端的に言って、この時代の武士とは「傭兵集団である」

と述べていた。中国大陸はじめ、同時代の東アジア諸国では、

徴募による常備軍と、科挙による官僚制が普通であったから、

これは、かなりイレギュラーな体制としての実態だったわけだ。

突き詰めれば、ある意味の「後進性」は否定出来まい。

現在公開中の東博蔵、平治物語絵巻・六波羅行幸巻に観る、

武士たちの面構え。一様にとる、左手首を右手で掴む所作は、

「服従」を表わすとされる。

彼らの多くは、武を専らとし、文盲を善しとしたようだが、

(文を尊んだのは、大分後の時代の武士像だ)

ヨーロッパ中世の騎士たちも、文盲を理想であるとした。

案外、興味深い共通点だと気が付いた。

(捨身 CX5二代目)

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